(外伝31):オブの、その後2~インが居なくなった後の、オブ~

 父は、俺の誇りだった。

 俺の父は一族の中で一番頭が良いと言われていた。けれど、父が凄いのは、その明晰な頭脳だけではなかった。父はどんな時も笑顔で、明るく、いつも弱い者の事を考えている、優しい人だった。

 おまけに、とても格好良い。俺にとって、父は自慢だったし、成長する度に『父親に似てきたな』と言われるのが、俺には嬉しくて仕方がなかった。

 母も、そんな父を愛していたし、姉さんもそうだ。16歳の社交界デビューの時期すら、絶対に父と結婚すると言って聞かなかった程、父の事が大好きだった。
故に、結婚相手を決める時は、本当に苦労したようだが、結果、父そっくりの明るくて優しい男の元へと嫁いでいった。

 成長を続け拡大する一族の中で、苛烈を極める権力闘争に、父はまったく興味がないようだった。どちらかと言えば、医学や公衆衛生など、金にはならないような事業にばかり従事し、医者の数を増やすためにその支援や、学校設立などに尽力した人だ。

 そして、貧しい人間でもその医療を享受できるように、公的扶助を充実させた。
 故に、民衆から、とても慕われていた。

『父さん、貴方は立派だ』
 
 いつも笑顔で、悲しそうな顔なんか、俺はただの一度も見た事がなかった。

『父さん、俺は貴方みたいになりたいです。父さんは俺の目標だ』

 俺がそういうと、いつも父は照れたように笑い『何を言ってるんだ。そんなモノを目指すもんじゃない』と口にしていた。

 この権力争いの絶えぬ貴族社会にあり、何故か父は自己への評価が驚くほど低かった。
 いつだっただろうか。その事を不思議に思うと、たまたま来ていた叔父に口にしたところ、意外過ぎる返事が返ってきた。

———アイツは昔とは完全に人間が変わっちまったからな。それが俺には、つまらなくて仕方がねぇんだよ。

 聞いた話によると、父さんは幼い頃は、こんなに明るい人ではなかったらしい。体も弱くて、病気がち。余り笑う子ではなく、どちらかと言えば“根暗”と言う方が正しい子供だったとか。

 だったら、きっと父はそんな自分が嫌で、努力して今のようになったのではないだろうか。

 弱い自分が嫌で、そんな自分を変えたくて。きっとそうだ。自分の体が弱かったからこそ、医療分野に力を入れるし、弱い立場の者の気持ちの分かる優しい人でもあるのだ。

 やっぱり父は立派だ。

 俺は父さんみたいになりたい。
 父さんのように、いつでも笑って、周囲に喜びと安心を分け与えるような、そんな大人に、俺は、なりたい。もうすぐ16歳。成人の儀まであと僅かだ。

 早く大人になりたい。

 ただ、俺は父がふと、一切の表情を失くす瞬間があるのを何度も目にしてきた。
それは決まって、父の周りに誰も居ない時。そういう時に、ふと父を見ると、父は驚くほど空っぽな表情で、どこか遠くを見ている。

 いつも笑顔の父だからこそ、その表情は俺の脳裏に焼き付いて離れない。そう言えば、叔父の言っていた『つまらない』とは一体どういう気持ちの元に放たれた言葉なのだろうか。昔の父より、絶対に今の父の方が立派で凄いのに、何がどう『つまらない』のか。

『……オブ、久しぶりだな』

 ある日、父の元に一人の客がやってきた。がっしりとした体つきの、とても体躯の良い男だった。ただ、身なりや表情はボロボロで、何故こんな人と父が知り合いなのだろうと、不思議に思った。
 その男はすぐに帰って行ったが、帰る間際、俺は彼と目があった。
 目が合った瞬間、男はふと口元に笑みを浮かべ父に何か言っていたようだ。

『父さん、彼は一体誰ですか?』

 俺の問いに、父は俺が隣に居るにも関わらず、“あの”空っぽな表情を浮かべ、どこか遠くを見ながら答えた。

『昔の、友人だ』

 昔の友人。
 そう言えば、父は幼い頃、体の弱さもあり、首都から離れて、北部に近い帝国の端の田舎で過ごしていたと聞いた。その中で、父と祖父は土地開発を進め、大成功を収めた。今ではあの地は北部の物流の要であり、南部に引けを取らない大都市にまで発展した。

 きっとあの身なりだ。その頃の友人なのだろう。

『彼は、なんて?』
『……遠くへ行くとの事で、別れの挨拶をな』

 遠く、遠くを見ながら口にする父の姿は、まるきり“いつもの”父ではなかった。
 俺はそれが嫌で、とっさに『父さん、分からない事があるので、勉強を教えてください』と、子供のように甘えてみた。

 すると、次の瞬間、父の表情はいつもの父に戻っていた。

『あぁ、いいぞ。どこだ?』

 そう言って、まるで俺の望むような笑顔を完璧に浮かべた父の姿に、俺は一瞬ゾッとしてしまった。

——–あれ?どっちが“空っぽ”の表情だ?

 その余りにも本能に刺さる恐ろし過ぎる疑問に、俺は考えるのをやめた。それを追求していくと、俺の全てが壊されるような気がして、とてもじゃないが、思考を続ける気にはなれなかったのだ。

 俺は、父を、尊敬している。

 

       〇

 

『あの子、お前の息子か。まったく、あの頃のお前ソックリじゃないか』

 フロムが来た。
 そのせいで、俺は普段なら隠れている筈の“俺”が隠せなくなってしまった。息子が隣に居るのに、“オブ”が漏れ出ていた。

 すぐに“俺”を仕舞い込み、いつもの“正解の父親の顔”をする。けれど、どうやらそれは遅かったようで、息子は俺を誰か知らぬ者でも見るような目で見ていた。

 聡い子だ。今、相対している相手が、この一瞬で赤の他人である事を見抜いた。さすが“俺の子”だ。

 俺、俺、俺、俺。
 俺にはたくさんの正解を演じる“俺”が居る。その事を、ほんの僅かながらに気付いているのは、息子くらいなモノだろう。
 だからこそ、息子は何かにつけ『父さんのようになりたい』と口にして、“俺”を自身の望む誇るべき父親像の中に閉じ込めようとしてくる。

 そんな息子を、俺はハッキリと可哀想だと思う。
 聡くなければ、気付かなければ、幸せな家族として、なんの不満もなく終われただろうに。

『父さんは、俺の、誇りですよ』

 そんな恐怖に塗れた顔で、俺を父親に閉じ込めながら生きる必要もなかったろうに。
 
 この子はあの頃の俺にソックリだ。
 故に、見ていると、上手く父の仮面が被れなくなる時がある。この姿をしていた時の俺の隣には、いつもインが居た。インの居ない俺の姿を投影しているようで、見ているのが辛い時があるが、それでも俺は“正解”を選び続けてきた。

———-オブ!どうしたの?何か悲しい事でもあったの?
『今日、フロムが来たよ。イン』

 “俺”が“オブ”を出していいのは一人の時だけ。インに会いに行けるのは、本当の“俺”だけ。こうして、一人になった今、インは俺に会いに来る。時間は様々。ともかく、俺が一人の時を見計らってやって来てくれる。

 愛おしい。なんて愛おしいんだ。

———フロム?誰だっけ?
『まったく、インは会わなくなると、すぐに忘れるんだから。幼馴染だろう?』

 可愛い、可愛い、俺のイン。
 俺だけを待って、苦しみの中、もがいて死んだイン。

“ねぇ、イン。どうやったら、インは俺の中に閉じ込めていられる?!”

 あぁ、それって俺が望んでいた事じゃないか。俺の事だけを想って、悲しみに塗れた暗い人生を歩んで欲しいと、そう望んでいたじゃないか。あの頃、心の身の内に宿していた汚らしい願望は、仄暗い疾風となり、全てをなぎ倒し、俺から全てを奪った。

 奪ったけれど、望み通りになった。
 俺はインを“俺”の中に閉じ込める事に成功したのだ!
 あぁ、なんて素晴らしいんだ!なんて、幸福な人生なんだろう!

 触れる事も、見る事も出来ないが、インはいつも俺の傍にいる。思い出という郷愁の中に、インは隠れている。きっと、この世界でこうもインを、まるで本物のように思い出せる人間は、俺しか居ない。

 だから、俺は生きている。様々な正解を選ぶ俺に表の世界を任せて、俺はずっと深い所でインを想って生きている。

———-そうだ!フロムは幼馴染だった!フロムはなんて?
『遠くに行くからって、挨拶しに来てくれた』

 夫の顔をする俺でも、父親の顔をする俺でも、善良な貴族の顔をする俺でもない。そいつらはインには会いにいけない。
 インが死んでから、俺はインを思い出すこの瞬間だけに幸福を感じて生きて来た。

———-遠く?じゃあもう会えなくなる?
『そうだな。もう会う事もないだろう』

 イン、お前こそ俺の幸福そのものだ。
 俺は片手に持っていたレイゾンの酒に口を付けながら、甘い息を吐いた。
 酒を口にした時にだけ、現れる艶やかなインが、そこには居る。

———寂しい?
『何が寂しい事がある。俺にはインが居るだろう』

 俺の言葉に、郷愁の中のインがニコリと嬉しそうに微笑む。俺が手を伸ばすと『待って』と、本当は全然“待って”なんて思っていないのに、口だけの“待って”を口にする。

———-オブは、いっつも待ってくれない。
『インだって、待ってとは欠片も思ってない癖に』

 そう言ってインを抱き締め、口付けをする。記憶の中のインをなぞる。もう居ない彼の温もりを探して、酒に口を付ける。

———おぶ、おぶ。おぶ。だいすき。
『イン、イン、イン、イン、イン』

 狂ったように名を呼ぶ。今は一人、インに思い切り会いに行ける唯一の時。この時の為に、俺は生きている。
 熱い熱を帯びる体の芯に、心に、インはいつも触れてくれる。
 気持ち良くてたまらない。痺れるような感覚。インだけが触れる事の出来る、俺の大事な場所。他の者には絶対に触れさせないし、見せる事もない。

 インだけ。インたった一人。

『イン、あいしてる』

 正解を選び生きて行く俺の中に眠る、本当の“オブ”を、これからも俺は隠しながら生きる。

 死ぬまで、生きる。

 

       〇

 

 その数年後、父は流行り病に倒れた。

 この流行り病は、十数年前にも帝国全土、いや、世界全土で流行し大量の死者を出したソレと同じモノだった。

 その病は、今尚、治療法も薬も作りだされていない。
 ただ、多くの人々がかかり、大勢が死に、時と共に、消えていく病。そして、父の死後、数カ月が経ち、その流行り病はまたしても人の手によってではなく、自然と消えていった。

 病は消えたんだと人々が歓喜に沸く中、一人の年老いた医者が言った。

 あの頃も、そうだった、と。
 この病に人は勝てない。嵐が来るのを止められないように、人はこの病を防ぐ術を持たないのだ。この流行り病はまた必ずやって来る。別の時代の人々を、別の国の人々を。

 また、大量に殺しに来るだろう、と。

 俺はその言葉に、何故か病床にある父の最期の言葉が頭を過った。

——–迎えに来るのが遅いよ。イン。

 その時の父の顔は、今まで俺達が見て来たどの父の顔とも違った。
 それは、良き夫の顔でも、良き父の顔でも、善良な貴族の顔でもない。

 誰も知らない父の顔。
 うそ。

 俺はずっと分かっていた。
 空っぽなのが、俺達に向ける眼差しの方だと。ずっと、ずっと分かっていた。
“イン”と口にして微笑む父の姿。“イン”と口にして、目を伏せる父の姿。“イン”と狂ったように名を呼び、自身を慰める姿。

 俺は見て見ぬフリをしながら、全てをきちんと理解していた。
 父は“イン”を愛し、“イン”だけを愛している。

『イン』

 俺は父の居なくなった父の部屋で、名を呼んでみる。見たこともない、女か、男かも知らぬその人。

『イン』

 鏡の前に立ち、父親ソックリと言われる自身の顔を見つめながら、もう一度口にしてみる。

『イン、あいしてる』

 何をしているのだろう。どうかしている。父の死で、少し俺もおかしくなっているようだ。そう、俺が鏡から目を逸らそうとした瞬間。

———俺も、あいしてるよ。

 見知らぬ少年が、鏡越しに俺に向かって微笑んだ気がした。耳元で少しだけ高い、でも透き通るような声が聞こえてくる。

———だいすき、オブ。

 その声と共に、俺の背にふわりと何か温かいモノが触れた気がした。
 イン、イン、イン。
 俺の頭の中で、父の切な気な声が響く。

 俺は初めて、父に会えた気がした。頬を、何かが伝う。鏡を見ずに、俺はその場に崩れ落ちた。
 偽りのない父に出会って、やっと理解した。父が愛するのは“イン”だけだった事を。唯一が“イン”であった事を。

 

 俺は、父から愛されたかった。

 

 

おわり
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【後書き】
なんか、この後。この息子、父とその愛する人を探す旅に出かけそうですね。
そういう邦画、なんかありそう。
タイトル【父へ】とか、そんなんで。

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