(外伝36):アウト、オブの盛りに心の中をべちゃべちゃにされる4

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『う、うわー!これは凄い!凄い!モノが沢山ある!』

 

 古市を前に、外に出てからずっと輝くような星を、その目に宿していたインの目が、一際輝きを増した。それは、やっぱりアウトとは違うのに、アウトとよく似た目だった。

 あぁ、そう言えばアウトも古市が好きだと言っていたな。

 

『これは、なに?』

「古市……そうだな。定期的に行われる不用品や、手製のモノを売る市の事だ」

『これは、全部お店なの!?売り物なの!?』

「あぁ、そうだ」

 

 あまりにも当たり前の事で驚き、そして、はしゃぐインの姿に、俺まで何故か楽しさを感じていた。これは、俺の中にオブが居る時に思い出していた、最も好きな“イン”そのものだ。そして、アウトも、確か古市を前にすると、こんな顔をしていたような気がする。

 

「……気がするではないな。楽しそうだったんだ」

『み、見ていい!?全部、見ていい!?』

「あぁ、いいぞ」

 

 俺が許可を出した途端、インは手前から順番に、それはもう興味深そうな顔で、一つ一つの露店を覗いている。途中、店主に「これは何?」と聞いて回るせいで、1つ1つの店での滞在時間が、他のどの客よりも長かった。

 おかげで、どの店主とも、次の瞬間には仲良くなっている。

 

 きっと、インのこの目が、彼らの心の扉を開くのだろう。アウトが、マナの中の扉を開けていったように。

 

『あははっ!これ、変なの!おもしろいね!』

「そうだな」

 

 あぁ、とても楽しそうだ。

こんなに楽しそうなインの……アウトの顔は久々に見る。今、アウトとして動いているのは、もちろん“イン”だが、やはりその体は、顔は、アウトだ。

 最近、二人で居る時のアウトは、俺だけを見て、俺だけにしか見せないような顔を見せ、そして、いつも眠そうだった。

 

———ねむい、ちょっと……ねむるね。

 

 自覚はある。俺がそうさせているのだ。

 俺だけを見て欲しくて、俺は極端にアウトを外へ出さなくなったのだから。

 あぁ、分かっている。ただ、俺は、アウトが俺と居て幸福を感じ、満たされている姿を見る事で、心も体も満たされているから、あの時間を手放したくなかった。

 

 故に、外に出るのがもったいないと思っていた。けれど、どうやらそれは違っていたらしい。

 

『これは?これは何?色んな色の棒がたくさん入ってる』

「それは、色鉛筆だな」

「いろえんぴつ」

 

 インは色具やペンを取り扱う露店の前でピタリと体を止めると、キラキラの目から、最早その大きな黒い目を取りこぼさん勢いで、大きく見開いていた。

どうやら、色鉛筆に興味があるらしい。

 

『この色は、ウルの木が秋になった時の色。こっちはピーちゃんの羽の色。これは川の横にある石の濡れた所の色』

 

 丸い瓶の容器に、色ごとに集められた色鉛筆のそれぞれに、インは一つ一つ自分の中でのホンモノを当てはめていく。その姿は、今の俺からすれば、どこか崇高だった。色鉛筆の色が、インの世界をどんどん広げている。

 すると、色鉛筆に世界を当てはめていたインの口から、同じような言葉が口にされ始めた。

 

『これは、オブの目の真ん中の所。これは、オブの髪の毛の色。これは、オブの口の色』

 

 オブ、オブ、オブ、オブ。

 こんなに愛している事を全身全霊で表現されたら、確かにオブも毎日たまらないだろう。たまらないから、抱きしめたくなる。抱きしめたら口付けをしたくなるだろう、そして、止まらなくなる。欲望とは、際限のないものだ。

 

 あぁ、分かるさ。分かる。それは、俺も同じだからだ。

 

「イン。どの色が欲しい」

『えっ!えっ!』

「あぁ、面倒だな。全部買おう……店主。全色頂く。袋に詰めてくれ」

「はいよ」

『わっ!わっ!買って、買ってどうするの?タオ……ウィズが使うの?』

 

 急な俺の行動に、インがアウトの顔で驚いた表情を浮かべる。そのお陰で、先程までアウトの口から、アウトの声を持って紡ぎ出されていた“オブ”という言葉の波が止まる。

 助かった。そろそろ俺も、嫉妬で狂いそうだったのだ。

 

 今のアウトはアウトではない。インだ。そう、分かっていても、アウトの口から別の男の名前が、こんなに愛おしそうに漏れるのは許しがたい。

 許しがたいから、こうして狭量な俺はインの言葉を、驚きで止めた。

 

「バカ言うな。俺は絵など描かん。これは……お前のだ。絵が描きたいのなら、これで描けばいい」

『え!』

 

 俺は店主から受け取った色鉛筆の入った紙袋を、戸惑うインの前へと突き出すと、無理やりその手に持たせる。インは受け取った紙袋の中にある、先程まで自分が世界を当てはめていた色とりどりの棒を前に、何故か袋の中にある色鉛筆の匂いを、クンクンと犬のように嗅いだ。

 

『木の匂いがする』

「そうだろうな。外側は木を削ってできている」

『……森みたい』

 

 インは独特の感性で、目を閉じ色鉛筆の匂いをクンクンと嗅ぎ続けていた。故郷でも思い出しているのだろうか。閉じられた目の奥に広がっている世界を、俺は知る由もない。

 なので、チラと露店を見ると、そこには色鉛筆の他にもインクや万年筆といった様々な画材が置かれている。

 

「あぁ、これはいい。店主、これも貰おう」

「はい、はい」

 

 俺はふと目に入った一つの商品に手を伸ばすと、天気の良い皇都の空へと透かし見た。それは、まるでファーの羽を思わせる、立派な羽ペンだった。

 そういえば、以前アウトはファーの羽が落ちる度に、それを拾っては手帳の栞にしたり、部屋に飾ったりしていたようだ。

 

———羽ペンを作ろうとしたら、先っぽが割れて失敗したんだよなぁ、もったいない事したよ。

 

 アウトの声が頭の中に響く。

 そうだ。以前は俺ももっとアウトの様々な姿を見ていた筈だった。愛していると伝えてからは、自分にしか見せない姿のアウトが、余りにも離れ難く、麻薬のような中毒性を持っていた為、すっかり忘れていた。

 

『ウィズ、この色鉛筆で、絵が描きたい!』

「あぁ、そうだな。そろそろ、店に戻るか」

 

 色鉛筆の袋を、それはもう嬉しそうに抱えるインの姿、否、アウトの姿には、確かに夜のような俺にだけ見せる艶やかさも、痺れるような甘い中毒性もない。

 けれど、この姿も、また見たいと思った。

 

『わーい!いろえんぴつ!いろえんぴつ!』

 

 こんな風に、太陽の下で、楽し気に笑うアウトに、俺は無性に会いたくなった。

 俺は、どうやらこれまで、酷くもったいない事をしていたようだ。

 

 

 

      〇

 

 

 

「出来たー!インのアトリエだー!」

『中々いいのが出来たじゃん』

「なー!」

 

 俺はオブと共に、インが絵を描いて遊ぶアトリエを上手に上手に作った。さすがにイン用だ。アズのアトリエのような立派なモノではなかったが、こじんまりとした、インにピッタリの建物だ。

 きっと、アトリエというより、小屋といった方が近い。

 

 最初は、俺もアズのアトリエのような立派なモノを作ったのだ。けれど、それはオブから却下された。

 

——–全然、インっぽくない。

 

 言われて「確かに」と俺も納得した。いくらなんでも、これから初めて絵を描く人間に、外側だけ立派なものを用意したって仕方がない。逆に落ち着かずに、絵を描くどころか、近づいてすら貰えなかったら意味がないのだから。

 

「いいねぇ、俺もここなら凄く落ち着くよ」

『インは森で育ったからね、木造でなきゃ。それに、きっとずっと一人は寂しがるから、鳥も飼ってあげて、うさぎなんかも居たらいいんじゃない』

「何言ってるのさ?オブが一緒だから、インは寂しくないよ」

『いや、インにも一人の時間は必要だ』

「……!」

 

 俺はオブの口から飛び出した、信じられない言葉に耳を疑ってしまった。オブは一体何を言っているのだろう。ここに来るときは、オブも一緒に決まっているのに!

 

「オブ。インはさ、いっつも伝票の裏に、オブを描いてるんだよ?モデルなんだから、ここにはオブが一緒に来なきゃ」

『は?』

 

 そう、こないだもコソコソと伝票の裏に何かを描いていたので「それ、何?」と尋ねていみたら、インは即答で『オブ』と答えていた。

 悲しいかな。俺と同じでインには絵の才能はないようで、描いてあった線と点が縦横無尽に駆け巡るそれが、俺には全く“オブ”には見えなかった。

 

「だから、ここにあるコレ。この椅子はオブの椅子ね。で、ここに本棚。これはオブがモデルに飽きた時に読む本を置こうね。あとで、ヴァイスに貰いに行こう」

『待って、インは俺の絵を描いてるの?』

 

 俺が部屋の作りをアレコレ考えていると、オブは驚いたような顔で、俺の腕を掴んだ。その顔は、これまでのスンとした表情のソレではなく、少しだけ興奮したような顔に比例するように、首筋から耳の辺りはほのかに色づいていた。

 

「うん。あんまり上手ってワケじゃなかったけど、本人が、これはオブだって言ってたんだから。間違いないよ。だから、言ったじゃん。インはオブが一番好きだって」

『……イン』

「オブ。だから、もしインが絵を描くのに夢中で、オブが寂しくなったらね、」

 

 俺は、アズのアトリエでよくセイブ君がやる事を教えてあげる事にした。

 

「こうして、自分の椅子をインの隣に持って行くでしょ?そして、横から口付けをすると、きっとインはオブを見て笑ってくれるよ」

『…………』

 

 それはいつもアズとセイブ君が二人してやっている事だ。モデルであるオブが動いていたら、きっとインは文句を言うかもしれないが、けれど、オブが近づいて来て、インが本気で怒る事はないだろう。

 

「だから、オブ。寂しくなったらやってみな?」

 

 そう、俺がオブの椅子を抱えてオブに伝えてやると、オブは小さく、けれどハッキリと微笑んでいた。

 

『ふふ。俺が寂しくなった時の事まで心配してくれるんだ。アウトは』

「っ!」

 

 あぁ、オブ。きっと自分じゃ気付いていないかもしれないけれど、俺は初めてオブに、アウトとして微笑んでもらえたんだよ。

たったそれだけの事が、俺にとっては嬉しくてたまらなかった。びちゃびちゃも、まぁいいや、と思えるくらいには。

 

「当たり前だよ、オブ。オブはもう、うちの子なんだから。オブも寂しくちゃダメなんだよ」

 

 そう、もうオブもうちの子だ。ウィズの中に帰らせなどしない。俺は、愛し合うインとオブの“家”そのものなのだから。

 だから、オブもインも、これからは店の事なんか気にせず、好きに遊んでいい。朝も昼も夜も。時間の概念なんてない、この世界で、帰る時間など気にせず。

 

「いっぱい二人で、遊んどいで」

 

 俺は椅子を置いてオブの頭を少しだけ乱暴にかき混ぜてやると、そろそろインが帰ってくる気配を察知した。あぁ、そろそろオブが恋しくなってきたのかもしれない。

 

『アウト、お前も……ウィズに言った方がいいよ』

「なにを?」

 

 俺に黙って頭を撫でられながら、オブは急に少しだけ声を張って言った。それと同時に、また誰か、俺の中へ入って来る気配を感じた。

インではない。これは外の人間だ。

 

———アウトの入口は、もうガバガバだからね。

 

 ヴァイスの言葉が頭を過る。

 

『週末部屋で情交ばっかりじゃなくて、普通にデートしたいってね!』

 

 その、明らかに“誰か”に言い聞かせるような言葉に、俺はふと、造ったばかりのアトリエの入口へと振り返った。

 そこに居たのは、涙目になるインと、驚いたような顔で立つウィズの姿だった。