———–
——–
—-
『なんだぁ、オブは別にアウトの事を、特別に好きって思ったわけじゃないんだ』
『当たり前だよ!イン!お願いだから、俺にとってインが一番特別って事を、そろそろ信じて欲しい』
『うううう、それは……むずかしい』
『インっ!』
どうやら、このお話は浮気ゼメとウケが和解するパターンだったらしい。アバブによれば、浮気モノのお話はウケとセメが和解するパターンと、ウケが別の誠実なセメを見つけて、浮気ゼメを切り捨てるパターンの、大きく分けて2つあるのだという。
「イン?今度新しい浮気ゼメの教本を持って来てやるから、それを見て勉強したら?仲直りする方法と、切り捨てる方法と2つとも、ちゃんと載ってるよ」
『おいっ!?なんて事言ってんだよ!』
「……切り捨て……なんて恐ろしい二者択一なんだ」
『わかった。今度、オブに読んでもらう』
『……よ、読みたくない』
どこか疲れたように肩を落とすオブに、俺はポンポンと肩を叩いてやる。まぁ、オブが切り捨てられる事はないだろう。だって、オブは別に浮気ゼメではないからだ。
「大丈夫だよ。オブは溺愛ゼメだから」
『……あぁ、そうでしょうとも』
オブはこんな顔もする少年だったのか。俺はどうやら今日一日で、沢山のオブの顔を知る事が出来たようだ。これまで俺が見て来たオブの顔と言えば、いつものスンとした顔や、インとの情交を目撃してしまい、鋭く睨んでくる顔、後は在庫管理を適当にして向けられる、氷水のように冷たい顔だけだったから。
いや、思い出せば思い出す程、どれもこれも酷い顔だ。とにもかくにも、オブと俺は交流が足りていなかったのだろう。
『アウトは、オブと友達になったんだね』
「そうだよ。今日1日、インにプレゼントしたくて沢山のモノをオブと作ったから、後でオブに案内してもらいな?ここもインが絵を描く場所だからね」
そう、俺が頑張って作ったアトリエを自慢するように両手を広げると、インは何故か次の瞬間、ハッと目を見開いた。
『絵!!そうだ!いろえんぴつ!タオルに買って貰ったいろえんぴつを忘れて来た!』
「色鉛筆?ウィズが買ってくれたの?」
そう、俺がウィズに顔を向けて尋ねると、ウィズはアトリエの壁に体を預け、どこか遠くでも眺めるような目を向けながら、小さく頷いた。少しだけ、元気がないように見えるのは気のせいだろうか。
「あぁ、ありがとう。ウィズ。じゃあ、その色鉛筆は……」
「今は酒場のカウンターに転がっている」
「そっか。なら、イン。それは後で俺が届けて上げるから、これからは此処で好きなだけ絵を描いたり、遊んだりしな?」
『お店は?』
「店はそもそも俺の趣味だから、イン達が気にする必要はないんだよ」
そう、もう店は俺一人でも大丈夫だろう。今はタオルも居てくれるし。そして、あんなに沢山の店を他に作ったのだ。必然的に客足も落ち着くだろう。
これからは、この世界は色んな所に、様々な店の“マスター”が生まれる筈だ。たまに、俺も客になりに行こうではないか。
けれど、俺の予想に反してインはアトリエに作った筆や紙を手で遊ばせながら、ヘタリと眉を寄せた。
『それは、くびって事?』
「クビ?いやいや、違うよ。仕事仕事って、イン達が店の事を気にする事はないよって、そういう」
『俺、お店も好きだから……くびは嫌だ』
あぁ、そうだった。
俺はくびは嫌だと、それこそ首をたくさん横に振るインの姿に、最初にあの店に来た時のインの言葉を思い出していた。
———-このお店、とっても素敵だね!俺もここで働かせてください!
あぁ、そうそう。そうだった、そうだった。
俺は思わず漏れる笑みを止められないまま、インの所まで歩を進めると、最初にオブにしたように、インをギュッと抱きしめた。オブとは違い、インは抱きしめられ慣れているので、俺が抱きしめても力を抜いて、されるがままだ。
「クビじゃないから。来たければいつでもおいで。二人の家はここだし、二人はいつもあの店の従業員だからね」
『……うん!』
「川も、森も作るから。店もいいけど、二人で昔みたいに思い切り遊びなよ」
『うん!』
インが俺の背に自身の腕を回す。やっぱり俺達は最終的に一人だから、互いに抱き締めあっても全然温かさを感じたりはしない。けれど、インの嬉しそうな声に、俺の心はポカポカし始めた。
もう頭痛もない。快調だ。
「さて、俺達はそろそろ外に帰ろうかな」
『うん、アウト。色々ありがとう!』
「どういたしまして。オブも、またね」
『あぁ』
今日は一日よく潜った。つまりは、よく寝た。そろそろ、ウィズも一緒だし外に戻った方が良いだろう。俺はインから体を離し、オブにも挨拶をした。
ただ、一つ気になるのは、先程から元気のないように見えるウィズだ。ウィズはやっぱり、俺の方を、なんとも言えない顔で見るばかりだ。
『そうだ。アウト。帰る前に俺からウィズにハッキリ言っておいてやるよ』
「なにを?」
俺が何の事だと首を傾げた時、先程まで椅子に腰かけていたオブが、次の瞬間、姿を変え、ウィズの前へと歩を進めていた。
「お前は……」
『若者に苦言を呈すなら、それ相応の見た目じゃないとダメだと思ってな』
それは誰がどう見ても15歳の少年の姿ではなく、既に成長しきった、30代、いや、40代に近い、苦みの走る、スラリとした体躯を携える紳士の姿だった。しかも、着ているモノも、先程まで子供のオブが身に着けていたような軽い普段着から、今は型のピシリと定まった濃紺色の背広に変わっている。
一瞬、完全に誰だ?と困惑してしまったが、いや、よく見ればすぐに分かる。
面影はあるのだ。これは、成長したオブの姿そのものだった。
『っ!』
そして、隣から声にならない悲鳴が聞こえる。目はキラキラを通り越して、うっとりとした眼差し。インは本当に格好良い人が好きだよなぁ。
そう、俺と同じで。
『おい、ウィズ』
「なんだ、姿まで変えて。お前はその時代を嫌っていると思っていたがな」
『御託はいい。お前、アウトと25の約束だか何だか知らないが、お前に都合の良い解釈のルールを押し付けているな』
「二人で決めたモノだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
不穏だ。俺の隣で目をハートにさせるイン以外。今ここに居る人間は皆厳しい顔をしている。俺を含め。
どうしたのだろうか。喧嘩でも始める気だろうか。
『確かに。決まり事云々に、俺がとやかく言う筋合いはない。ただ、お前はルールを自分の都合の良いように拡大解釈し、アウトへ全ての責任を転嫁するだろうから、先に苦言を呈す』
「なんだと?」
俺はウィズと25の約束をしている。それは俺達がすれ違わない為の大切な約束だ。約束破りはしてはいけないし、しないと、俺自身が決めている。
それが、一体なんだと言うのだろうか。
ただ、オブがわざわざ、インの前でなりたくもない姿に変えてまで伝えようとしているのだ。聞かぬわけにはいかない。
『きっと、お前は帰ってアウトにこう言うつもりだろう。「アウト、お前は週末俺と情交をして閉じこもって部屋で過ごす事を我慢していたのか?本当は別の事がしたいにも関わらず。それは約束の2つ目、”我慢をしない”に反する。何故言わない」と』
「っ!」
『図星だろう。きっと、それに対し、アウトは我慢などしていないと答え、きっとこじれる可能性も高いので、今回は礼の意味も込めて俺が先に、今日一日アウトと過ごして分かった事を伝えてやるよ』
チラと大人のウィズが俺の方を見る。そして、その動作にインが、たちまち頬を染める。あれ、今のは俺じゃなくてインを見たのだろうか。あぁ、もうどちらでもいいか。
『アウトは、お前に対し“我慢”などしていない。お前が大事で、愛しているから、別に週末が情交で潰れようが、それはそれで幸福だと思っているんだよ。そう、それはアウトの中で“ウィズ”が“最優先”だからだ』
「…………」
『ただ、確かにアウトの気持ちとして存在する、“お前と他にも様々な事がしたい”という感情があるのも確かだ。二人で昔のように出かけたいと、そういった思いも確かにある。ただ、それは我慢している訳でもない。だから、この問題点の解消に、アウトの我慢を責めるというお前の方向性が誤っている事を、ここできちんと理解しろ。いや、理解はしているだろうから……認めろ』
オブの、普段インにしているような物語を読み聞かせるような語り口調が、今や代言人の弁士のように豹変していた。相手の矛盾を追求し、追い詰める。そこに、空想世界を語る優しさや、丸みは一切ない。
『アウトの欲求に気付いて与えてやる事は、最早約束事云々ではない。思いやりの領域だ。それに関してはお前も……そして、俺も大いに欠如している。俺達は、自分の事しか見ていないんだ。その甘えが、過去の悲劇を生んだ。ルールで決まり事を設け、すれ違いを防ぐのも良い。けれど、だからと言って相手への思いやりを失くしては意味がない』
———–俺達はもう少し、大切な者を顧みるべきだ。
オブの弁士としての言葉は、そこで締めくくられ、気付いたらそこには15歳のオブが立っていた。隣でインが何か騒いでいる声が聞こえる。
ただ、俺とウィズはそこからはもう何も言わず、二人で手を繋いで、外の世界に戻った。俺達の世界は此処ではない。話すならば、分かり合うならば、いつもの二人の居る場所がいいと、そう思った。
〇
「アウト。俺は……また、お前の器に甘えていたんだな」
目を覚ました先に、ウィズの顔があった。ベッドの上で、寝かされていた俺の体を毛布の上から包み込むように抱きしめられる。部屋の窓掛から漏れる光は、大分傾いており、夕間暮れの時が、そろそろ夜に変わる頃合いだった。
俺は何も言わずに、布団から手だけだしてウィズの背に回した。
「お前は古市が好きだったし、窓掛の店も好んでいたな。時計台も好きだったし、行きたい場所もたくさんあると、観光本を眺めていた。全部知った上で、俺はお前をこの部屋に閉じ込めていた」
———–すまなかった。ごめんなさい。
そう、神に許しを乞うように紡がれるウィズの言葉は、余り俺の好みではなかった。ウィズは俺に懺悔するような事は何もしていないのだから。
「ウィズ。俺はウィズが、唯一で最愛だから、ウィズと一緒に出来る事なら、なんでもいいんだ」
「……知っている。だからこそ、俺はすぐに、そのお前の大きな愛に甘えてしまう。そんな自分の狭量で狡い所が、とてつもなく嫌になる」
「ねぇ、ウィズ」
俺はウィズに抱きしめられながら、ウィズの頭を撫でた。あぁ、やっぱり此処は幸福だ。なんて、幸福なんだ。
「インから聞いたよ?ウィズ、インの色鉛筆の他に、何か買ってたんだって?」
「……羽ペンを……お前に渡そうと思って。ただ、お前と共に古市に行って、そして買ってやればよかったと後悔している。以前の手帳といい、今回の羽ペンといい。俺からの贈り物はいつも自己満足でしかないな……」
苦しそうだ。ウィズはいつも考え過ぎて苦しんでしまう。そうなるとウィズは全てが見えなくなって、どんどん深い所まで落ちて行ってしまう。それはまるで、過去の俺とよく似ている。
こういう時は、もう片方が引っ張ってやらねばならない。上へ、上へ。
「ウィズ。俺が居ない時に、俺の事を想って買ってくれたものを、自己満足なんて言わないでよ。そう言う気持ちが、オブの言う、“思いやり”だって自信を持ってよ」
俺は本当に場所なんて、どこだっていいのだ。ウィズと居れるなら。どこでも素敵なんだ。素晴らしいんだ。朝も昼も、夜も関係ない。眠くても隣にウィズが居るなら、それは俺にとっては、大切な時間。
「ウィズ、俺の事見て」
「……アウト」
「ねぇ、見て」
俺が繰り返し言うと、それまで俺の顔と肩の間に埋められていたウィズの頭が、ゆっくりと上げられた。その顔は、オブという“大人”に叱られて、自信を失った、迷子のような顔をしたウィズだった。
あぁ、オブ。ウィズに厳しく言い過ぎ。自分を見てるみたいだからって、容赦がないんだから。自分にも、優しくしてやって欲しいものだ。
「俺、凄く楽しいよ。ウィズと一緒だから。幸福だし、最高の気持ち。羽ペンも早く試したいなぁ」
「アウト」
「ウィズが俺の事を見てくれてる世界だったら、俺はどこでもいいよ!ね!俺の顔みたら、本当って分かるよね?」
俺の言葉に、ウィズは一瞬クシャリと表情を歪ませたが、すぐにその表情のまま微笑んだ。
「あぁ、分かるさ。お前の事だ。分からぬわけがない。全部、わかる」
ウィズはそう言うと、いつもは俺の口にされる口付けを、その日は俺の額や目尻など、様々な場所に落とした。落として、言った。
「明日は、二人で出かけようか」
あぁ、ウィズと一緒ならどこへでも。
俺は心の中と外の世界。どちらの世界も幸福に満たされるのを、はっきりと感じたのだった。
おわり
———–
そして、べちゃべちゃはこれからもつづく。