2:仲間
「社長。今日はどのようなご用向きで?」
「近くに来たから寄っただけだ。あまり気にするな」
突然現れた俺に、従業員達の顔色が一斉に引き締まる。どうせ、抜き打ちチェックとでも思われているのだろうが、いや、今回は本当にそんなつもりはない。
そんなつもりはないが、そう思わせておけば、勝手にコイツらはしっかりやってくれるので、敢えて何も言わない。
言葉を賭して社員に伝えるべき時と、むしろ言葉を用いない方が良い時というは、常に見極めなければならない。会社は人だ。そこを見誤ると、中枢から経営は一気に崩れるのだ。
「今後、この中で俺を“社長”と呼ぶな。あとは放っておいてくれればいい」
「承知しました」
俺はそれだけ言うと、勝手知ったる自分の店を自由に行き来する。今日は全てのホールで何らかの催しが行われているせいか、派手な格好の連中で、広めに作った筈の通路も、なかなかに人でごった返していた。
「さて、アイツはどこかね」
俺の貸してやった背広はきちんと着こなしているか。そして、並べられた酒にどれほど目を輝かせているか。想像すれば、なかなかに愉快な姿が拝めそうだと、俺は会場の入り口にある催し名称を眺めつつ、歩調を早めた。
「ここか」
この建物で最も大きなホールの入口の前に立つと、俺の顔を知らぬ従業員が俺に歓待酒を寄越そうとしてくる。本当は断るべきなのだろうが、断るのも何かおかしい気がして、軽く受け取っておくことにした。
さて、どうせアイツの事だ。酒の配置された前にでも陣取っているのだろう、と俺が確信にも似た予想の元、酒のおいてある場所に顔を向けた時だった。
「アウト、あいつさ。やっぱヤベェよ」
「マナ無しの癖に嘘までついて。惨め過ぎだろ」
「あんな能無しに恋人なんか出来る訳ねぇよ」
俺の隣を通り過ぎていった数名の客の口から“アウト”と言う名が聞こえた気がした。その瞬間、ヒクリと自身の眉間に皺が寄るのを感じる。
—–マナ無し?
過ぎ去って行こうとする数人の男達に、俺は眉間に寄った皺を一気に消した。そして、人好きのする表情を一瞬で作り上げると、通り過ぎる男の一人に機嫌の良い声で話しかけた。
「なんだ、なんだ?面白そうな話してんな?」
「え?」
見ず知らずの俺に急に話しかけられ、戸惑う男達に、俺は手に持っていた歓待酒を見せつけるように口を付ける。そして、既に多少酔っている風を見せかけ、笑顔のまま一番近くに立っていた男の肩に手を乗せた。
「あの“マナ無し”がどうしたって?」
敢えて“アウト”とは言わない。コイツらの中では、この呼称の方が距離を詰められると判断したからだ。同じ対象を、同じように嘲る対象として扱ってやった方が、仲間意識を持たれやすい。
「あぁ、そうそう。聞いてくれよ!」
俺の予想通り、その瞬間をもって、男達は俺に向かって気安い雰囲気を醸し出してきた。そして、会場のある一角。酒の置かれた長テーブルの前に出来た人だかりを指さしながら、愉快そうに言った。
「あのマナ無しのアウトが恋人が出来ただの、世界一格好いいだのと……まぁた訳わかんねぇ妄想を垂れ流してるんだよ」
「アイツ、ほんと昔っから変わんねぇよな。ま、まさかこの年になっても妄想話を本気で言ってくるとは思わねぇよな」
「なんで、アンド達はあんなのと友達やってんだろうな。マナ無しの能無しと付き合うメリットってあんのかね?」
「アイツの使い道なんて、情交夫くらいだろ。まぁ、いくら自由に使ってくれって言われても、俺はアウトなんて無理だけどな」
「言えてる」
「お前も、気になるなら見て来いよ。酒のツマミにはちょうど良いぜ」
そう、最後に下卑た笑いを残して去っていった男達の背を見送りながら、俺は空になった歓待酒のグラスを傍にいた従業員へと渡す。先程、あの三人が口にしていた人間が、本当にあの“アウト”なのであれば、これは一体どういう事だ。
マナ無し。能無し。
これは一般的に記憶を持たず、マナも無い人間を揶揄する際に使われる差別用語だ。道徳的な観点から使用は禁止されているが、使ったからといって何か言われる訳ではない。
この世界に置いて、記憶もマナもないというのは“足りない人間”として揶揄され、差別される対象だ。差別の歴史も長い。
かくいう俺も、体内に保有するマナの量は、さほど多いわけではない。学窓の頃などは、“少ない”というだけでバカにされる原因になるのだ。俺の場合は、特にウィズの奴が、バカみたいにマナの保有量があるせいで、比較されてバカにされるなんて、最早日常茶飯事だった。
そう、“少ない”と言うだけで差別染みた扱いを受けるのに、“無い”なんてとんでもない。
———-俺、インじゃない。
何度も口にされてきたアウトの言葉に、此処に来てやっと裏付けが取れた気がした。
「本当に、インじゃなかったのか」
これまで、何度もアウトにインを重ねて見て来たが、本当に勘違いだったとは。だとすれば、本当にウィズはアウトを“アウト”として愛しているのか。それとも――。
「インの代替品として使っているのか」
静かに漏れ出た言葉に、俺は何故かアウトへ思いも寄らぬ気持ちが芽生えるのを感じた。それは同情でもなければ、アウトがインではなかったという落胆でもない。もちろん、恋情なんてものでは一切なかった。
ただ、この気持ちは俺にとっては酷く、甘美だった。
「なぁんだ、アウト。お前も代わりか。なら、俺と同じじゃねぇか」
インにオブの代替品として扱われていた俺。
ウィズにインの代替品として扱われるアウト。
これは紛れもない、
「アウト。お前と俺は、仲間じゃねぇか」
仲間意識だ。
俺は俺の渡したであろう鎧に身を包み、一人で周囲からの嘲笑という攻撃を受けているであろう仲間の姿を思う。
「アウト。俺がお前の鎧になってやるよ」
代替品同士、これからはもっと仲良く出来そうだと口元に笑みを浮かべた時。
人込みの中から、笑顔のアウトが現れた。