10:恋人の居ぬ間に⑩~ウィズ出張中の2週間~

4:俺を鎧にしろ

 

 

「トイレも広かったなぁ。俺の部屋より広いな、あれは」

 

 そう、いつもの呑気な顔と声を引き下げて手洗いから出てきたアウトを、俺は壁に寄りかかりながら眺めた。どうやら、向こうは俺の事には気付いていないようだ。

しかも手拭きを持っていないのか、手洗いから出て来たアウトは、濡れた手をまるで子供のようにバタつかせている。

 

「ったく」

 

一応、服に水しぶきが飛ばないようにとの配慮か、手を体から離してバタつかせているその姿は、俺より年上だなんて微塵も思えない。

 まぁ、さすがに、貸してやった背広で拭おうとしていたら、一発殴ってやろうと思っていたので、コイツは紙一重で俺の拳を避ける事に成功したという事だ。

 

「おい、手拭きくらい持ち歩け。このクソ」

「ん……えぇっ!?ビハインド!なんで此処に!?」

 

 水を空中で切りながら、俺の登場に驚くアウトの表情は、非常に滑稽で愉快だった。

 

どうしてここに?

そんなもん、お前の事が気になって見に来たんだ、なんて言いやしない。俺はこれ見よがしに、胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する仕草をしてみせると、その姿にアウトは「仕事?」と、尋ねてきた。

 

「どうだかな」

「ビハインドも大変だなぁ」

 

 余計な事は言わない。仕事ではないのだが、俺は特に肯定も否定もせずに、先程無駄に出した懐中時計を胸に仕舞った。まぁ、嘘はついていない。コイツが勝手に勘違いしただけだ。

 

「なぁ、アウト」

「なんだ?」

 

 これは既に四、五杯は酒を呑んだな。大分頬が赤い。

 俺は自分が今どんな顔をしているのか、ハッキリと理解しながらアウトに真正面から対峙した。そう、俺は今、嫌な笑みを浮かべている。

 

「お前って、マナが無いんだって?」

「……あぁ、もしかして。誰かから聞いた?」

「あぁ、お前に群がってた奴らがご丁寧に教えてくれたぜ」

「あははー。今はちょっと違うけど、まぁ、そうかも」

 

 アウトが何かを濁すような口調になる。コイツにしては珍しいな、と俺は目を細めてアウトを見た。

 

「お前は、インじゃないんだな」

「そうだよ」

 

 インかどうかの問いには、思いの外すんなり答える。まぁ、そもそもコイツは鼻から自分はインではない事を、俺に伝えていたのだから、ここまでは予想通りだ。

 

「なら、アウト。俺がインにとってオブの代用品だったように、お前はウィズにとってインの代替品なんだよ」

「違う、とは思うけど」

「自信はねぇんだろ?」

「だって、他の人の気持ちは、やっぱりどうしても分からないし。俺は“ぎょうかん”を読むのは苦手みたいなんだ」

 

 そう言って苦笑しながら後ろ髪を掻くアウトの表情は、やはり俺とコイツは似た者同士だな、と思わせるには十分だった。コイツも、俺のように幾度となく誰かと比較され、代わりのように扱われてきたに違いない。

 

「俺は、昔よーくウィズに言われてたぜ?」

「なんて?」

「俺は卑怯者なんだと。オブの執着心に付け込んで、インの寂しさにも付け込んだ、誠実さの欠片もないクズだってな」

「お、おぉ。ウィズも凄い事を言うな」

 

 アウトの瞳が、ほんの少しだけ見開かれる。

なぁ、アウト。そんな事を言うウィズは見た事がないだろう?なぁ、お前の知ってるウィズなんて、本当はほんの一部の、お綺麗な部分だけなんだよ。

だけどな、アウト。それは、お前が“イン”に似てるから、ウィズはお前に優しく紳士的に振る舞っているだけだ。

 

「今の俺を見ても、きっとアイツは同じように言うだろうよ。けど、俺は昔も今も、自分の行いを恥じちゃいねぇ。俺は自分にないモノを補うために、使えるモンは全部使ってきただけだ」

「ビハインド……」

「なぁ、アウト。けど、お前だって俺と同じだ。インの居ないアイツの心の隙に、うまぁく付け込んでんだ。確かに、お前とインは似てるからな。だったら、お前だって俺と同じ“卑怯”で“クズ”なんじゃないのか?」

 

 ここまで言われても尚、アウトは俺を正直で良いヤツなどと言ってくるだろうか。まぁ、どう思うにせよ、アウトにとって、一番痛い所を突いている自覚はある。むしろ、意図的にやっているのだ。

 俺は、ここでアウトを傷付ける。ウィズと恋人同士で居る事に置ける、最大の弱点である“イン”を突く。

 

「お前、本物のインが現れたら、確実にウィズに捨てられるぞ」

「…………」

 

 俺の言葉に、とうとう俺の目を見据えていたアウトの視線が俯いた。俯き、俺の言葉に耐えるように背広の腹の部分を握りしてめいた。高い背広に皺が寄る。しかし、まぁ、ソレは多目に見てやることにした。

 

「お前も心のどこかでは分かってる筈だ」

 

 傷付け。傷付け、傷付け。

 俺と同じなんだから、俺と同じような傷を、思い切り付けろ。そうしたら、俺はお前の鎧になってやってもいい。

 

 俺にとってアウトは、一番近い俺の“仲間”だ。

 互いに本物から挿げ替えられ、寂しさを埋める為だけに使われた道具だった。

 

「アウト。ウィズなんていう、いつか本物が現れたら目移りするような奴は止めておけ。俺だったら、お前の恋人にはなれないが、鎧にならなってやれる。お前を傷付ける奴らから、守ってやってもいいんだぜ」

 

 飴と鞭。痛みの後の、優しい手。孤独からの連帯。

 

「手始めに、恋人だって言ってさっきの会場に俺を連れて行けよ。まぁ、顔は殆どウィズだし、俺はここのオーナーでもある。不足はないだろう」

「…………」

「なぁ、アウト。お前をバカにした奴らに、一泡吹かせてやろうぜ?」

 

 そう、俺はアウトにそれらを用いた。人は辛さの中に与えられた救いに、手を伸ばさずにはおれない生き物だ。

 

「なぁ、アウト。どうする?」

 

 俺は俯くアウトに、畳みかけるように問いかけた。けれど、次の瞬間、俺は思わず眉を顰めてしまった。

 

「なぁ、ビハインド」

 

 俺の名を呼びながら、ゆっくりと顔を上げたアウトの表情は、まったく傷なんて負っちゃいなかった。かといって怒っている訳でもない。そのアウトの顔は、なんとも言えない、いつもの間の抜けたようなアウトの表情のままだった。

 

 おい、なんで傷ついてないんだよ。