11:恋人の居ぬ間に⑪~ウィズ出張中の2週間~

5:ビハインドは卑怯じゃない

 

 

——–なぁ、イン。聞こえてる?

 

 俺は自身の下腹部に手をやり、少しだけ目を閉じた。質の良い分厚い背広越しにも関わらず、腹に触れた途端、俺の掌に暖かい感覚が走る。

 そっか、そっか。やっぱりそうだよな。

 

「なぁ、ビハインド」

 

 早くビハインドに伝えたくて、 俺は下腹部へと向けていた視線を、パッとビハインドへと戻した。

 

けれど、何故かそこには眉間に深い皺を刻み、こちらを怪訝そうに見つめるビハインドの顔がある。

あぁ、なんて事だ。この顔は、驚く程にウィズそっくりじゃないか。

 これまで、ビハインドと関われば関わる程に、ウィズとビハインドは双子なのに、思ったより似ていないなぁなんて思っていたけれど。

 やっぱり二人は兄弟なんだな!

 

「っふふ」

「なんだよ」

 

そんな当たり前の事実が、なんだか俺にはおかしくて仕方がなかった。おかしかったから、俺はもう我慢をせずに笑う事にした。笑って、ビハインドの肩を叩きながら言ってやった。

 

「インは、お前をオブの代用品なんて思ってなかったぞ」

「は?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべていたビハインドが、その瞬間、物凄く間の抜けた声を上げた。それは、いつもの不敵な笑みを浮かべ、足を組むビハインドとは、全く違う姿だった。きっと、インでもないお前が何を言っているんだ、なんて思ってるのかもしれない。

 

 確かに俺は、ぎょうかんは読めない。けれど、この気持ちだけは“イン”に直接聞いたから分かるんだ。

 

「インは言ってた。オブが居なくなった後に、いっつも話しかけてくれた優しいお金持ちの友達がいたって。泣いてたら、どうした?って声をかけてくれて、甘いお菓子もくれたって」

「な、なにを」

 

 ビハインドに出会ってから、俺はマナの中のインに何度か尋ねてみた。もちろん、オブに聞かれると面倒なので、二人だけの時にコッソリと。

 

「皆して、オブの事は仕方ない。オブの事は忘れろって言われる中で、その子だけは、そうは言わなかったって」

「……」

「どうした?って、いつも泣いて上手く喋れないインの話を、黙って聞いてくれたんだよな?だからさ、」

 

 俺は、ウィズそっくりだけど全然ウィズとは違うビハインドのくすぶったような目を見つめた。

あぁ、この目は、よく知ってる。俺もよくした目だ。何をしても“誰か”の代わり。挿げ替えられる言葉。何を言っても、空しい気持ちばかりが募っていた毎日に、俺がよくしていた目だった。

 

「インの病気にも、一番最初に気付いてくれた」

「……お前、なんで」

 

 ここに来て、ビハインドの目が一気に見開かれた。

さっきまでの話は、ヴァイスの書いてくれたビィエル本の中に書いてあった内容と同じだ。けれど、これは本の中にも書かれていない内容だ。だってあの本の中のインは、病気にはならなかったから。

 もちろん、ウィズもオブも知らない。

 

「ビロウがニアに教えてくれたんだよな。アイツ、様子がおかしいって。具合が悪いのかもしれないって」

 

 インはオブが居なくて、ずっと寂しかった。毎日毎日泣いて過ごしていた。

けれど、だからと言ってずーっと、ずっと寂しさを感じていた訳じゃない。少なくとも、ビハインドが隣で話を聞いてくれている時は、寂しさからは解放されていた。

 

———ビロウはね!優しかったよ!俺の話をいっつも黙って聞いてくれたもん!毎日、会いに来てくれたし、俺の具合が悪い事にも、俺より先に気付いてくれた!

 

 それはビハインドがオブの代わりをしてくれていたからじゃない。

 

「ビハインド。お前は卑怯じゃないし、クズでもない。なぁ、寂しい時に傍に居てくれた人の事を、誰が卑怯者呼ばわりできる?」

「……そんなの、別に。たまたま、そこに居たのが俺だったってだけで。それに……言っただろうが。俺はインを利用してやろうと思って近付いたんだ」

 

 苦し気に顰められたビハインドの目が、ジッと俺の目を見つめる。

ビハインドはどうしてか、自分をとても“悪者”のように口にする。必死にそうあろうとする。

 

「インは“ビロウ”が会いに来てくれた事で、少しの間だけでも寂しさから解放されていたんだ。それのどこが卑怯?」

「別に、それは俺でなくても良かったんだ。オブが居なくなって寂しかったアイツは、誰でも良かった筈だ!別に“俺”だったからじゃないだろうが!たまたま、あの場所に居たのが俺だった!それだけだ!」

 

 どうして、ビハインドはそんな風に思うのだろう。ずっと、悪役をやろうとするのだろう。どうしてインの事となると、自信たっぷりのビハインドが居なくなってしまうのだろう。

 

「たまたま、じゃダメなのか?それでいいじゃないか。必要な時に傍に居てくれた。寂しかった時に、隣で黙って話を聞いてくれた。気持ちを否定されなかった。それって、たまたま“ビロウ”だったから、そうしてくれたんだろう?」

「でも!」

 

 その瞬間、俺の目の前に立っていた筈のビハインドが、その瞬間少しだけ幼い顔の少年に変わった気がした。

あぁ、もしかして。もしかして。君はビロウ?

 

「結局インは死んで、オブは変わっちまった!」

 

 ビハインドの悲鳴にも似た叫びに、俺はやっと分かった気がした。ビハインドはずっと後悔していたのだ。インに対して後ろめたさを感じていた訳ではない。ビハインドの、いや、ビロウの心の真ん中に居るのは、いつだって――。

 

オブか。