13:恋人の居ぬ間に⑬~ウィズ出張中の2週間~

 

7:今頃アウトはどうしているだろう

 

 

「アウト……」

 

 正直、俺は限界だった。

 俺はあてがわれた教会の自室にある机上で、文字通り頭を抱えていた。

 

「アウト、今頃……どうしているだろうか」

 

 そう、何度目ともつかぬ呟きが、俺の耳をつく。静まり返った部屋に響く、その暗い声は最早、誰かを呪い殺さんとする呪詛のようだ。

 

俺がこうして北部地方の教会へと派遣されて早十日。二週間と定められている出張期間の折り返し地点は過ぎたものの、後4日もアウトに会えないなんて地獄の極みとしか言いようがない。

 

「帰りたい……アウトに会いたい」

 

 俺の思考は、もはや完全にそれだけで埋め尽くされていた。

 それもそうだろう。普段なら平日は、毎日アウトが店にやって来てくれる。仕事がある為、泊まりはしないものの、それでも会えるのだ。顔を見て、会話をして、他の邪魔な奴らが居なければ二人きりの時間を過ごせる。

 

 そして、最もキツかったのが出張も六日目を過ぎた辺りからだった。

いつも週末には、アウトが俺の元に泊まりに来てくれる。泊りに来てくれたら、そこからはもう俺にとっては天国だ。誰にも邪魔されず、ずっとアウトと二人きりで過ごせる。

 

 互いに見つめ合い、会話を楽しみ、その肌に触れ、抱きしめ合う。そんな、とてつもない幸福に包まれた時間を、先週は一切過ごせなかった。

 

 地獄だ。

 地獄だろうとは思っていたが、こんなに辛いとは思ってもみなかった。俺はアウトが居なければ生きていけない。そう、改めて理解した。きっと、バイなどが聞いたら「重っ!キモチワルッ!」と一蹴されそうだが、俺はこの重みを自分で気に入っている。

 

 それに、アウトは俺がどんなに重かろうと、平気な顔で受け止めてくれるので、安心して俺は“重く”あれるのだ。

あぁ、もしかして、今頃アウトも俺と同じように、俺と会えぬ辛さで身を切るような思いをしていないだろうか。

 

「あうと」

 

 もしかして、俺の事が恋しくて泣いているのではないだろうか。

 

「……帰ろう」

 

 アウトの泣き顔を思い浮かべた瞬間、俺は自分も驚くほどに、それまで必死に耐えていた気持ちが決壊するのを感じた。

 

もう、決めた。

何か適当な理由を付けて、明日早めに帰都させてもらおう。もう10日も居たのだ。十分ではないか。あぁ、充分だ。

 

 そう、俺が決意を新たに机から顔を上げた時だ。

 

「やっほー!」

「っ!」

 

 俺しかいない筈の部屋の中に、聞きたくもない聞き慣れた声が響き渡った。

 

「お前……」

「久しぶり!石頭!コッチはどうだい?楽しいかい?」

「何故お前がここに居る。この飲んだくれが」

 

 俺は勝手に俺のベッドの上に腰かけてこちらに手を振るヴァイスの姿に、此方に来てほぼ仕事をしていなかった表情筋が、激しく動きだすのを感じた。

 つまりは、物凄く表情が歪んだ。

 

「やだなぁ!気の利かないお前が、ちゃあんとコッチの酒をお土産として用意しているのかチェックしに来たんじゃないか!」

 

 ヴァイスはそう言うや否や、最早ここが自分の部屋であるかのようにクローゼットを開き俺の荷物を漁り始めた。どうやら、俺がお目当ての酒を買っているのか、チェックしているらしい。

 

「俺の荷物に勝手に触るな!この飲んだくれ!」

「っあぁ!コレコレ!ちゃんと買ってあるじゃないか!偉いよ、石頭!」

「それはアウトへのお土産だ!お前のではない!」

「だーかーら!アウトが飲むと、アウトの経験値になってマナの中の酒場のラインナップが増えるんだよ!ふふん、だから、これは引いては僕へのお土産にもなるってわけさ!」

「腹が立つからそう言う事を言うな!?というか!お前はいつ此方に来た!?まさか、こんな下らない事の為に、向こうの仕事を放り出して来たのか!?」

 

 俺は腹の中に溜まっていたモヤつきを、ついでにヴァイスへと一気に吐き出す。俺はこんなにも耐えて耐えて過ごしているのに、この飲んだくれと来たら!

 腹が立つ腹が立つ腹が立つ腹が立つ!

 

あぁっ!アウトに会いたい!

 

「何を言ってるんだい?僕くらいになれば、物理法則を無視した移動くらい訳ないさ。アウトのマナの中から、ちょっと気になって来ただけ」

「っぐ」

 

 皇都からこの北部まで、馬車を使えば丸一日はかかる。けれど、コイツにとってはそんな物理的距離など、まったく関係ないらしい。

 正直、羨ましくて仕方がない。その力が俺にさえあれば、今の俺はこんなにも苦しまずに済んだだろうに。

 

「言っとくけど、お前如きのマナの総量じゃ無理だからね。僕とかアウトくらいあれば、余裕だけど」

「そうか!アウト!俺が出来ずとも、アウトなら……!」

 

 ヴァイスの言葉に、俺は天啓を得た気がした。そうだ、俺が無理でもアウトなら出来る筈なのだ。なにせ、今のアウトのマナの総量はこの世界の誰よりも多いのだから。

 そう、俺が一縷の望みをこの手に掴み切った時だ。

 

「でも、アウトはマナのコントロールなんて全然出来ないから無理だよ。急にこんな高度な事をさせたら、この教会を木っ端みじんにする可能性もあるんだから」

「っく」

 

 ヴァイスのもっともな言葉が俺の耳に突き刺さる。

 

そうだ。その通りである。

アウトはこれまでの人生で自身のマナをコントロールすると言った経験が皆無だ。そのせいで、急に得た大量のマナを使おうとすると、幼子に刃物を持たせるよりも危険な状況に陥ってしまう。

 

 しかし、だ。

 

「……こんな場所、木っ端みじんになってしまえ」

「ひえええ。怖いよコイツ!アウト欠乏症で、とんでもない事になってる!」

 

 正直、俺とアウトを引きはがす忌々しいこんな場所など、なくなってしまえとすら思う。

 

「戻ったら、アウトにマナのコントロールの仕方を徹底的に教え込まねば」

「アウトは嫌がると思うけどなぁ」

「嫌がらん。今回、アウトも俺と離れ離れで辛いはずだ。だとすれば、少しくらいは自身の膨大なマナの有効活用についての重要性を認識しただろうさ」

 

 俺が脳内に居る涙目のアウトに、思わず拳を握りしめてそう言うと、その瞬間ヴァイスが絵に描いたような大笑いを始めた。

 

「あはははは!お前っ!石頭で鉄仮面の癖にっ!随分とおめでたい事を考えているんだねっ!あははは!今日は良い日だ!来て良かった!」

「……おい、どういう意味だ」

「ぷくくくく!アウトは今、ものすごーく面白い状況になってるよ!これまでの十日間も、昨日の同窓会も!」

 

 そう言ってニンマリと笑うコイツの表情に、俺の全身からサッと血の気が引いた気がした。そうだ、昨日はアウトの高学の同窓会だと言っていた。

 それがどうした。面白い事になっている、だと?

 

「おいっ!それは一体どういう事だ!?」

「あはっ、これ以上はアウトの私事だからね!帰って本人に聞きな?けど、まぁアウトはアウトで色々あったけど、楽しそうだったよ!」

「はぁっ!?」

「じゃ、僕はこれで!」

「おいっ!待て!?まだ話は終わってっ」

 

 そう言って俺があの飲んだくれに手を伸ばした時、俺の手は何もない空を切っただけで、何も掴む事は出来なかった。

 

「……」

 

 俺はフルフルと自身の手が震えるのを見た。今アイツは一体なんと言った?アウトが楽しそう?俺が居ないのに?

 そして、面白い事になっているといったが、ソレは一体どんな状況だ。わからない。何も分からない。アウトに尋ねたくとも、俺は今アウトから遠く離れた地に立っている。

 

「……今すぐ帰るぞ」

 

 俺は震える掌に、一気に力強く拳を作り上げると勢いよく部屋を出た。ともかく、何でもいい。今が夜更けだろうが何だろうが。俺は一刻も早くこの場を立ち去り、アウトの元へと向かわねば。

 

「まがい物の急用には、肉親の死が……常套句だろうよ」

 

 ウィズはブツブツと呟きながら、上級神官の待つ部屋の扉へと手をかけた。

 

 

 

 その数時間後、ウィズは部屋から一気に荷物をまとめて北の地を後にした。北部教会の神官達は急に居なくなった、皇国本国のエリート神官の突然の帰還に皆、口をそろえてこう言った。

 

——-急に弟さんが亡くなったなんて。可哀想ね。