17:恋人の居ぬ間に⑰~ウィズ出張中の2週間~

 

11:あの頃とは違う

 

 

『なんだぁ?オブ。そんなに不安なのか?お前、昔言ってたじゃないか。インと自分はお前なんかにどうこう出来るような浅い繋がりじゃないんだってな!?どこ行ったんだよ!あの自信は!?』

『っくそ!お前……俺と同じく外から来たな?誰だ、こんなクズをこの中に招き入れたのは!?』

 

 苛立ちに満ちたオブの目が、俺からスルリと別の方へと向けられる。その視線の向けられた先には、まぁ、慌てふためく“アイツ”が居た。

 あれ?アイツ、何て名前だったっけ?

 

『アウト!?お前だな!!』

 

 アウト。

 そのどこか聞き慣れた、そしてどこか懐かしい筈の名前だと感じるのに、今の俺には妙に初めて聞くような気がしてならなかった。

 アウトというその若い男は、エプロン姿でその場に飛び上がると、一瞬にしてカウンターの下へと隠れてしまった。

 

 一体何なんだ、アイツは。

 

『良い大人が、何隠れてんだよ!?っていうか、最近お前は外の人間を安易に中に入れ過ぎだ!?ビッチか!?ウィズに言うぞ!漏れなく監禁されるからな!?』

『知らない!知らないです!俺はビロウって子は知りません!』

『知らない筈ないだろうが!お前!ビロウのこと気に入ってたじゃないか!』

『それはインもだろ!』

『あぁぁぁ!言うな言うな言うな!』

 

 見えなくなってしまった若い男に向かって、オブが拳を握り締める。そこに、それまでオブに言われっぱなしだった若い男。あの、アウトという男が一瞬だけカウンターの下から飛び出して来た。

 

『ビロウ!好きなだけオブと喧嘩しろ!店はどうなっても俺が修理するから大丈夫だ!』

 

 あぁ、なんだ。アイツ。何を言ってるんだ。

 

 しかし、次の瞬間には振り返ったオブによる『やっぱり、お前の仕業じゃないか!アウト!』という怒声を聞くや否やカウンターに引っ込んだ男に、俺は思わず笑ってしまっていた。

 

 わかった。アウト。

 お前から貰ったこの訳のわからない機会、充分に利用させて貰うさ。なにせ俺は“利用”するのは得意だからな。

 

『へぇ、イン。お前、俺のこと気に入ってんのか?』

『へ?』

『そう言えば言ってたもんな?ビロウは優しかったって。もし、この本みたいに、ビロウがお前を首都に誘ってたら、ついて来るくらいは好きだったんだろ?』

 

 そう言って、俺は先程インが俺に押し付けてきた例の本を取り出してやった。その行動に、それまでボケッとしていたインの表情が、一気に絶望へと塗り替えられる。

 

 あぁ、イン。お前はそんな顔も出来たんだな!初めて知ったよ!

 

『ダメダメダメダメ!隠して隠して!』

『その本……インッ!まだ持ってたのか!?……え?本当にインは、ビロウと?』

『燃やされるー!ヴァイスがせっかくコッソリくれたのに!』

『なぁ?イン、そうだよな?オブより、俺が好きなんだよな?だって俺なら傍に居てやれるもんなァ!アイツと違って!』

『あぁぁぁっ!黙れ黙れ黙れっ!これは夢だ!クソッ!ビロウっ!お前みたいな貴族の醜悪さを集めて丸めたようなゴミクズに、インは絶対に渡さないっ!』

 

 最早、何がなんだか俺にも分からない。

 分からないが、俺の傍で必死に俺の手にある本を見て口を抑えるインと、俺とインの並ぶ様に絶叫と怒声を響かせるオブ。

 

 それに対し、俺は嫌な笑みを浮かべる。

幼い頃から、オブだけには負けるなとお父様に言われ、俺自身もオブなんかに負けるかと思って生きて来た。俺が嫌な顔をしてオブを見てやれば、オブはもっと嫌な顔で俺を見て怒ってくる。

 

——–この、根暗!カビが生えそうだ!

——–うるさいっ!この汚い自惚れ屋が!

 

 そりゃあ、顔を合わせれば、これでもかという程互いに表情を歪め合い、口を開けば互いに口汚く罵り合ってきた。本当にオブという奴は、腹が立って仕方のない存在だった。

 

 けれど、あの狭い貴族社会で、オブと向き合っていた時の俺だけが、子供のように心のままに振る舞えた。

 

腹が立っても顔では笑え。

絶対に腹の底を他人に見せるな。

そう言われて育った俺にとって……オブは、あの村は……唯一、心のままだった。

 

『そうだよなぁ?俺はクズだ!お前をインから引き離す為に、お爺様に口添えして、お前を首都に帰らせた!そして、インは……死んだんだよな!?』

『っ!』

 

 俺は口にしながら、俺の声が妙に低くなっている事に気付いた。しかも、先程よりは視線が高くなっている気がする。

 あぁ、俺は一体どうしちまったんだ。

 

『ぁ』

 

 そして、それまで俺の隣で俺の持つ本に手を伸ばそうとしていたインの体がピシリと固まる。そして、微かに聞こえるのは、インの息を呑むような声。

 

 あぁ、そうだよ。お前がオブに会えなくなったのは、俺のせいなんだよ!イン!

 

『ビロウ……お前』

 

 オブの目が大きく見開かれる。その見開かれた瞳に映る俺は、どれほど憎らしく見えるだろうか。殺したい程?いいや、殺すだけじゃ、きっと物足りないはずだ!

 そりゃあそうだ。そもそも、コイツらの不幸は全部俺が呼んだのだ。俺が仕組んで、俺が――。

 

『俺が、お前らを引き裂いてやったビロウだ!さぁ、好きなだけクズと罵れよ!オブ!』

 

 そう、俺が自身の掌を胸に当て、オブの方へと体を前のめらせた時だった。

 

『うわぁぁぁぁっ!』

 

 俺の隣から、驚くほど明るい歓声にも似た悲鳴が上がった。それは、言わずもがな。インの声であった。