33:おしごと

 

 人間とはほんとうに面白い生き物だ。

 

 一つの感情や状況、物の名前にいくつもの呼び方を付けたりする。

 ほんとうに、ほんとうに面白い。

 

 この時の俺はまだ知らないのだが「猫の手も借りたい」というのも、とても忙しい事の“たとえ”らしい。

 

 人間とはある物事を別の物事にたとえる生き物である。

 たとえると言う事は、その気持ちをより分かりやすく、より直接的に他人に伝える為の手段だという。

 

 人間は他人に自分の気持ちを伝えて、わかって欲しい生き物なのだろう。

 わかってもらってどうしたいのかは俺にはよくわからない。

 

 でも、きっとそれは俺が猫なせいだろう。

 けれど、俺にもいつかそんな人間の気持が分かる日がくるだろうか。

 

 人間とは、ほんとうに面白い生き物だ。

 

 

 

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 俺はいつの間にか広くて見慣れないものがたくさんある建物の中に居た。

 

 入ったところには赤と青の布切れが上からぶら下げられており、そこには人間の文字が大きく書かれていた。

 

 なんだろう、ここは。

 どうなるのだろう、俺は。

 

 そんな掴めない状況の中俺はどうしているのかといえば――。

 

「こっち!ほら、早く!」

「う、うん」

「うんじゃない!返事は短くはい!でしょうが!」

「はっ、はい!」

 

 怒られていた。

 そして、キンキンのメスにぐいぐい腕を引っ張られる。

 

 それはもう、物凄い力で。

 

 俺は青の方の布の下をはらりと潜り抜けながら、俺の手を引っ張る人間のメスの後ろ姿を見た。

 

 猫の手が借りたいのに、俺の人間の手を引っ張ってきたメスは、体は小さいのにとても力強かった。

 ぐいぐい引っ張られて歩いている時、メスの毛がふわりと風に舞った。

 

 俺の鼻にふわりと微かに良い匂いが流れ込んで来る。

 これは、アカやしろにはない匂いだ。

 

 人間のメスはオスとは違って毛の長い生き物だ。

 たまに、メスでも短いのも居るけど、基本的にはオスよりも長い。

 このキンキンのメスの毛は肩くらいまである。

 明るい茶色い色の毛だ。

 

 しかし、次の瞬間には俺の前でフワフワと毛を靡かせていたメスがくるりと俺の方へと向き直った。

 

「ほら、これに着替えて!」

「え?え?」

 

 そう、戸惑う俺に向かってキンキンのメスから押し付けられたのは人間の洋服だった。

 色は上が白で、下が濃い青。

 

 なにやら、これは俺が今着ているものとは違って腕の部分も足の部分も布が足りていないように思える。

 そうやって俺が押しつけられた洋服を、首を傾げながら見ていると、キンキンのメスは「あぁぁもう!早く!」と言うなり、俺の着ていた前の固い丸のついた服に手をかけた。

 

 丸が穴から取れて前が開いていく。

 こんな風にして着たり脱いだりする服だったのか。

 よし、りかいした。

 

「こっちは夕方4時から店を開けなきゃなんないんだから!急いで!」

「は、はい!」

 

 俺は思わず大きな声で返事をすると、いつの間にか固い丸のついた服を脱がされ、今度は先程メスが手渡してきた、白くて袖の足りない服を頭から勢いよくかぶせられた。

 そのまま手と顔を服に空いていた穴から通される。

 

「っぷは!」

「下は自分で脱いで履く!」

「は、はい!」

 

 キンキンのメスのお陰で上の洋服の着方や脱ぎ方がわかった。

 

 下は……多分わかる。

 下の腹の部分の真ん中にも丸いのがついてるが、さっきのメスみたいに外せばいいのだろう。

 固い、意外と難しい。

 

 そう、俺が初めての人間の服に悪戦苦闘していると、キンキンのメスは不自然に俺から目を逸らしながら、しかしその口だけは動かし続けた。

 

「キミ、今更だけど何くん?」

「えっと、俺は……にーと」

 

 何くん?とは何だろう。

 そうは思いながらも、俺は先程賢い子供に言われた“にーと”という言葉が頭をよぎるのを感じた。そしたら、いつの間にか口にも出ていた。

 

「ニート君?あぁ、キミ珍しい髪の毛と目の色だと思ったら、三国ケ丘大学の留学生の子ね?最近は交換留学生みたいな子が増えたからねぇ。けど、あなた。とっても日本語上手いじゃない?すごい、すごい」

「………ん?」

「あ、銭湯は初めて?珍しいでしょう!外国じゃ湯船にゆっくり浸る文化はないからねぇ。早目に仕事が終わったらお湯に入れてあげてもいいわよー!」

「んんん?」

 

 このメスはとても凄い。

 一人でずっとぺらぺらと喋っている。

 

 そして、そんなメスの中で俺はいつの間にか名前が「ニート君」になっていた。

 “何くん?”というのは俺の名前を聞いていたらしい。

 

 俺はニートという名前でもなければ、外国人でもないのだが、どうにも俺に否定する暇は一切ない。

 俺はまだ人間に慣れていないから、一気にたくさん喋るのは難しい。

 ましてや、メスのぺらぺらの中に入って行くなんて絶対に無理だ。

 

 メスがペラペラと喋っている間に、俺はやっとの事で洋服を脱ぎ終え、貰った丈の短い服を履いた。こっちは固い丸はなにもなかったので簡単だ。

 

 そして、やっぱりこれは長さが足りないようで、それは俺の膝くらいまでしかなかった。

 これは、子供用の洋服なのではないだろうか。

 俺は子供ではないのだが。

 

 そんな俺の気持とは裏腹に、キンキンのメスは俺から逸らしていた目線をチラリと向けると、すぐに顔いっぱいに笑顔を作った。

 

「よし!やっと履いたわね!案外、似合ってるじゃない」

「これでいいのか?短くないか?へんじゃない?」

「変じゃないない!これから濡れるから半そで半ズボン!これがお風呂掃除で一番適した格好なの!」