2:ゆうふくママと、ひんこんママ①

1:生誕のお祝い

 

 

 自国を救う為に敵国へと潜入した男装の姫君は、敵国の王子様と最初こそ対立し合いますが、最後の頁では平和と永遠を誓い口付けを交わします。

帝国最強と謳われた美丈夫の騎士は、傷を負った時に手を差し伸べてくれた平凡な村娘に心を奪われます。幼い頃に離れ離れになってしまった泣き虫の幼馴染の男の子は、眉目秀麗な姿に成長し、逆に幼馴染の少女を守ります。

 

 そうやって、女の子には、みんな素敵な男の人が現れると思っていたのに。

 

 私の元にも、現れると思っていたのに。

 

「はぁ」

 

 私はガタゴトと揺れる馬車の中で、パタリと固い本の表紙を閉じました。

 読み終わった物語の余韻に浸るには、この馬車の中はあまりにも相応しくありません。なにせ、ずっと馬車に揺られているのです。少しだけ、お尻が痛みます。

 だからでしょう。せっかくの幸せな二人の結末に、集中できないのです。

 

 こうして帝国を出発し馬車に揺られ、どのくらいの時間が経ったでしょうか。

 見知らぬ寂れた街で、今まで三度の夜を越えました。そのどこの寝床も、屋敷のベッドのような柔らかさはなく、眠ることさえままなりません。

 

「まだ、かしら」

 

 窓の外に見えるのは、青々とした木々のうねり生える薄暗い森。背の高い建物など周囲にはまるでなく、そもそも人の気配が全くないように思えます。

 

「森を抜けたらすぐですよ。旦那様やオブ様も、さぞや驚かれる事でしょうね」

「……そうね。きっと驚くわ」

「喜ばれますよ」

「……」

 

 共に帝国を出発し、私の付き添いをしてくれているメイドのニースは、朗らかに微笑みながら私の方を見ます。

 ニースは私が嫁ぐずっと前、私が幼い頃から仕えてくれているメイドです。こないだ、孫が生まれたと言っていたのに、こんな所にまで付き合わせてしまって本当に申し訳なく思っています。

 

 でも、私はニースではない他のメイドとは余り交流がないので、ニースでないと嫌なのです。ニースでなければ、私はこうして気安く人と話す事もできませんから。

 

「でも、驚きましたよ。奥様が急にオブ様のお誕生日をお祝いしに行きたいとおっしゃるなんて」

「……ニース。奥様は止めてって言ってるじゃない。ここはお屋敷ではないから、名前で呼んでちょうだい」

 

 私は向かいに座るニースの、皺の濃くなった手にソッと触れます。昔はもっと張りのあったニースの手。さっき笑った時に出来た目尻の皺も、どんどん濃くなっていきます。ニースはどんどん年を取って、もうすぐ私へのお仕えもおしまいです。

 

 

——-奥様。長い間、本当にお世話になりました。貴方様にお仕えできて、私は本当に幸せでしたよ。

 

 

 それが、私は悲しくて、寂しくてたまらないのです。

 

「もう、本当に困った子ですねぇ。お母様になられても、いつまでも甘えん坊なんですから」

「好きでお母様になったわけではないわ」

「そんな事を言ってはいけません。オブ様にとっては、エクセプト様がこの世界で唯一のお母様なのですから」

 

 ニースが少しだけ困った顔で私に言います。そんな事を言われても、私は全然納得がいきません。貴族の“お役目”だと言われ、十六で知らぬ貴族の男の元へ嫁がされ、子供を作らされたのです。私が望んだわけでもないのに“唯一のお母様”なんて言われても、少しも嬉しくはないのです。

 

「そうね」

「そうですよ」

 

 けれど、そんな事を言ってはニースを困らせてしまいます。もうおばあちゃんのニースをこんな所まで連れて来て、既に十分困らせてはいるのでしょうけれど、それでも私は今この時だけでも我慢して頷きました。

 

「ほら、エクセプト様!外をご覧ください。着いたみたいですよ!」

「……」

 

 ニースの言葉に、私も馬車の窓から外を覗きます。

 すると、窓の外には先程までの鬱蒼とした森ではなく、小さな家がぽつぽつと見えました。そのどれもが、これまで通ってきた街のソレとは比べ物にならないくらい小さくて、そしてみすぼらしい有様です。

 

「此処に……」

 

 こんな所に、私の夫と息子は居るのです。少し、信じられません。

 

 街ではない、そこは小さな寂れた村でした。

 見慣れぬ馬車が現れたせいか、窓の外からそこに住む人々が皆して此方を見て来ます。わたしは知らない村人からの視線に耐えられず、窓から目を逸らしました。

 

「はやく、行きましょう」

「そうですよ。さぁ、早くお屋敷に行ってお二人を驚かせましょうね」

「……そうね」

 

 無理を言ってこんな遠い所までニースを連れてきたのです。

 だからお尻が痛くても、見慣れない場所で不安でも、私は我慢しなくてはなりません。帝国の首都から遠く離れたこの場所に、息子の生誕の日をお祝いしたいなんて嘘をついて、無理やりニースのお役目の“終わり”を先延ばしにしました。

 

 息子の生誕の日なんて、本当はどうでも良いのです。

 だって、私は“男”が、怖くて堪らないのですから。

 

 夫も、息子も、男の人なんて、みんな大っ嫌い。