324:親のエゴ

 

 

「ベスト、なぁ。ベスト。ダメじゃないか」

 

 

 プラスの言葉に、俺は体の外側は熱いのに、その芯がヒヤリと凍えるような、そんな妙な感覚に陥った。

 

 こんなプラス、俺は知らない。

 これは本当にプラスなのだろうか。

 

「し、しかし。プラス。俺は、お前を」

「ダメだ。なぁ、ベスト。お前は立派な夜の王様になるんだ。そして、世界を夜のままにして、今度こそずーっと俺と遊ぶんだ」

「プラ…」

 

 ベストがカラカラの喉で、どうにか声を出そうと喉を震えさせる。けれど、その途中で言葉は途切れ、ックと、喉が鳴った。

 

「今度、こそって」

「……」

「もし、かして……お前は」

「約束なんかもうしない。果たせなければ不幸になる。約束なんかしたせいで、苦しくても諦めきれなかった。置いていかれるのは嫌だったし、一人なんてもっと嫌なのに、約束のせいで生きる事に閉じ込められて、辛いだけだった。不幸だった」

「……スルー、か?」

「スルー?ベスト、“それ”は誰だ?」

「……」

 

 つらつらと止めどなく流れ出るプラスの言葉は、最近ではよく耳にしていたモノだ。プラスはルビー飲料で酔うと、いつもこんな風に前後脈絡のない内容の話を俺に零していた。こうなったプラスは、きっと自分でも何を言っているのか分かっていない。

 

 だから、スルーをソレ呼ばわりされたベストの浮かべる、この表情の意味も、きっと分かっちゃいないのだろう。

 そんなプラスに、俺はいつも「そうだね、そうだね」と何も分からず、ただただ頷く事しか出来なかった。

 

 一体、今プラスはどこに居るのだろう。

 此処に居るのは、誰なのだろう。

 

 俺は頭の中で想像した。

 現実の世界みたいに思い浮かべる。

 

 眼鏡を取れ。

 俺の今かけている“色眼鏡”じゃ、このプラスの事はよく見えない。ウマの合う、明るくて、優しくて、そして、変わり者の男という色眼鏡を外せ。

 外せ、外せ、外せ、外せ!

 

カランと、頭の中で音がした。

それはさっきプラスが自身の眼鏡を投げ捨てた音と、よく似た音だった。

 

——-俺、コレが無いと、色々と見え過ぎて頭が痛くなるんだ!見え過ぎたって良い事なんて一つもないな!

 

 頭が痛くなってもいい、俺はプラスの事をたくさんの色眼鏡で見たい。赤でも、青でも、緑でも、黄色でも、なんでもいい。

 大好きな人はいつ自分の目の前から居なくなるか分からないのだから。

 

——お父さん。俺のせいでお母さんとあんな事になって、後悔してない?

 

 居なくなった時に、後悔したって遅いんだ。

 聞きたくても、もう聞けない。会えない、触れない、抱きしめて貰えない。

 

 大好きだったお父さん。

 格好良かったお父さん。

 俺の記憶の中のお父さんは全部そう。だからこそ、俺は悔しい。

 

 嫌な所も、格好悪い所も、案外大した事ないって所も、もっとたくさん知りたかった。

 俺はお父さんの好きな所しか思い出せない、そんな今の自分が、悔しくてたまらない!

 

 からん。

 眼鏡を、外して。俺はまた、

 

 

 眼鏡をかけた。

 

 

 

「プラス。悪いけど、今日は俺も“そうだね”なんて言ってやれないよ」

「アウト……」

 

 プラスのうっすら熱の籠った瞳が、俺の姿を映す。けれど、その目はやっぱりいつものプラスの目ではなかった。なにせ、その目にはいつもの“友達”に対する気安さなんて微塵もない。

 あるのは、ただ純粋な“敵意”だけ。

 

「プラスは約束のせいで不幸になったんじゃない。約束に縛られて、自分で選ばなかったから、不幸になったんだ。その不幸に、今の“ベスト”を巻き込むな」

「っはは。アウト、お前は本当に何も分かってないんだな。分かってくれるって信じてたのに、ガッカリだ。見損なったよ」

 

 この瞬間、プラスの中で俺は完全に敵に認定された。俺はと言えば、ヴァイスの時から煮えたぎっていた腹の底が、この時はもう完全に爆発する寸前になっていた。

 

 何がガッカリだ。何が見損なっただ。

 お前の色眼鏡で見た俺にガッカリしただけで、俺の全部を否定するなよ!

 

「ウィズ」

 

 俺は拳を握りしめながら、チラと此方の様子を黙って見守ってくれていたウィズに話しかけた。

 どうやら、このタイミングで自分に話しかけられるとは思っていなかったのだろう。ウィズは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐにいつものように「どうした?」と俺に気づかわし気な視線を送ってくれた。

 

「俺は、今からベストの教育方針の違いでプラスと夫婦喧嘩をする」

「は?」

 

 ウィズのその呆けた声が、少しだけ俺の怒り狂ってジタバタともがいていた腹の虫を、宥めてくれた気がした。

 でも、そんなんじゃ俺の腹の虫は納まったりしない。納めさせてなるものか。

 

「大事な我が子の事だ、きっとどっちも手を抜かない」

「……いや、アウト。お前はいつもそうだが言葉の選定が少しおかしい。この場合、お前とプラスは“夫婦”ではないだろう」

「夫婦で合ってる。だって最初にプラスと話し合って、クジで俺がお父さんで、プラスがお母さんって決めたんだから」

「クジは話し合いではないっ!?」

 

 ウィズが机を叩いて立ち上がった。

 けれど、今の俺はウィズと“ちわげんか”をしている場合ではないのだ。

 

「ウィズ、そういう細かい事は最後にまとめて聞くから」

「恋人の言葉を質疑応答の対応みたいに流すな!?」

 

 未だに轢かないウィズに、俺はもうウィズを見なかった。これ以上、俺の腹の煮えたぎった怒りを、ウィズによって撫でられて、絆されてはたまらない。

 今、俺がしないといけないのは、恋人に「よしよし」してもらう事ではないのだ。

 

 俺がしないといけないのは、プラスとの我が子の将来を掛けた――。

 

「分かってないのはお前の方だ。プラス。子供はお前の寂しさを紛らわす都合の良いフワフワじゃないって思い知らせてやる」

 

 プラスとの本気の夫婦喧嘩だ。