「なぁ、アウト」
ガタリとプラスが椅子から立ち上がった。立ち上がって此方へと向かってくる。そのプラスの手には、これでもかという程力強く握りしめられた拳があった。
あれは、俺を殴る為の手だ。俺をねじ伏せ、従わせる為の手。
「お前は一度だって子供を育てた事があるか?ないだろ?だから、自由に生きろなんて軽々しく口に出来るんだ」
「じゃあ、子供をたくさん育て上げた親は、子供に何もするなって言うのか?自分の言う通りに生きろって、無理やり従わせるのか?」
俺もその場に立ち上がった。勿論、俺だって拳を作る。
「おいっ!いい加減にしろ!二人共!」
「おいおい、いつの間に喧嘩になってんだ!お前ら」
「アウト、プラス。急にどうしたんだよ……お前ら、なんて目ぇしてんだ。怖いよ」
周囲が何か騒いでいる。けれど、今の俺には何も関係なかった。
だって、俺の目にはプラスしか見えない。
目の前に、鼻先が触れる程近くにプラスが居る。互いの呼吸が触れ合うほど近いこの距離。こんな近くに他人を感じるなんて、恋人のウィズ以外に居ない。
「そんな極端な屁理屈を言うのは、お前が子供な証拠だ」
「自分を大人だって思い込んでるヤツの方が、子供なんじゃないのか?」
「っアウト!お前は!何も、何も、何も、何も!!何一つ、分かってない!!」
俺の言葉に、プラスが俺の胸倉を掴んだ。掴んで俺を射殺さん勢いで、鋭い眼光を向けてくる。
あぁ、プラスはこんな目も出来たのか。
これは紫色。そして、これもプラス。
カラン。また眼鏡を捨てた。
「自由って聞こえの良い言葉で、子育ての責任を放棄するな!?子供が誤った道に進もうとした時には、親は子供を殴ってでも、憎まれても、嫌われても止めなきゃならない!それが親の“愛”だ!“責任”だ!それを負おうとしないお前は、ただの親のごっこ遊びだ!」
「なんで進む道が誤ってるなんて言い切れる!?未来の事なんて誰にも分からないのに、そんな決めつけで子供の道を土砂崩れみたいに塞ぐのが、お前の言う親か!?笑わせるな!そんなのに“愛”って言葉を使うなよ!それは、ただその道に行って不幸になるかもしれない子供を見守る自分がその不安に堪えられないから、子供に安全な道を行かせたいだけだろうが!?」
俺の言葉に、プラスの目がカッと見開かれる。
そのまま、プラスは俺の胸倉を掴んでいた腕を自分の方へと一気に引き寄せると、作り上げていた拳で、勢いよく俺の頬を殴りつけた。
「分かるんだよ!親は子供の先を生きてる!目の前にある道の他に、別の道があるのも知ってる!汚れると分かっていてその道を行こうとする子の手を取ってやらないのは、育児放棄と同じだ!虐待だ!アウト!なんで、お前にはそれが分からない!?」
「っ」
殴られたせいで、口の中に血の味が広がった。あぁ、この感覚、この味、久しぶりだ。昔はよくアボードと喧嘩をして、よく口を切ったものだ。口の中ってさ、切れるとその後もずっと痛いんだ。喧嘩が終わっても、ごはんを食べる度に痛い。
そう、ずっと痛いんだ。
やっぱり、プラスから付けられた傷は、絶対に治らない。この時になって、俺は痛いって感覚が久しぶりである事を思い出した。
痛い、けれど……痛いって。目が覚める。
物凄く世界が、開ける。よく見える。世界がより一層、鮮明になった。
頭の片隅でそんな事をぼんやりと思っていると、ふらついた俺の体は傍にあったテーブルにぶつかった。ぶつかったついでに、床に倒れ込む。
「アウトっ!」
「っ来るな!今は二人で話さなきゃならないんだ!」
倒れ込んだ俺にウィズだろうか、アボードだろうか、バイだろうか。
誰かの声がキーンと響く。けれど、やっぱり俺はそれどころではない。
「俺は、本当はずっとお前が大嫌いだったよ。アウト。お前の目は、言葉は、笑顔も、何もかも、見ていると腹が立つ。辛くなる。何度、俺を見るなと思ったかしれない」
俺の倒れ込んだすぐ傍には、鈍い光をその目に湛えたプラスが立っていた。
その目はよく見ると、深く濁った泥のような色をしている。
あぁ、そうだ。これもプラスだ。
カラン。また眼鏡を捨てた。
「神官なんて皆クズだ!人間の最下層だ!子供に手を出し、自分の権力に溺れる!こんな奴らを作った奴が居るなら、俺はソイツもろとも世界中の神官をぶっ殺して、この世界から教会なんてものを全て消し去ってやる!」
ぶっ殺してやる!
そう言って、今は燃えるように真っ赤になったプラスの目が、チラと未だにテーブルで肘をついたまま、口角を上げて俺達の方を見ているヴァイスへと向けられた。
「なぁ、プラス。一つ聞きたいんだけど」
カラン。また、俺は眼鏡を捨てた。