「おら、ローラー!東部飛脚の奴らに手紙書け!誰がテメェらの尻拭い仕事なんかやってられっかよってなぁ!」
「はい!」
「おい!ローラー!こないだ急ぎで取り寄せた風冷服は!?」
「はい!えっと!」
「ローラー!昼飯はまだか!?腹っ減った!」
「はい!ちょっと待ってください!」
ローラー!ローラー!ローラー!ローラー!
「はいっ!」
その日、俺は朝から大忙しだった。
余りの貧弱さに、飛脚の仕事を降ろされてしまって早三年。ずっとずっと下っ端の俺は、郵便飛脚商会の事務員兼、買い出し係り兼、皆の料理係兼お世話係り兼……ともかく、この商会における全ての雑用をしている。
ここの皆は、俺より力も強くて、素早く動けて体力もあるけれど、それ以外はてんでダメだ。だから、俺は毎日毎日忙しい。
「お頭!手紙書きました!読んでください!」
「んな、しちめんどくせぇ事やってられっか!オラ、貸せ!」
「でも、東部飛脚に出す手紙だし……」
「お前は、こんなのもいちいち見てもらわなきゃ出来ねぇのか!この役立たず!もっとしっかりしろ!お前みたいに俺は暇じゃねぇんだよ!」
「……はい」
「風冷服は、もうそろそろ使うと思って保守点検に出してます!明日には戻ってきますよ!」
「はぁっ!?今日あちーから使おうと思ってたのによ!出す前に声かけろよな!?」
「いや、先週朝礼の時にちゃんと言っ」
「クソッ!オメェは外で仕事しねぇから分かんねぇだろうがな!こっちには死活問題なんだよ!」
「……すみません」
「はい!青椋のお肉たっぷりスープです!」
「はぁっ!?ローラー!青椋なんて青臭ぇもん入れてんじゃぇよ!肉入れろよ、肉!」
「お肉もいっぱい入ってますよ!しれに、青椋って夏バテに利くし、体に良いって宿屋のマーサさんが」
「あぁもう。俺、今日は外で食ってくるわ。いらね」
「……あ」
……今日は、本当に大忙しだった。
〇
「はぁぁっ」
最近、夏が極まってきたせいで、外で働く皆は、物凄くイライラしている。俺は、力も弱いし、ずっと室内で仕事をしているから、皆にとっては物凄く「いいよな、アイツは」って見えるのかもしれない。
でも、皆が外で汗を流している時、俺だって物凄く頑張ってるんだ。
男三十人分の洗濯物は、毎日、毎日、炎天下の洗濯場で土砂降りの雨に打たれたみたいになりながらやっているし、各商会とのやり取りだってミスが許されないから気が気じゃない。その中で、お客さんの対応もやって、皆のごはんの準備もする。買い出しは一回じゃ終わらないから、一日に三回くらい、市場と商会を往復したりしなきゃならない。
まぁ、買い出しに関して言えば、俺の力が弱いし荷物を沢山持てないから、そんな手間をかけてしまうのだけれど。
俺は手元に一口も口を付けられずに残った料理を見て、思わずズズと鼻をすすった。この料理だって、夏は体力が落ちるから少しでも栄養がつくようにと思って作ったのだ。宿屋のマーサさんにレシピにハズレはない。好き嫌いの事は知ってたから、青椋だって小さく小さく切ったのに。
「……俺も力が強かったら」
皆みたいに、ちゃんと外で同じ仕事が出来るんだけどなぁ。そうすれば、もっと“対等”に見て貰えただろうか。
「う、うぇ」
思わず涙が零れそうになる。
いけない、いけない。俺はただでさえ体が小さくて、年より下に見られがちなのに、こんな事で泣いてなどいられない。すると、台所で落ち込む俺の元に、楽しそうな大声が飛び込んできた。
「ゴーランド!お前やるじゃないか!あの荷物とあの距離を一日で届けきるなんて!」
「……」
「おいおい!ちったぁ嬉しそうにしろよ!お頭も褒めてたぜ!あそこは大口の取引先になるって!」
「……」
事務室の広間から、そんな声が聞こえてくる。
どうやら、ゴーランドが何か大きな成果を上げたらしい。そう、ゴーランドは俺と違って、体も大きいし、力も強い。おまけにとびきり素敵で、とっても可愛い。俺の初めての後輩だ。
「……いいなぁ」
俺より後に入ったのに、こんなにすぐに皆に褒められて必要とされている。俺なんて三年も居るのに、褒められるどころか、飛脚員を降格されて、今や一人だけ別の仕事を与えられているのに。
どんなに頑張っても「ありがとう」の一つ、貰えた事もない。
「仕事だから、当たり前だよな」
もうすっかり冷えてしまった料理を手に、ノロノロと台所の流しへと向かう。俺はさっき食事を済ませたし、この後、皆は外に出るので、この料理はもう誰に食べられる事もない。夏は食べ物もすぐに痛む。
もったいないけど、捨てるより他ないのだ。
「ローラー」
すると、俺が料理を流しに料理を捨てる直前。背後からとても低い、けれど親しみの籠った声が俺の名を呼んだ。
「ゴーランド?」
俺が料理を持ったまま振り返ると、そこには先程まで、先輩達にめいっぱい褒めてもらっていたゴーランドが、いつもの無表情でそこに立っていた。
よく見れば、その短い髪の毛は汗でじっとりと濡れており、飛脚用の制服も汗で胸や背中の部分が色濃くなっている。
元々浅黒いゴーランドの肌だったが、大分日に焼けたようで、その肌はまるで黒砂糖がしみ込んだような、肌の芯まで染みこむような色をしていた。
やっぱり外は暑かったのだろう。
——クソッ!オメェは外で仕事しねぇから分かんねぇだろうがな!こっちは死活問題なんだよ!
そう、今朝言われた言葉を思い出す。あぁ、もっと早く保守に出しておけばよかった。ゴーランドにも風冷服を着させてやりたかった。暑かっただろうな。
「ローラー」
再び、抑揚のない声が、俺の名を呼んだ。
一日ぶりのゴーランド。無表情だけど、俺には分かる。ゴーランドが少し嬉しそうだってこと。その真っ黒な、宝石みたいな目は、いつものようにキョロキョロせわしなく動いていない。
ジッと、俺の事を見ている。
ゴーランドは、俺に“褒めて”欲しいのだ。
そりゃあそうだ。
ゴーランドはとても凄い事をやってのけたのだ。昨日、急遽入った大口の仕事を、ゴーランドは一人で山向こうの商業都市まで運びきったのだ。
「うぶーむ!ゴーランド!」
うぶーむ。
サファリ語の「おかえりなさい」って意味の言葉。俺も大分サファリの言葉を覚えたのだ。俺は、流しの横に料理を置くと、悲しいのを堪えて頑張って笑ってみせた。
「ゴーランド!あつかったね!あせが、いっぱい!おつかれさま!……えっと、あでーどす!」
「……」
あでーどす。
サファリの言葉で「よくやった」とか「よくできました」と言う意味。
ゴーランドが小さく頷く。やはり外は暑かったのだろう。ゴーランドの頬は先程よりも色濃くなっている気がする。こうやって、素直に喜んでくれるから、きっと皆もいっぱいゴーランドを褒めたくなるのだ。
「ローラー」
「ん?どうしたの?ゴーランド」
「……」
「あ。あぁ、コレ。もう誰も食べる人が居ないから、捨てるところだよ。ポイッ、ジャーッてする!」
ゴーランドの視線が、流しの隣に置かれた料理に注がれる。俺はわざと元気に身振り手振りを使って答えた。ちょうどいい、この勢いで捨ててしまおう。
「ローラー」
「え?」
すると、ゴーランドの骨ばった大きな手が、料理を持つ俺の首をガシリと掴んだ。きっとゴーランドが本気を出せば、俺の手なんてポキリと折れてしまうに違いない。
そろそろと、ゴーランドの顔を見上げた。そこにはフルフルと首を横に振り、真剣な目で此方を見下ろすゴーランドの姿があった。
「でも、これ……あんまり美味しくないかも」
「ローラー」
「……ほんとに?」
「……」
食べるの?という気持ちを込めて「ほんとうに?」と首を傾げてみれば、ゴーランドは濃くなった顔色を更に赤黒くして頷いた。あぁ、水を汲んであげないと!
「わかった!無理して食べなくていいから!残したっていいからね!」
「……」
フルフル。横に振られる首。
そんなゴーランドに、俺は嬉しくなってゴーランドが食べている間中、俺は向かいの席で肘をついて、その見事な食べっぷりを眺めていた。
みるみるうちに口に運ばれる料理に、俺はさっきまでの悲しい気持ちも、ゴーランドが全部食べ尽くしてくれたような気がした。
「全部食べたねぇ!良かった!食べてくれてありがとう!ゴーランド」
「……」
そう、俺が空になった皿を引こうとした時だ。ゴーランドが首を傾げて此方を見ていた。どうしたのだろう。また、何か分からない事だろうか。
「ローラー」
「ん?」
俺は、しばらく何を言わずに待った。時には待つ事も必要だ。だって、今ゴーランドは物凄く頑張って伝えようとしてくれているのだから。
「ローラー……つくって、くれて。ありがとう」
「あ、」
そう、やっぱりどこかたどたどしく紡がれた言葉は、なんだかこの日の俺の気持ちの苦しさを、全部救い上げてくれた気がした。
ゴーランドに食べつくされた“悲しい”気持ちが、ちょっとだけ“嬉しい”に変換されて、俺の中に戻ってきた。それなのに、何故だろう。
「ごーらんど」
「っローラー!」
「ありがどうって、い゛っでくれで……ありがどう」
我慢していた筈の涙が、まさか“嬉しい”を貰ったこのタイミングで流れ出てくるとは思いもしなかった。俺は恥ずかしい事に、後輩でもあるゴーランドの前でズビズビと鼻を鳴らして泣いた。恥ずかしい。俺は思わず俯いた。
そんな俺を大きな体のゴーランドが、体を屈めてオロオロと俺の周囲を走り回る。体は大きいのに子供みたいだ。……いや、まだゴーランドは十五歳なのだ。大きいからって、大人な訳ではない。
「っうわ」
「ローラー」
突然、片手で目元を隠して俯いていた俺の眼前に、ゴーランドの宝石みたいな真っ黒い瞳が現れた。汗でしっとりと濡れた前髪が額に張り付き、その大きな手は先程のように、俺の手首を掴んでいる。
こんなの言葉を使わずとも分かる。
「ローラー」
——泣かないで。
近い。ゴーランドの体から、汗の匂いだろうか。鼻につく香りは、なんだか若くて少し甘酸っぱい匂いがした。掴まれた手は、やっぱり大きくて、酷く熱っぽい。
覗き込まれながら、俺はその余りにも十五歳とは思えないほど茹だった色気に、徐々に顔が熱くなるのを止められなかった。
「っは。う。ゴーランド……あの、近くて」
「……」
「はずか、しい」
絞り出すように俺の口から漏れた言葉は、ひっくり返ってとても間抜けな声だった。暑い。夏だから仕方ないけど、この熱さはちょっと違う気がする。すると、それまで首を傾げるような体勢で俺の顔を覗き込んでいたゴーランドが、物凄い跳躍をして俺から離れて行った。
まるで野生の獣のようだ。
俺がゴーランドの方を見ていると、ゴーランドは体を不自然に壁にくっつけ吊り下げられた人形のようにへばりついている。
「ゴーランド?」
「くっ、くさっ、か、っった!?」
「へ?」
今、ゴーランドは何を言った?いつもより声が大きくて、でもその声は俺以上に裏返っていて、俺には上手く聞き取れなかった。
『くっくさっっかった』とはどう言う意味だろう。そんな言葉はあっただろうか。部屋にあるサファリ語の本を見てみないと分からない。
そう、俺が壁に張り付いて「はぁはぁ」と肩で息をするゴーランドに「ゴーランド、もっとゆっくり言って」と声をかけると、そのままゴーランドは弾かれたように、俺の前から食事場から出て行ってしまった。
『……シャワーかな?』
俺は真っ赤になって汗を滴らせたゴーランドを思い出すと、そのままシャワーを浴びるゴーランドを想像して体が芯から熱くなるのを感じた。
「しっ、仕事をするぞ!」
俺は、まだ見た事のないゴーランドの裸体を想像してしまった自分を振り切るように声を上げると、そのまま腕まくりをして、先程ゴーランドが食べた皿を洗い始めた。
皿を洗う為に出てくる冷たい水は、けれど、ちっとも俺の体の熱を、取り払ってはくれなかった。
その後、何故かお頭やら周囲の皆から、やたらと「ありがとうな!ローラー!」と言われるようになったのだが、これは一体どういう事だろう。
次回、ゴーランド視点です。