5:海(小学5年生)その1

 

 

 俺、有明 海は小学五年生になっていた。

 

 

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へいちゃんと僕(2)

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「ねぇ、しっとる?」

「なん?」

 

 クラスメイトの女の子達の明るい喋り声が聞こえる。

 周囲をキョロキョロと見て、俺以外誰も居ない事を確認すると「これ、ナイショなんだけどね」と話し始める。

 

 五年生になった今も、俺は周囲にとって透明人間扱いだった。まぁ、もうこの頃の俺は、別に気にしてはいなかったけれど!!

 

「しずちゃんっちね、ゆうま君の事が好きなんやって!」

「そうなん!?」

「そうと!で、告白したんやって!」

 

 ウソー!と、女の子達からの歓声が聞こえる。俺は、それをぼんやりと聞き流しながら、ランドセルに教科書をつめた。

 

「したらね!つきあう事になったっち!でね、でね!」

 

 しずちゃんも、ゆうまくんも。俺は誰だっけ?と思い出そうとしてみた。けれど、この頃の俺にとっては、クラスメイトも教師も、地域の大人達も……両親でさえも、透明人間になっていた。

 

「二人で、一生いっしょにおるために、こんど、あのお城に行くんやって!」

「えーっ!お城っち、あの裏山の!?」

「そうとそうと!知っとるやろ?夜にあのお城に好きな人と二人で行くと、一生いっしょにいられるっていうやつ!」

「知っとる知っとる!大人にはナイショのおまじないっちゃろ?」

 

 女の子達はどんどん盛り上がる。

 そして、それまで余り興味もなく聞いていた話題が、そこで一気に俺の興味を引いたのだ。

 

「好きな人と、一生いっしょ?」

 

 そう、俺が呟いた時だ。

 

「海、帰るばい」

「……へいちゃん」

 

 俺のクラスにへいちゃんが迎えに来てくれた。教室の入口から、三年生の時よりは随分と身長の伸びたへいちゃんが、戸に手をかけている。そんな突然のへいちゃんの登場に、それまで騒がしかった女の子達が、一斉に黙る。

でもすぐに小声で話し始めた。「筑後君だ」「怖いね」「また、一ノ瀬君の事、殴ったらしいよ」と、ヒソヒソとウソばかりを話す。

 

 そんな女の子達の会話を聞きたくなくて……そして、へいちゃんに聞かせたくなくて、俺は、急いでランドセルを背負うと、わざとバタバタと音を立てて、へいちゃんの元へと走った。

 

「へいちゃん!今日もうちに寄ってく!?」

「うん」

「……あれ?へいんちゃん、その服、なんか」

「……ごめん、くさ」

「お味噌汁の良い匂いがするね!いいなぁっ!」

 

 俺はへいちゃんが自分の事を「臭い」と口にする前に、急いでその言葉を封じた。俺はへいちゃんが自分で自分を貶めるのが嫌だった。

 何があったかは知らないけれど、へいちゃんは臭くない。

 

 本当にお味噌汁の匂いがするだけ。きっと、今日の給食をこぼしたんだ。

 

「また一緒にお風呂はいろ!」

「……うん」

 

 頷くへいちゃんに、俺はさっきの女の子達の言葉を思い出していた。

 

——–夜にあのお城に好きな人と二人で行くと、一生いっしょにいられるって!

 

 そして、思い出した瞬間に、この時の俺は口を開いていた。

 

「へいちゃん。今日の夜になっても、帰らないで一緒に遊んでくれる?」

 

 この時の俺は完全に舞い上がっていた。

 好きな人、つまり、へいちゃんと一生いっしょに居られる方法が、あるかもしれない事に。子供でバカな俺は、驚いたような表情でこちらを見つめてくるへいちゃんに、たたみかけるように言った。

 

「おねがい、へいちゃん」

「……よかけど」

 

 へいちゃんは、他の子には怖いけど、俺にだけは優しい。「おねがい」って言えば、何でも聞いてくれる。俺はそれを知っていて、この時は既に、へいちゃんに対してたくさんのワガママを言っていた。

 

 うちに来て、学校に来て、一緒に遊んで、一緒にごはんを食べて、怪我しないで。

 

 なんて酷いワガママなんだろう。

 けれど、ずっと一人だった俺の前に現れた神様は、そんな俺のワガママを全部聞いてくれた。

 

『よかよ』

 

「夜になっても帰らないで」なんて本当にワガママだ。

 へいちゃんの家が普通の家じゃなかったら、きっとこんなの通らなかっただろう。

 

この頃の俺は、へいちゃんのお父さんが、へいちゃんに対して酷い暴力をふるっていた事を知っていた。だから、そんなへいちゃんのお父さんを俺は嫌っていたし、分かっている癖にへいちゃんを助けない周りの大人達も、全員嫌いだった。

 

ついでに言うと、全然帰ってこない俺の両親の事は、この頃大好きだった。なにせ、あの人たちが帰ってこないからこそ、こんなに自由にへいちゃんと遊べるのだから。

 

 勝手な大人達。

 けれど、彼らの“勝手”のお陰で、俺は毎日へいちゃんと遊べるのだ。

 

ただ、今のところ『泊まって行って』とは、まだ誘えていない。本当は誘いたいけれど、たまに、本当にたまに夜中に両親が帰ってきたりしていたせいで……俺は、まだへいちゃんをお泊りに誘えた事はなかったのだ。

 

「海、なんかしたい事でもあっとか?」

「……うん!へいちゃん!あのね!」

 

 俺は、へいちゃんの手をとってクルリと体を学校の裏山の方へと向けると、勢いよく裏山の方へと指を指した。

 

「夜、あのお城に一緒に行こ!」

「あそこって」

 

 俺の指さした先を目にしたへいちゃんは、その目を大きく開いた。そこには裏山の奥の方にひっそりと見える、まだ光っていないお城のテッペン先がみえる。

 

「あそこに好きな人と一緒に行くと、一生いっしょに居られるんだって!すごいよね!」

「……」

 

 勝手な大人達の勝手な事情に振り回されて、俺とへいちゃんは、いつまた離れ離れにさせられるか分からない。だから、俺は何でもいいから願いを叶えて欲しかったのだ。

 

「……わかった」

 

 その時、へいちゃんは珍しく方言で「よかよ」とは言わなかった。物凄く真剣な顔で、いつもとは違った、少しだけ緊張した顔で、ゆっくりと頷いてくれる。

 

 その時のへいちゃんは、いつもより格好良くて、俺はドキリと心臓が跳ねた気がした。