4:王の言葉

 

 

『……さぁ、建国史上おそらく最も独裁的で身勝手で愚かな王が玉座に着いた』

 

 

 俺はベンチから立ち上がると、そのままビールの缶を片手に、背筋を伸ばした。鼻から息を吸い込み、へその下にその空気を溜め込む。

 

『この最高の悲劇の瞬間に立ち会ってしまった、愛するクリプラントの諸君に、この声明を送る!』

 

 ゆっくりと口から息を吐く。体の中にある、嫌な気持ちも、惨めな想いも、全て台詞に乗せて吐き出してしまうように。腹をヘコませながら。

 

『諸君、私が見えるか! クリプラントの新たな王イーサだ! この先千年、私は諸君らの前に立ち続ける! この王の顔を、声を、その目と耳に焼き付けるがいい! 私は諸君らを停滞から変化という苦しみの中に誘う悪しき王だ!』

 

 ほらな!もう俺の中には何も残っちゃいない!

 

 俺はゴクゴクと飲み干した四本目のビールの空き缶を、公園の脇にあるごみ箱に投げ入れる。入らなかった。カランと乾いた音と共に、地面に缶が落ちる。でも、気にしない。

 

 さぁ、次の台詞だ。まだまだ、たくさんある!

 

『どうしてお前はそうやって俺から離れて行こうとするっ!』

 

 渡されていたイーサ役の台詞を、俺はビールを片手に次々と口にした。

 

そう、俺は知っていた。良くも悪くも、思考の全ては静寂の中に生まれ、肥大化していく事を。そして、放つ言葉が、渦巻く思考を消してしまう事も。

 

心の声は、実際に吐き出される声よりも……弱い!

心の声を消したければ、声で消す! 俺は、声だけなら誰にだってなれた筈なんだ!

 

 

——-サトシ! お前って、ほんっとーに、すっげー色々な声が出せるよな! オレもお前みたいになりてーなぁ!

 

 

『身分⁉ 俺達に一体どれ程の距離があるというんだっ! お前は俺の目の前に居るじゃないかっ!』

 

 俺は何度も何度も何度も、家の中で、心の中で成りたいと望んだ相手の言葉を繰り返し口にした。その合間に、残った酒を喉の奥に流し込みながら。

 

『ぶはっ! これは、うまいじゃないかっ!良い酒だっ!』

 

 少しだけ、酒を美味いと感じるようになった。

 これは、イーサ王が酒を好むキャラだったからだろうか。実際の所は知らない。与えられた台本には、そこまでの設定は書かれていないから。

 

『お前、面白い事を言うな? 人間の癖に』

 

 だから、これは俺の想像。

 俺の中に居た“イーサ”。

 

長命で魔法を操るエルフ達の住まう、クリプラント国の若きエルフの王。不敵で、無敵で、俺様で、少し不器用な所が、きっと世の中の女の子達の心を鷲掴みにしただろう!

 

 

 【セブンスナイト】シリーズ。

 そのナンバリングタイトルの最新作。第四弾。

 乙女ゲームの金字塔とも言われるシリーズの最新作だ。

 

 イーサはその攻略キャラの最後の一人。言わば隠しキャラだ。

 攻略キャラ六人分のクリアデータが無ければ、イーサの章は解禁されない。イーサは、セブンスナイト4の、完全に裏の主役だった。

 

『どうして同じ瞬間に生きているのに、時の流れが違う者が存在するのだろう。お前の一日と、俺の一日が、同じになればいいのに』

 

あぁ、そうだ!

俺は今、イーサなのだ。この台詞を口にする時、俺はいつだって未来の自分がイーサ役として、マイクの前に立っている姿を本気で夢見ていた。

 

『ほう、迷い伝書堂鳩とは珍しい。どこぞの誰が王たる私に、こんな夜中に堂鳩を飛ばす?』

 

 俺は全ての酒を呑み干し、しみったれた夜の公園から飛び出した。

 

「っはぁ、っはぁ。っはぁぁぁっ」

 

その頃には、酒に酔い、最高の気分だった。オーディションに落とされた役柄の台詞を口にして、踊るように誰も居ない夜を駆ける。

 

『会いたかったっ! ずっと、ずっと……私は、俺は……お前に会いたかった!』

 

 高揚する。

 俺の声、悪くないじゃないか!

 

走った後でも全然ブレていない。酒にも踊らされていない。それなのに……どうして、俺じゃないのだろう。どうして、金弥なのだろう。

 

———サートシ! ビットのセリフ言ってー!

 

 そこは橋の上だった。

 覗き込めば、星空と月の光が反射して、水面がキラキラと光っている。

 

「……なぁ、キン。俺の声を聴けよ。俺のがお前より絶対に上手だぞ。ビットも、イーサも、その他。どんなキャラも……俺の方が上手だ!昔から、そうだっただろ?」

 

 クラクラした。

 いつの間にか、俺の視界の先には、俺からイーサ役を奪った金弥が立っていた……気がした。

 

「そこで聴いてろ、キン。俺がお手本を見せてやる」

 

もう完全に酔っ払いだ。でも、いい。今は酔っていたい。

 

『……さぁ、』

 

 きっとイーサ王は、もっと高い所から国民に向かってスピーチをしたはずだ。そう思った時には、俺は橋の淵に手をかけていた。手をかけ「よいしょ」と、片足を橋の細い手すりによじ登らせる。

 

『建国史上……』

 

 あぁ、きっとここなら、もっとイーサになりきれるかもしれない。だってこの橋はかなり高い。あぁ、そうそう。そういえばここ、自殺の名所とかって言われてたっけ。

 

 それくらい高い。だから、いい!

 

『おそらく最も独裁的で』

 

 イーサは宮殿のバルコニーから、集まった国民を前に盛大に声を響かせるのだから! このくらい高くなくてどうする!

 

 俺はイーサ王だ!

 

『身勝手で愚かな王が玉座に着いた!』

 

 俺は両足を手すりによじ登らせ、そのまま気分良く立ち上がった。

 

高い!ここだ、ここでイーサは愛するエルフの民達に向かって、停滞から変化の激動の時代へと、その身を投じさせる決意をさせる!

 

 国の繁栄と、そして――

 

『私は愛する諸君らと、そして愛しいたった一人の人間の為に……ありったけの勇気を持つ事をここに誓う』

 

 その瞬間、俺の体は前のめりになった。

だってそうだろ。目の前には、愛する国民達が、こちらを希望の目で見つめているのだ。だったら、前へと踏み出さねば。スピーチは言葉だけで行うものではない。

 

 体全体で、その身をもってして、伝えるものだ。

 

『……神の加護が我々とともにあらんことを』

 

 そう、俺がイーサ王のスピーチの締めを口にした瞬間。

 

俺の視界はグラリと揺れていた。揺れ、そして上半身にかかる、重力と言う名の抗いようもない力に手をひかれ、細い足場に乗っていた足が、空を切った。

 

「っへ?」

 

 これはイーサの台詞ではない。こんな呆けた台詞、イーサ王の筈がない。

そう、これは。既に、真っ逆さまに落っこちていた……俺の、仲本聡志の――

 

 

「なっ!なかもと、さとしはっ……おっ、ち、おっこちて、い…おっうわぁぁぁあぁぁっ!!」

 

 

 仲本 聡志。

 二十五歳。自殺の名所で気分良く、オーディションに落ちた役柄の台詞を口にしていたら、なんと。

 

 

 人生からも、落ちていた。