3:消したい心

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「……あーぁ」

 

 当てもなく走り回って到着した先は、まったくもって見慣れぬ公園だった。

申し訳程度に砂場やら、ブランコやら、何かわけの分からない動物の遊具やらがある脇のベンチで、俺は肩を落として座り込んでいた。

 

頭がぼーっとする。泣いたせいか、目元が熱い。ヒリヒリする。

 

「っひく……ッヒク」

 

あぁ、そうか。俺は酔っぱらっているのか。

 

「仲本聡志の手には三本目の缶ビールが握られていた。その味は決して美味しいとは言えなかったが、徐々に酩酊する思考を、聡志はここぞとばかりに受け入れていた」

 

 そう、ボソボソと、けれど先程よりもハッキリとセルフ語り部を続ける俺に対し、怪訝そうな顔を向けてくる他人は、もうここには居ない。居たら、さすがにもう少し声を落としていただろう。こんな寂れた公園に、こんな夜中に居るのは俺くらいなものだ。

 

 あぁ、久々に酒なんて飲んだ。

いや、殆ど初めてに近いかもしれない。

 

 オーディションを受けながら、バイトに明け暮れる毎日。

そんな中、人並みの生活を維持するのは中々に困難で、アルコールなんていう嗜好品は、成人してからこれまでの五年間、殆ど口にする機会に恵まれてこなかった。

 

「まずい……」

 

 腰かけるベンチの隣には、飲み干したビールの空き缶と、まだ飲んでいない大量のアルコールの缶がズラリと並んでいる。さて、そろそろ四本目の旅路へ向かおうではないか。

なにせ、なけなしの金で買ってしまったのだ。

 

「飲まない訳にはいくまい。仲本聡志は、実際の所、全く美味いとは感じない酒に、更に手を伸ばしたのだった」

 

 プルタブに指をかける。少しだけ目を閉じた。

プシュッと缶の中から空気の抜ける音が、微かに俺の耳に響く。この弾けるような音が、俺は昔から好きだった。

 

「……あっつ」

 

 殆ど飲まないせいで、酒がここまで体温を上げてくるモノだとは思ってもみなかった。明日から十一月だというのに、俺は着ていた上着を脱いで半袖のシャツ一枚になる

 

 今頃、金弥はどうしているだろうか。

 

「そう、仲本聡志は思った。アイツの事だ、返事が来なくとも、きっと聡志のアパートに向かって、勝手に鍵を開けて部屋に入り込んでいる事だろう」

 

 セルフ語り部の台詞が、妙に他人事のように、しらしらと語られる。身にまとう酩酊感のせいで、ソレは本当に他人事のようだった。

 

……まぁ、そうなるように、俺が仕向けているのだが。

 

「あぁぁぁっ、帰りたくねぇ」

 

 けれど、こうやって突如として湧き上がってくる“仲本聡志”の紛れもない本心の欠片。すると、次の瞬間、様々な想いが張り巡らされた糸を引くように、一気に俺の心を絡め取ってしまった。

 

「帰りたくねぇ、かえりたくねぇ。会いたくねぇ、もう消えちまいてぇぇ」

 

そりゃあそうだ。金弥は選ばれ、俺は選ばれなかった。

 

切り離したくとも、この心の中にドス黒く湧き上がる感情を切り離す事など出来そうもない。手にもっていた四本目のアルコールの缶に、自然と力が籠る。

 

「なぁにが! 聡志はスゲェだ! なぁにがアイツらは聡志の凄さを分かってないだけだっ! なぁにが、あんな女じゃ聡志の良さはわかんねぇだっ! なぁにが、イーサ役受かったよだっ! っくそ!金弥の奴!馬鹿にしやがって!」

 

 セルフ語り部よ、お前は一体どこへ行った。

頼むから帰って来てくれ。こんなの、ただの聞き苦しい負け惜しみじゃないか。

 

 俺の口から放たれる声は、完全に揺らぎ、芯を失っていた。声の流れがブレブレで、酒のせいなのか、喉の震えを普段のように鋭敏に感じる事が出来ない。腹から声を出している感覚もない。

 

 あぁもう、なんて酷い声だ。

 止まれ、止まれ、止まれ。

 

「アイツなんて、ただ顔が良いから選ばれただけだろうがっ!」

 

 止まれ、止まれ、止まれ!

 これ以上言うな。言っても俺が惨めになるだけだろうがっ!

 

「あんな大した実力もねぇ奴が通るんだ! アイツは顔も愛嬌もいいもんなっ! あーぁ、いいねぇ! 顔が良けりゃ大した実力がなくても選ばれるって! うらやましーぜ!」

 

 俺のユラユラに揺れる酷い声と、聞いちゃいられない言葉の数々が耳をつく。

 

あぁ、耳を塞ぎたい。こんな事言う奴が自分だなんて思いたくない。

 金弥が顔だけで選ばれた?笑わせる。

 

あそこが、そんな甘い世界な訳あるかよ。

 

 

『サトシ―!母ちゃんに聞いたら、本気なら養成所も行っていいってー!絶対に一緒に養成所入ろうな!』

 

 

 金弥。

 小学生の頃は、あんなにバカだったのに中学に上がる頃には、夢の事で親に文句を言わせない為だって言って急に成績を上げてきた。部活にこそ入りはしなかったが、アイツはずっと家で体を鍛えていたのを知っている。日に日に、逞しくなっていく体。

 

 気付けば、アイツの声優への夢は俺の“背景”ではなくなっていた。

 

 

『サトシ、ちょっと二人で台詞の読み合わせしようぜ!こないだの最終話! 全部、台詞起こしといたからさ! なー! いいだろ?』

 

 

 いつの間にか自分で身なりを整えるようになり、襟だってヨレてない、もちろん歯にヘンなものはくっつけてなどいない。背はグングン伸びて、俺なんてすぐに追い越された。

 

 ただ、俺に向けてくる人懐っこい笑顔だけは、ずっと変わらなかった。

 

 

『あー、昨日の女子? なんか俺の事好きなんだってさ。でも俺、そんな暇ねーしな。そんな事よりサトシ! 昨日発売された声優名鑑見たか⁉ 紫原さんのインタビュー! めちゃ格好良いよな⁉』

 

 

 金弥はいつも前だけを見ていた。自分の歩む両脇にある沢山の誘惑など見向きもせず。それこそアニメの“主人公”みたいに。

 アイツの夢も、アイツ自身も、いつの間にか俺の背景から、俺のド真ん中を牛耳るようになった。

 

隣に居た筈の金弥の、俺はいつから背中を見つめるようになった?

 

 

「俺の居場所が無くなった……そう、俺は思った」

 

 

一人称視点の語り。

これじゃあ、気持ちを切り離せないじゃないか。意味がない。でも、切り離せない。

 

「全部、俺の真似ばっかりだった癖に……キンの奴……失敗すればいいのに。似合わない声だって言われて叩かれて、もう声優なんて出来なくなれば、」

 

――いいのに。

 

 その瞬間、俺は慌てて手に持っていた缶ビールでその口を塞いだ。

 ダメだダメだダメだダメだ

 

「クソがっ!!」

 

 これ以上、口にしたら今度は俺は“俺”を貶める事になる。

これ以上、惨めな気持ちになりたくない。

 

もう何も考えたくない。何も考えないようにしなければ。セルフ語り部じゃ、もうどうしようもない。上手く気持ちが切り離せないっ!

 

 

 ならば――。