7:おはなしのじかん!

 

 

≪これは、ぼくが、まっくらなくやらみの中から、この世界にひっぱりあげられた時のおはなしだ≫

 

 

 俺は、念のため扉から数歩下がっておくことにした。また、扉ごと吹っ飛ばされては敵わないからだ。中からは何も聞こえない。

 

≪ぼくが、いつからここにいたのかは、ぼくも分からない。ただ、きがついたら、ぼくはここにいた≫

 

 久々に腹から声を出した気がした。やっぱり気持ちが良い。

 これは、【ぼくの、わたしの、おとぎ話】という、教育番組の語り部をピンチヒッターとして請け負った時の声だ。

 

少し高めの、少年のような声。この声を出す時、俺の顔は自然と上を向く。まるで、子供の頃の俺に戻ったように。

 

≪まっくらな世界の中に、ぼくだけが居た≫

 

 ゆっくり、幼い子供に語りかけるように。

 けれど、ずっしりと、適度に物語の重心を保たせるような声で。ただし、少しずつ、登場人物の性格を表に出していく事も忘れない。

 

 

≪そんな真っ暗な世界が、ある時、一気にひらけた≫

 

 

 やはり、部屋の中からは何も聞こえない。ただし、こないだのように部屋の戸が激しく叩かれる事も、勢いよく扉が開く事もない。

 

 よし、よしよしよし!

 反応が無い事が、今は一番嬉しい! それって、中に居るヤツは、ちゃんと俺の声を聞いてるって事だろ?

 そういう事で、いいんだよな?

 

≪ありゃあっ! 桃の中から、赤ん坊が出てきた! なんだかうれしそうな声が聞こえる。うう、まぶしい。あれ、まぶしいってなんだろう?≫

 

 ハイ、このお話。桃太郎でした。

 多分、日本人で知らないヤツなんか居ないんじゃないだろうか。

 

 誰もが知る有名な「おとぎ話」。

 幼い子供に対しても、物語の全容が掴みやすいように、三人称視点で語られる事の多いそれを、敢えて一人称視点で語るのだ。

 だからこそ、番組のタイトルは【ぼくの、わたしの、おとぎ話】なのだ。

 

 でも、きっとこのセブンスナイトの世界に、桃太郎というお話はない。だとすれば、ここで俺が口にするお話は、紛れもなくこの世界で初めての「桃太郎」だ。

 

≪おじいさん、この子の名前は何にしましょうか?≫

≪ なまえ? なまえってなんだろう? ぼくがそんな事を思っていると、もう一人は、うーんと考えるような声をだした≫

 

 一人の語り部、一人称視点の物語。

お話の流れよりも、登場人物の気持ちにフォーカスしている。たったソレだけの事なのに、もともと知っていた筈の物語が、まったく別のお話みたいになるのだ。

 

昔からある、俺も好きだった番組。

 

 そう、なにせ俺はこの番組で「一人称」「三人称」という物語の語り口を知ったのだ。

 

「……そこから、仲本聡志の、この変な癖は生まれた」

 

 そうそう。

そうだった、そうだった。

 俺は久々に思い出した、昔懐かしいテレビ番組に思いを馳せて思わず笑ってしまった。一人称でこんなにも知っている筈の物語の見え方が変わるのだ。

 

 だとすれば……一人称を、三人称にすればどうなるのだろう、と。

 

「……そっからだったな」

 

すると、その瞬間、ドンと扉を叩く音が目の前で響いた。思わず、あの日を思い出し、反射的にその場から飛退いた。

ビビったー! え、急に何だよ!?

 

 ドン、ドン。

 

「ん?」

 

 その、乱暴さのない、まるでノックをするような、何かを求めるような戸を叩く音に、俺は、今度こそハッキリと笑ってしまった。

 

「ははっ!そっか、そっか。話が途中だったな!ごめん」

 

 早く続きを話せ、とでも言っているのだろう。

 多分そう、きっと、そうだ。

 

 

「お前は……聞いて、くれてるんだな」

俺の、声を。

 

 

 聞こえるか聞こえないか分からない程のソッとした声で、思わず、仲本聡志の本心が漏れた。すると、先程まで「ドン、ドン」と、一定のリズムで戸を叩いていた音が、ピタリと止む。

 

 そう、ここには確かに“居る”のだ。

 

 俺の話を……俺の声を、聞いてくれているヤツが。その事実が、これまでの虚無感に支配されていた“仲本 聡志”の心を、簡単に解き放ってくれた。

 

≪ももたろうにしよう! この子の名前はももたろう! 桃から生まれた! だから、≫

 

 そういえば、この世界に“桃”は存在するのだろうか。

そう、思ったものの、それは些細な問題だと俺は、閉ざされた扉に向かって鼻から、目一杯腹に息を溜め込んだ。

 

 

≪桃太郎だ!≫

 

 

 あぁっ! やっぱ、声を出すって気持ちいいわ!

 

≪その日から、ぼくは桃太郎になった≫

 その日から、俺の扉越しのお話会は始まった。