11:初めての会話

 

 

「分かるか?こう、コンコンって」

 

 俺は出来る限り声を落ち着けて、静かに声をかける。

【ぼくと、わたしのおとぎ話】のピンチヒッターに入った時に、番組スタッフから言われた言葉を思い出しながら。

 

——最初は、眠る前の子供に話しかけるような口調で。静かに、そして、優しく。相手の部屋の扉を静かにノックするような声で頼むよ。

 

 背にした扉を、ゆるく拳にした手の甲で、最初は一回、次に二回、叩いてみる。

 

「どうだ?これなら出来そうか?」

 

 イーサが、どうして声を出したくないのかは分からない。けれど、こうして百年も部屋に閉じこもり、他者との接触を頑なに絶っているのだ。

 きっと、何か理由があるのだろう。

 

「イーサ」

 

 俺は扉に後頭部をくっつけ、少しだけ天井を仰ぎ見た。

 

「海って、知ってるか?」

 

 きっと、最初の俺はイーサを酷く怖がらせた事だろう。なにせ、喋りたくない相手に、喋る事を、声を出す事を強要したのだから。

 

『イーサッ! 居るんだろ!? お前の声を聞かせろよ!? なぁっ! おいっ!なんか喋れっ! 答えを教えてくれよっ! 俺は間違ってたのか!?』

 

 あぁ、俺はなんて酷い奴だ!

 あんなのはノックとは言わない!乱暴な侵入者だ!

 吹っ飛ばされて当然!

 

……でも、あれはスゲェ痛かった。夢の癖にな。

 

「そう、仲本聡志が思った時だった」

 

 コン。

 

 俺の耳に、一度だけ、控えめに戸が叩かれる音がした。空気の振動が、戸にくっつけた後頭部に振動として伝わる。

 

 そうか、そうか。……そっか!

 俺は思わず、勢いよくノックの音に被せるように声を出してしまいそうになるのを必死に堪えた。あくまで、落ち着いて。相手の意思を尊重しなければ。

 

「知ってるか。じゃあ、直接見た事はあるか?見た事あったら一回。なかったら二回」

 

 

 コン、コン。

 

 今度は先程よりも、少しばかりしっかりとした音だ。

 そうか、予想通りだ。やっぱり見た事はないらしい。

 

確か、クリプラントは内陸国だった筈だ。しかも森の中で結界に守られている、鎖国状態の国。そんな国の中で更に、百年も引きこもって……いや、外界と鎖国令を敷いているイーサが、本物の海を見た事がある訳がない。

 

「じゃあ、海がどんな所かちゃんと説明してやらないとなぁ。イーサ。今日は海に住む、人魚って種族の女の子と人間の王子様の恋の話だ」

 

 海を知らないのであれば、海と人魚の説明は厚くした方が良いだろう。分からなきゃ、主人公の人魚姫の気持ちに集中できない。

 

「このお話は、闘ったり怖いモノは出てこないから安心していいぞ。イーサ王子サマは、怖いのは苦手だもんなぁ?」

 

 これは、別に返事を求めて放った言葉ではなかった。けれど、ここに来てイーサという王子様の事が少しだけ分かった気がした。

 

ゴン!ゴン!

 

少しだけ強く、そして乱暴に二度、戸が叩かれる。

そう、俺は前の二つの質問で、肯定なら一度、否定なら二度のノックを提案した。そして、今、この戸は乱暴に二度叩かれた。

 

と、言う事は、だ。

 

「っふは! ウソつけ! 怖がってただろうが! なら、今日は【人魚姫】じゃなくて、別の怖いヤツが出てくる話にしてやろうか? そうだ【ヘンゼルとグレーテル】なんてどうだ?親に捨てられた二人の兄妹が、悪い魔女に捕まって、それから食われる為にどんどん太らされて、最後には……」

 

 ゴンゴンゴンゴン!

 

 めちゃくちゃに戸が叩かれる。

 お陰で扉に背と後頭部をもたれさせていた俺に、酷い振動が伝わった。というか、どんどん強くなる。

 

いってぇ!後頭部イテぇから!

 

「お前!明らかに怖がってんじゃねーか!?」

 

ゴンゴンゴンゴン!ゴンゴンゴンゴン!

 

いやいやいやいや!むしろこの戸を叩く音が怖いわ!ホラーかよ!?

 

「あぁもう! 分かった分かった! お前は怖がってはいないけど、怖い話は嫌って事だな! そう言う事にしておいてやるよ!もう、お話を始めるから大人しくしろ!」

 

 すると、その瞬間。

 それまで、けたたましく鳴り響いていた戸を叩く音がぴたりと止まった。どうやら、お話は早く聞きたいらしい。

 

「ほんとに大人しくなったよ……」

 きっと、今頃扉の向こうでは、戸を叩いていた手をピタリと扉にくっつけ、耳は戸に押し当てているに違いない。

 

「っくく。いいなぁ、イーサ。お前、ほんっと、いいわ」

 

 まったく、困った。

 イーサのこういう所が、俺の細部への凝り性に拍車をかけるのだ。こんなに俺の話を聞いてくれるヤツなんて、ほんとに……。

 

「……キンみたいだ」

 

俺は小さく呟くと、胸ポケットに入れていた小さな手帳を取り出した。そして、乱雑に書かれた台本にサッと目を通す。

 

よーし、海と人魚の描写は厚く、そして人魚姫の心情は情感たっぷりに語ってやろうじゃないか。

怖くはないけれど、絶対に感動で泣かせてやる!

 

「そう、仲本聡志は腕まくりをして立ち上がると、分厚い扉の向こうに居る筈のイーサを想像した」

 

 きっと、そこには毛布にくるまって扉に耳をくっつける、おふとんおばけが居るに違いない。そんなおふとんおばけが、先程まで物凄い勢いで戸を叩いていた訳か。

 

「……ふむ」

 

 そして、それが【セブンスナイト4】では、裏の主役とも呼ばれ、カリスマ性のある何様俺様イーサ様……そして、このクリプラント国の王……

 

「っぶはっ!」

 

 想像すると笑える。ってか、もう笑った。しかも、ヤバイ。これは完全にツボに入ってしまうパターンのヤツだ。

 

「……いや、やめろ。想像したら、切ない恋物語の途中で笑っちまいそうだ。と、仲本、聡志は必死に笑いを堪えようとする」

 

 セルフ語り部でどうにか吹き出しそうになるのを我慢してみた。

そうそう、セルフ語り部は、俺の思考を神の域まで高め、感情を切り離すのが目的だ。上の方から、まるで下界を見下ろすように……

 

「っひははっ!! 上から見て想像しても笑えるっ! もう無理じゃねぇかっ! 八方塞り!視点がっ天地無用過ぎだろっ! っくくく!今日のお話会は、ムリ、かもっ!」

 

 ドンドンドンドンドン!!

 

「ひっ!もうっ、やめろー!ふははっ! 笑わせんなっ!?」

 

ドンドンドンドン!!

 

「もっ、待て待て……わかっ、たから……はなす、か……ぶはっ!やっぱ無理だ!あははははっ!」

 

 あぁ、もうこりゃダメだ。しばらく想像して思い出し笑いしちまうパターン。

俺、一回ツボに入ると、相手が引くくらい笑い止まんなくなるんだよーー!困った事になーー!あぁっ、昔から、そうだった!

 

 

——-え?サトシ?マジ?本気で、笑ってる?え?長くない?

 

 

 つい最近の話だ。

金弥の髪の毛が、たまたまパーカーに引っかかってしまった事があった。その姿が、まるでナチュラルに子供の頃の“お化けマン”ポーズになっていたのを見た俺は、もう終わった。

 

俺の腹筋は、完全にイカれてしまったのだ。

 

——-いや、てか!サトシ?ちょっ、助けて?笑ってもらえんのは嬉しいんだけど……なぁ!?そろそろ助けて!?

 

 その姿が余りにも懐かしいわ、イケメンのお化けマンがシュールだわで、俺はしばらくお化けマン金弥を見て、部屋中を転げ回って笑い散らかした。

 

「っふは」

 

 いやぁ、あの時は正直、漏らすかと思うほど大爆笑してしまった。

そんな俺に、イケメンお化けマンは、最終的にそのポーズのまま、拗ねてトイレに隠れてしまったのである。

 まぁ、視界から消えて尚、あのポーズでトイレに籠る金弥を想像した俺は、結局その日は寝る直前まで、思い出し笑いが止まらなかった。

 

クソ、まったく。それも思い出したらダブルで笑えてきたじゃねぇか!

 

どんっ!

 

 俺が容赦なく笑い転げていると、それはもう激しく目の前の扉が軋む程の衝撃が走った。どうやら、叩くのを止めて体当たりをする事にしたらしい。どんっ!どんっ!と一定のリズムを刻みながら、扉が揺れる。

 

ナニコレ、どーゆーことーー!

 

ドンッ!ドンッ!ドンッ!

 

「ぶぶぶっ!癇癪は止めなさいっ!もう……ちょっ、落ち着くまで、ちょっと……待って」

 

ドンッ!ドンッ!ドンッ!

 

「あーもうっ!今日は夜も俺だから!明日の昼までいるからっ!まだ時間はたっぷりあるんだっ!マジで落ち着くまで……さっきみたいにっ、ふふっ、話さないか?」

 

 そう、尋ねた瞬間、それまで重く戸を揺さぶっていた衝撃が止む。少しは考えてやってもよい提案だったらしい。

 

「もちろん、喋らなくていい。さっきみたいに、コンコンって叩いてくれりゃあいいから」

 

 言いながら、俺は外側から先程のように、コンコンと戸を叩いてみせる。案外、これでも会話は成り立つものらしい。

 

「なぁ、イーサ。【人魚姫】は絶対に夜、寝る前に話してやるからさ。少しだけ、お前の事を教えてくれよ。いいだろ?知りたいんだよ。俺は、お前の事を」

 

 俺の勝手な思い込みで作った“イーサ王”ではなく、本当の“イーサ”が知りたかった。

こんな、俺の夢の中で知った所で、結局俺の作った“イーサ”に変わりないのかもしれないが、それでも俺は知りたいのだ。

 

こん。

「っ!」

 

 一度だけ、静かに戸が叩かれた。

 一回のノックは――、

 

 

「なぁ、イーサ。お前、甘いモン好き?俺は好き!」

 

 

 俺は扉に向かって思わず笑ってみせると、次々に湧き上がってくる質問を、ここぞとばかりにイーサにぶつけたのだった。