「クソ……居るなら声くらいかけてくれよ」
そうは言っても、人魚姫でもなければ、エルフでもない。ただの人間の俺は、羞恥心程度では泡になる事はないのだ。
残念な事にな!?
やっと到着したイーサの部屋の前に、交代を待つ部屋守のエルフと、あの……昨日のポニーテールメイドの女が立っているのが目に入った。
「うわ……、タイミングわりぃ。そう、仲本聡志は完全に苦虫を噛み潰したような気分だった」
クソ。昨日の今日過ぎてめちゃくちゃ気まずいじゃねぇか!
「すみません、遅くなりました」
「ほんとに遅ぇな。クソ人間が。死んだのかと思ったぜ」
「……」
どうやら、やはり少し遅れてしまったらしい。前の部屋守をしていたエルフは、俺を見た瞬間、その顔を大いに歪めた。
メイドの女の方はと言えば、昨日同様スンとした目でこちらを見ている。あぁ、もう止めてくれ。
「すみません」
「すみませんじゃねぇよ……ったく」
「……」
しかも、いつもより結構しっかりめに見られている気がする。普段なら、チラりとも俺の事など見ない癖に。まぁ、昨日の今日だ。仕方ないのかもしれない。
「罰として、次の俺の守当番、お前がやれ」
「へ!?」
「へ?じゃねぇよ。当たり前だろうが!」
はぁぁっ!?何だそれ!
だいたい、部屋守してんのは、ほぼ完全に俺だ。ただ、俺の休みの為に、他のヤツが入ってくれてる状況なのだ。それで俺が代わったら、休み無しになっちまう!
たかがちょっと遅れた程度で理不尽過ぎだろ!不等価交換過ぎるっ!
「いやぁ、それはちょっと……」
「あ゛ぁ?」
「あ、ハイ。替わります。替わらせてください!」
次の瞬間、俺は腰を直角に折り、頭を下げていた。
クソ、こわ!
もういい、長いモノには巻かれて行こう。どうせ休みがあっても、やる事は殆どないのだ。なら、ここでイーサとダラダラしていた方が、幾分マシといえる。
「ったく、わかりゃいいんだよ!寿命が短いんだ。サクサク理解してサクサク動け!このクソ人間!もう俺は行くからな!」
俺は余りにも理不尽な罵声をその身に浴びつつ、ただ、ブツブツと怒りながら通り過ぎていくエルフを見送った。そして、後に残ったのは――。
「……」
「……えと」
「……」
「こ、こんにちは」
「……」
何だ、この地獄みたいな空間。
未だにジッと此方を見てくるメイドの女に、俺は完全に心臓を握りつぶされるような心持だった。
いや、しかし今日も、その見下すような目と首筋のうなじが素晴らしいコントラストだ。
そして、未だにこちらを異様に見てはいるが、未だに女は何も口を開こうとしない。
「えっと……」
「……」
気まずい。非常に、気まずい。
何も言わないなら見ないでくれ。そして、いつものように早く仕事に戻れ!
俺は昨日の今日で気まずいんだよ!?
「お前、」
「へ?」
思わず耳を疑った。声を、かけられたようだ。
「お前の声、うるさいわ。さっき、食堂で訳のわからない言葉を叫んでいたのも、お前ね」
「……あ、えっと」
「びっくりして、皿を落としそうになったわ。少しは考えて」
「……あの」
いつもの感情の籠らない目と、そして表情で此方を見てくる女。そう、いつもの彼女の筈なのに、それだけは、ハッキリと違った。
あれ、なんか、声が――。
「昨日と、せいゆ……声が、違う?」
思わず「声優が違う?」と、メタな発言をしそうになった。そうなのだ。昨日の彼女の声と、少し違う。かなり似ているが、これは完全に別人の声だ。
俺がそう思うんだ。間違いない。
——-なぁ、キン。今日のデックスの声、なんかちがくなかったか?
——-んー?そう?ていうか、デックスって今回しゃべったっけー?
——-喋っただろうが!ビットが女の子を助けに行く時、後ろで犬に追いかけられて『うわあぁぁっ!』って!
——-サトシさー!ソレ、喋ったって言わねーよ!
——-はぁ!?しゃべっただろ!キンのバーカ!キンバ!
——-あははっ!何それ!サトシのバーカ!サバ!
俺の脳裏に、永遠と続く馬鹿な子供二人の「キンバ」「サバ」合戦が響き渡る。もういい、もういい。頭の中ウルセ!黙れ!
「……そうなのだ。仲本聡志は気付いてしまう」
そう、俺は、どんなアニメの脇役の声でも、変わってしまったら気付いてしまう。どうしても、声が耳に引っかかってしまうのだ。
あの時も、そうだった。
エンドクレジットを見直し、いつもの名前ではない名前がデックスの横に記載されているのを見て、俺は思ったものだ。
「ほらな!と、得意気に少年時代の仲本聡志は胸を張った。こんな事が、何度も何度も、何度もあった」
そう、俺は気付かずにはおれない。少しの声の変化も、空気の淀みも。人の顔が変わるより、髪の毛を切るより、メイクを変えるより、そんな目に見えるモノより、
「仲本聡志は、声が、気になってしまう。だから――」
口の中でボソボソとセルフ語り部をし、しかし相手からの反応が一切ない事に、さすがの俺も女から逸らしていた目を上げた。
「……え?」
「あっ、あっ」
女は目を大きく見開き、口元を両手で抑えると、俺から一歩だけ距離を取った。
え、ナニコレ。どういう感情。
「あの、」
「に、人間の雄が、私に気安く話しかけないで。ぶ、無礼よ」
「はぁ?」
急にめちゃくちゃ言うーー!
これ、アレか。「無意識に俺(人間)と喋っちゃったーー!もう無理なんですけどーー!」っていう、そういうヤツ?いやいや、オメェが無礼過ぎだろ。
「いや、話しかけてきたの……そっちからじゃないですか」
「っうるさいわね!黙りなさい!この下等生物!」
「えっ、ちょっ!かとっ」
はぁぁぁっ!?
てかさ、てかさぁ!?今までクールツンだった癖に、声優変わって、若干キャラも変わっちゃって、ちょいクールツン高慢になっちゃってんじゃねぇか!
プロなら、これまでの流れを崩すなーー!キャラ変えんなーーー!?
にしても、クールツン高慢なんて……初めて言ったわ。
「……もう私に、話しかけないで」
「えぇ……」
それだけ言うや否や、女は口元を抑えたまま、足早に俺の隣を駆け抜けて行った。一体何だったんだ、あれは。