30:推し語り

 

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『……ずっと。お前に、なりたかったんだぁ』

——-お前、どうやって王子に取り入った?

 

 ユラユラと揺れる俺の声が、テザー先輩に言われた言葉と共に空気を揺らす。扉の向こうからは、何も聞こえない。

そりゃあそうだ。こんな事を突然言われて、イーサもさぞかし困っている事だろう。

 

 取り入る。

 自分が有利になるように、力のある人間に働きかけること。そう、それは往々にして身分の低い者から、高い者に対して行われる行為だ。

媚び、へつらう行為。

 

『そんなつもりじゃない。仲本聡志は、何度も拳を握り締めて呟いた』

 

 チラと自身の手にある、揚げ菓子の袋に目をやった。そんなつもりじゃない。俺はただ、イーサの事が知りたかっただけだ。イーサの声が、聞きたかっただけ。別に、イーサが“王子”だからそうしたんじゃない。

 

 コンコン。

『っ!』

 

 俺は目の前で二度、叩かれた扉にとっさに揚げ菓子を背中に隠した。いや、別に隠さずとも扉越しのイーサに見えている筈もないのだが。

 

『っど、どうした?イーサ?』

 

 コンコン。

 まるで『お前こそどうしたんだ?』と問いかけるような、気づかわしげなノック音。でも、結局はソレも俺の勝手に作り上げた、頭でっかちな仲本聡志の解釈する“イーサ”でしかない。

 

 だって、俺は“イーサ”には選ばれなかったのだ。俺は、イーサじゃなかった。イーサになれなかった。

 

『あぁ、さっきの?ごめん、ごめん。さっきのは……忘れてくれ』

 

 思わず漏れた、俺の、仲本聡志の本音。

 オーディションへの参加が決まって、金弥から“あの”連絡を受けるまで、毎日毎日思い続けた。イーサは、いつかの“なりたかった俺”、そのものなのだ。

 

『えーっと、ほら!子供はみんなさ?王様ってヤツに憧れるモンなんだよ』

 

 取り繕うように口にされる言葉は、さすが俺というべきだろうか。一切、いつもと何ら変わらなかった。声はブレてないし、腹式呼吸だって乱れていない。

 

 そう、俺だって伊達に十年以上、声優を目指し続けた訳ではないのだ。

 結局、一度も報われはしなかったが。

 

『王様って格好良いよなぁ?だってヴィタリック王も、めちゃくちゃ格好良いし。あの人はホントに、この国の“重し”だよ』

 

 ただ、表情は最悪だ。

 鏡など見なくても分かる。俺の眉はヒクヒクとせわしなく動き、喋りながら口角もヒクついている。正直、声に震えが混じっていないのが、奇跡みたいなモンだ。

 

 さすが、この俺。仲本聡志。声を使って、自分も、他人も誤魔化すのは得意だ。

 きっと、だからこそ俺は主人公にもなれない。何者にも選ばれない。

 

『あれは、なりたくても……俺なんかじゃ、なれっこないな。あの人が“天”なら、俺は“地”そのものだ』

 

 あぁ、このままじゃいけない。

 どんどん頭の中が嫌な思考へと舵を切る。もっと喋る事に集中しよう。頭の中のウジウジした俺は、一旦見ないフリだ。

 

 集中しろ!口を動かせ!頭の中の思考は喋りで覆い隠すんだ!

 

『あぁっ、そうだ!ヴィタリック王って、イーサのお父さんだったな!あんな人が父親なんて、めちゃくちゃプレッシャーだな?あ、お父さん怖かった?まぁ、怖いというか、厳しそう。でもさぁ、』

 

 自分のウジウジした気持ちから目を逸らす為に、喋る事に集中した。

 

『ヴィタリック王って、ホント声がカッケーよな!?低くて、渋くて、腹の底からさぁ。もうっ、あの人の声は……ほんと、俺の憧れだよ!』

 

 そうしたら、いつの間にか、話す内容がヴィタリック王への賛辞にすり替わっていた。

 

『いいよなぁ。あんな声が、俺も出せたらなぁ。演説も上手いし。さすが王様だよ。イーサもそう思わないか?』

 

 いや、ヴィタリック王というより、中身は完全に飯塚さんの事を話してしまっている。

 しかし、まぁ。それは仕方のない事なのかもしれない。なにせ、俺にとっては『ヴィタリック王≒飯塚邦弘』みたいなモンなのだから。

 

 だいたい、この二人。

 声優界と、エルフ界での立ち位置が似過ぎなのだ。

 

『ヴィタリック王の演説がさぁ、俺、ほんと好きなんだよ。感情が、気迫が……こう、ぐわぁぁって腹の底からさ、湧き上がってくるんだ。お前も聞いた事あるだろうから、分かるだろ?どうやったら、あんな演説が出来るんだろうなぁ。また……教えて欲しいなぁ』

 

 絶対に無理だ。けれど、思わずにはいられない。

 

——-飯塚さんは“声優界のお父さん”なんだろ?こんな機会滅多にねぇよ!なぁ、サトシ!早く聞きに行こうぜ!

 

 あぁ、ほんとだな。金弥。あの時、お前に引きずられて、飯塚さんの所に走って、ほんとに良かった。

 じゃなけりゃ、俺は今、もっと後悔してた。

 

『……あれ?あ、イーサ?』

 

 我に返った。

 ここに来て、やっと気付く。腹の底に渦巻く感情を消す為に放っていた言葉が、ただの尊敬する推し語りになってしまっていた事に。

 

『イーサ、聞いてるか?』

 

 そう言えば、先程から何の反応もない。いつもなら、こういった会話のような語りの時は、一度くらいはノックが合間に挟まれるのだが。

 

『……んん?』

 

 ヤバイ。まさか、俺の余りの熱狂っぷりに『こわ、キモ』となっているのだろうか。あり得る。なにせ、ヴィタリック王は、イーサの実の父親なのだから。