31:サトシの褒めて伸ばす

 

 

『あのぅ、イーサ。俺の声、聞こえてる?』

 

 再び問いかけてみる。

 

コンコン。

 そんな事を思っていると、二度のノックが返された。少し音が強い。明らかに聞いているからノックを返したであろう筈なのに、否定を示す二度のノック。

 

『イーサ?』

 

 コンコン!

 どうやら、いつの間にかイーサのご機嫌は悪くなってしまったらしい。最初に声をかけて、此方に駆け寄ってきてくれた時は、あんなにご機嫌な足音を響かせていたというのに。

 

 あぁ、キモかったか。そうだな、成人男性が熱くなって……うん!めちゃくちゃ、キモかったな!?あぁ、畜生!今更ながら恥ずかしくなってきた!

 

『ん?急にどうした?腹でも減ったのか?昼飯はさっき食べた筈だろ?』

 

 けれど、それを実際に口に出すと、羞恥で逃げ出したくなるので、敢えて触れない。ズルい大人でゴメン!イーサ!

 

『イーサ?寝たのか?じゃあ、俺、今日は静かにしとこうかな?』

 

 ゴンゴン!ゴンゴン!

 またしても二度のノック。しかも複数回。どうやら、またイーサの「イヤイヤ」が発動してしまっているようだ。まったく、俺だって本当は恥ずかしさのあまり「恥ずかしーー!」と、それこそ恥も外聞も捨てて騒ぎ散らしたいというのに!

 

『イーサ?どした?何で怒ってんの?』

ゴン!ゴン!

 

 更に強くなるノックの音。

 いや、マジでどうした?俺が語り過ぎたくらいで、こんなに癇癪を起すきっかけになるだろうか?

 

 それに、俺がキモかったにしても、だ。

 そろそろ、イヤイヤ期も卒業して貰わないと。なにせ、イーサにはヴィタリック王の跡を継いで、王様になってもらわなければならないのだから。

 

だから――。

 

『なぁ、イーサ?もう、俺の声なんて聞きたくないか?』

 

 ピタリとノックの音が止んだ。

少し寂しそうな声を出してやったのが効いたのだろう。イーサは数拍の無音の後、ゆっくりとした動作で「コンコン」と、二度のノックを鳴らしてきた。

 

『じゃあ、あんまイヤイヤだけ伝えたらダメだ。ノックはさ、俺とイーサの大事な会話の手段なんだから。な?』

 

 ……コン。一度きりのノック。

俺の目の前には、見えないけれど、渋々ながらも『うん』と俯く美しい金色が浮かんだ。

 

『うん。それに、なんでもかんでも嫌々言ってたら、本当にイーサが“嫌”な時に、俺が気付いてやれなくなる。さすがの俺も、ノックだけじゃ全部は分かってやれないからな。……それが、俺は嫌だ』

 

 コン。

今度は間を開けずにノックされた。どうやら、癇癪も落ち着いてきたらしい。

 

『よしよし、分かってくれて嬉しいよ。えらいえらい。イーサはえらいな』

 

俺とイーサにはノックしかない。その“ノック”という細くて頼りない、唯一の交流手段を、みすみす腹の中に沸き起こる癇癪のせいで濁してしまうのはもったいない。

 

そんな事になっては、もう完全にイーサと俺の間の扉は閉ざされる事になってしまうだろう。

イーサの気持ちを分かってやれないのは、俺も嫌だ。

 

 カサリ。

 

 その時、俺の背後に隠していた、揚げ菓子の入った袋がこすれる音がした。

そうだ、俺はコレを持って来ていたんだった。今日、イーサと一緒に食べようと思って。二人でうまいなぁって、同じモノが食べてみたくて。

 

『イーサ、じゃあ今日はご褒美にあま……』

 

———ほう。今度はこんなモノを持って来たか。人間。お前も、王子に取り入るのに必死という訳か。

 

『っ!』

 

 ご褒美に、甘いお菓子を持って来たぞ。

 そう、口にしようとして、止めた。

 

コン。

コン。

コン。

 

 扉の向こうから『なに?どうした?ごほうびって?』とでも言うように、一度きりのノックがリズムよく響き渡る。

 

『あー、ご褒美っつっても……俺、今。無一文だから、お前にやれるモンねぇや。ごめんな。また今度……そのうち、何か……うん、買って来て、やるよ』

 

 慌てて口をついて出た言葉に、俺は自分で自分の言葉に目を剥いた。

何言ってんだ、俺。俺はこのお菓子を、今日イーサと食べるんだろ?

 

 カサリと手の中で紙袋が鳴る。

——取り入るのに必死か?

 

 テザー先輩の酷く陰湿な声が、俺の耳の奥に木霊する。そんなつもりじゃないのに、周囲からは“そう”見られるのか。そんな事実が、俺の腹をぎゅっと締め付けてきた。

どうせ、此処にはもう先輩は居ない。だから「お土産だ」と言ってイーサに渡してやればいいのだろうが。

 

それなのに、なんで、俺は――。

 

『クソッ』

 

 そう、自分の心のままに振る舞えぬ歯がゆさから、俺が小さく悪態をついた時だった。