その晩、無一文の俺は、またしても街に下りていた。
三日後に迫った【大規模演習なんとか】。最早、正式名称を覚える気はさらさらない。
明日明後日、部屋守シフトは日勤と夕勤が続く。そうなれば、何かを買いに街に下りれるタイミングは、今日と明日の夜、そして明後日の昼過ぎしかない。
そう思い、再び外出許可申請を出し、こうして街に下りてみたのだが……。
「やっぱ……ダメだよなぁっ」
金がないならやると言わんばかりに手渡された、イーサからの“ごほうび”。明らかに、一点モノ風な、王族しか持っていなさそうな、クリプラントの国章を携えたネックレス。
「これじゃ……俺、テザー先輩に言い返せねぇじゃん」
そうなのだ。あんなに腹を立て、否定し、大見栄張って、正論を振りかざして相手の逃げ道を塞いでやった癖に……最終的には、俺は“コレ”を持って此処に居る。
イーサには何度も何度も返すと言った。
けれど、あまりソレを言うと、イーサの癇癪がいつも以上に酷く、最後には部屋の物を投げ散らかしてくるモンだから……
「って、全部言い訳じゃねぇか。……そう、仲本聡志は、自分に対する尽きる事のない言い訳を、この道中ずっと思い巡らせてきた。愚かなモノだ。自分なんて、どう誤魔化そうとしても、所詮は無駄だというのに」
セルフ語り部で、自分の示した逃げ道を、自分で塞ぐ。
先程から、この繰り返しである。
「……どうせ何が要るかもわかんねーし。価値も分かってねぇ俺が、このネックレスを持って行ったりなんかしたら、カモにされるだけだ」
そんな事は、百も承知だった。それなのに、馬鹿で愚かな俺は、ノコノコと夜の街へと下りて来てしまった。
「……つーか。せっかくイーサがくれたモンに、俺は。一体、何を考えてんだ」
昼間と違い、街の雰囲気はガラリと変わっている。昼間はこんなにあるとは思わなかった酒場が、そこかしこに開店し、あちこちで賑やかな酒飲み達の声を響かせていた。
夜になっても明るく感じるのは、街全体が、空中に浮くオレンジ色の光源を放つランプによって、煌々と照らされているからだろう。
——-俺は、お前のように、権力に阿り、こびへつらう下等な人間とは違うんだ。
その通りでしたよ。テザー先輩。
俺はイーサの声が聴きたいだけ、なんて言いながら結局は自分の都合の良いように、イーサを利用していただけだったのだ。
権力におもねった結果、こんなものを受け取ってしまった。しかも、受け取っただけじゃない。
思ってしまった。コレを金に換えたら、必要なモノも買えるんじゃないか、なんて。
「サイテーだ、俺」
もう諦めた。潔く、手ぶらで参加すればいいだけだ。
そう思っていた癖に、実際目の前に事が迫ると、一人だけ周囲と異なる状況に立たされる自分を想像して、居ても立ってもいられなくなってしまった。
「あーもう!帰ろ帰ろ!馬鹿か!……俺は、ほんっと馬鹿だよっ!馬鹿、馬鹿!バァカ!」
敢えて大声で口に出してみる。
そうやって自分に言い聞かせてやらなければ、俺は先に進む事も、諦めて戻る事も出来ない。だから、こうして心がグルグルしている時は、“声”に引っ張って貰うしかない、
のだが――。
「え、なに、なに。コワいんだけど」
「うわ、人間じゃん」
「ねぇ。衛兵を呼んだ方がいいんじゃない?」
周囲を歩いていたエルフ達が、突然の俺の大声に、チラと、此方へ不審気な目を向けてきた。中には「何だァ、あの人間」と、明らかにチンピラ風な奴まで俺に注目してくる始末。
「……やば」
さすがに、声がデカ過ぎたようだ。周囲がザワついているからと油断していた。どうやら、俺の声は、俺の思っている以上にデカいらしい。
——おい、お前っ!ずっと言おうと思っていたが、お前の声はイチイチうるさい! もう少し声を落とせ!
そう言えば、最初にテザー先輩に出会ったばかりの頃も、そんな事を言われた。
「はやく、帰えんねぇと」
このまま此処に居ては、絶対面倒な事になる。端的に言うと、捕まるか、絡まれるか……どちらかの未来は必須であろう。そんなの絶対にごめんだ。
そう、俺が、すぐにその場を立ち去ろうとした時だった。
先程の俺の声を軽く凌駕する大声が……いや、怒声が、周囲の注目を一斉にさらっていた。
「はぁっ!?この忙しい時にっ、なんでアイツぁ来ねぇんだよ!?」
「知らねぇよ!親父がドヤすから、逃げちまったんだろうよ!ったく、よくある事じゃねぇか!」
「もうあんな奴、クビだっ!?この根性なしがっ!」
「ンな事、言われなくてもどうせもう来ねぇよ!?」
「じゃあ、どうすんだ!今から客が増えるってのに!」
「ンなもん、誰も居ねぇんだ!俺と親父の二人で回すしかねぇだろ!」
「はぁっ!?俺もお前も厨房だろうが!?給仕まで手がまわるかっ!」
「全部、親父のせいだかんな!?おめぇの言い方がキツ過ぎっから!」
「今のヤツらがヌル過ぎなんだよ!」
「時代錯誤な事言ってんじゃねぇ!」
どうやら、繁忙期にバイトが一人飛んだらしい。よくある事だ。かくいう俺も、長年居酒屋のバイトを二つ……時には三つ掛け持ちしていた事があるから分かる。
居酒屋のバイトは……まぁ、そこそこバイトが飛ぶ。それで、俺も何度死ぬ思いをしたかしれない。
「……人手が、足りてねぇのか」
あぁ、そうか。金がないなら、働いて作ればいいのか。俺がいつもしていたように。
そんな当たり前の事すら忘れていた。衣食住が保証され過ぎて、すっかり常識がトんでしまっていたらしい。
満たされ過ぎるというのもまた、問題のようだ。
「っし。ダメ元で、行ってみるか」
俺は、イーサのネックレスの入った胸ポケットのボタンをきっちり締めると、怒声の響き渡る酒場へと歩を進めた。周囲のエルフ達からの怪訝そうな視線は、いつの間にか霧散し、消えている。
「……でも、」
しかし、次の瞬間、踏み出した一歩が不自然に固まってしまった。
「俺、人間だし」
そう、俺は人間だ。きっと働くと言っても、最初は断られるに違いない。
もし仮にオッケーが出たとしても、きっと人間だから何だと、安く買い叩かれる可能性だってある。むしろ、働いた後に金を貰えないなんて事もあるかも。そんな事になっては全てが徒労だ。
「……」
そう、その場で固まっていると、俺の肩に通り過ぎ様のエルフが勢いよくぶつかって行った。
「うわっ」
その拍子に、ポケットの中のネックレスがシャラリと音を鳴らした。
ぶつかってきたエルフはと言えば、俺を見るや否や、表情を歪め、そのまま何も言わずに去って行く。きっと「げ、人間じゃん」という所だろう。
そうだ。エルフの中で、人間とは、人間というだけで下の下の生き物なのだ。けれど、そんな中で、イーサだけは違った。
——–ごほうび?
そう、俺が尋ねた時。イーサは、俺の頭を撫でてくれたのだ。人間の、俺の頭を。得意気に。俺が“困っているなら”と。ただ、それだけの事で。
「俺に、このネックレスは……手放せない。仲本聡志は、分かり切っていた事を、改めて……思った」
今より……無一文より悪くなる事は、間違いなく無い。死ぬ訳でもなし。だったら、チャンスは掴むべきだ。
「あれ?これって」
そこまで考えて、おれはハタと耳の奥に、深みのある声が響いた気がした。
『最悪な状況を想定して、それが許容範囲なら、迷う必要はない。すぐに行動しろ。なにせ、それは人生における最も素晴らしいチャンスかもしれないのだから』
一体、これは誰の金言だったか。
「……あ、飯塚さんの言葉じゃんか。コレ」
思い出した。
思い出した途端、より強力に背中を押された気がした。金言というのは、中身よりも、誰が口にしたのか、という方が重要だ。
俺はたった今、イーサに頭を撫でられ、飯塚さんに背中を押された。
ここまでされたら、もう、後は体を動かすだけだ。