「……あぁ、もう。俺」
あのネックレスを貰ってから、俺はずっとイーサに何と言ってきただろう。一度だって「ありがとう」の一言を伝えただろうか。
いや、言ってない。
——-返す!こんなの、貰う理由がない!
テザー先輩の言葉ばかりを気にして。ありもしない世間の目を気にして。俺は、イーサの厚意をずっと脇に捨ててきたのだ。
イーサが俺に対してのみ向けてくる、その真っ直ぐな子供のような“想い”を、俺は受け止めきれずに“重さ”として脇に捨て置いてきた。
——–イーサ!
ドンドンドンドン!バタバタバタ!
イーサの部屋から、ずっと聞こえてきていたイーサの“イヤイヤ”というノックの音。
そりゃあそうだ。そんなの嫌に決まってる。ずっと部屋の中に居るイーサにとって、“アレ”は、考えて考えて考えて、やっと思いついた、「戸を叩く」以外の、俺とのコミュニケーション手段だったに違いない。
一度のノックでも、二度のノックでも伝えられない。そんな気持ちがあったから、イーサは扉から手を出した。
——-ご、ごほうび?
そう。俺が尋ねた時のイーサの手を思い出せ。
あんなに得意気で嬉しそうなイーサは、俺に拒否されるなんて微塵も考えちゃいなかったに違いない。きっと俺が喜んでくれると思っただろう。困っている俺を、助けたいと思ったのだろう。
それなのに。
——-おい!イーサ!癇癪ばっかり起こすな!ちゃんと俺の話を聞け!
なんて事はない。「いやだ!こんな重いモノ、受け取りたくない!」そう言って癇癪を起していたのは、俺の方じゃないか。俺こそが、イーサの話を全然聞いていなかった。
俺は自身の半端さから、イーサのソレを受け入れる事が出来なかった。拒否した。イーサを惨めな気持ちにさせた。
「何が“重い”だ。俺の方こそ、既に十分重い癖に。そう、仲本聡志は……ハッキリと自覚した」
イーサに対する、俺の、仲本聡志の想いを。
「ポチ、急に黙り込みやがって。どうかしたか」
「……いえ、シバさん。ほんとに、目が覚めました。ありがとうございます」
「お、おぉ」
突然、深く頭を下げてきた俺に、シバの戸惑ったような声が降り注いできた。あぁ、今日、街に下りて良かった。気付けなかったら、きっと大事な事を伝えられないまま、訓練に行く事になっていただろう。
あぁ、ほんとに。
「シバさんに会えて良かったです。人間のこと嫌いなのに、俺の事を雇ってくださってありがとうございました」
「な、なんだよ。急に」
精悍だった筈の声が、似合わない程オタついている。頭を下げたままなので分からないが、声で分かる。この人……いや、このエルフ。完全に照れている。
こういう性格のヤツ、乙女ゲームの攻略キャラに居そうじゃないか。ていうか、居た。シリーズ通して、絶対に一人は居た。
「……別に俺が雇ったんじゃねぇし。親父が勝手に」
「不器用キャラか」
「あ?なんだって」
「いえ、なんでも」
この不器用さじゃ、確かに女遊びには向かないかもしれない。俺如きの言葉に照れてちゃ、夢のまた夢だ。
俺は、顔に張り付いた笑いを消せぬまま、ゆっくりと頭を上げた。すると、そこには、やはりというか何というか。
「……もういい、俺は仕事に戻る」
俺から顔をそらしてはいるものの、尖った耳は例に漏れず赤く色づいていた。
シバって本当に良いヤツだなぁ。俺はさぁ、こういう奴と、
「じゃあ最後に。俺の名前、本当は聡志って言います」
友達になりたいわ。
そう思った時には、俺は自分の名前を名乗っていた。名前は、出来るだけ呼んで貰った方がいい。そうした方が自分の気持ちがブレずにすむし、あとは……そう。単純に嬉しい。
どれもこれも、さっき知った事だ。
「……サトシ」
「そうです」
「ポチも変だと思ったが……どっちも変だな」
「エルフの感覚だと、そうみたいですね」
やっぱり“ポチ”も変だとは思っていたのか。いや、さすがにそうか。そう、俺が苦笑していると、シバは少しだけ考えるように眉をヒクリと動かした。そして、静かに言った。
「俺はシバだ」
「知ってますよ。ずっとそう呼んでたじゃないですか」
今更何を言いだすかと思えば。思わず浮かべていた苦笑が、純粋な笑みに変わる。何だ、この会話。しかし、続くシバの言葉に、俺はやっと合点がいった。
「シバでいい」
「あ」
呼び捨てでいいってことか。
「……シバ」
「おう」
「親父はドージ」
「……ドージ」
「さすがに親父は“さん”付けとけ。そういうの厳しいから」
「あ、うん。はい」
俺が呆けた顔で頷いていると、シバは両腕に抱えていた荷物を、器用に片手だけに持ち直す。そして、
「じゃ。何かあったら、また店に来いよ。サトシ」
その大きな手が、俺の頭の上に乗せられた。感覚で分かる。本当に大きな手だった。
「うん。いく。ありがとう……シバ」
「おう」
シバの手がスルリと離れて行く。そして、シバは荷物を両腕で抱えなおすと、それまで黙って俺の後ろで顔を背けていたテザー先輩へと視線を向けた。
「テメェも、あんま飲み過ぎんなよ。あと、女遊びも程ほどにしとけ」
「っ!」
テザー先輩の喉の奥から引きつったような呼吸音が聞こえる。
あーあ。俺があの店で働いてた事、バレちまった。
俺は、シバの背中を見送りながら、隣でワナワナと震えるテザー先輩の背中を、溜息と共に見ないフリをした。