43:自己紹介から始めよう

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 月が、夜空の真上へと登り切った頃。

 俺は街で買い込んだ大量の荷物をその手に、いつもの道のりをゆっくりと歩いていた。さすがに、少し重い。

 

「ふぅ。よいっしょっと」

 

 王宮の脇の小さな中庭を越え、一見すると気付かれないような、ひっそりと佇む外扉を開ける。扉を開けた先には、真っ直ぐな廊下が続き、外からの光を感じられるのは、壁の上部にある、気休め程度の小さな窓だけ。今は夜中という事もあり、ランプの灯りも最低限だ。

 

 俺の向かう先は、イーサの部屋。だって、俺はイーサの部屋守だ。そこが俺の仕事場で、俺の任された役割。

 

 そして、この世界での、俺の唯一の居場所。

 

「こんばんは」

「あ?」

 

 俺は立ったまま静かに目を閉じていたエルフの兵へと声をかけた。どうやら寝ていた訳ではないらしい。相手は、俺の声にすぐに目を開けると、チラと視線だけ此方へと向けた。

 

「……何か用か?人間。お前の守は明日の朝からだ」

「知ってます。でも、来ました」

「意味が分からんな。もう、寿命か?」

 

 出た。“もう、寿命か?”

 俺には、この悪口もいまいちピンとこない。「もう、寿命か?」なんて聞かれて、明確な答えを持っているヤツなんて、人間でもエルフでも居ないと思うのだが。

 

「さぁ、寿命かもしれないし。そうじゃないかもしれない。もしかしたら、明日かもしれないので。……だから。今、会いに来ました」

「……ヤベェな。とうとう本当に頭がイカれちまったらしい」

 

 どうやら、本気でそう思っているようだ。部屋守をしていたエルフは、その眉間に深い皺を刻むと、気味の悪そうな表情で俺を見てきた。

 もう、いい。俺はコイツと話している暇なんてない。なにせ、先程から、部屋の中で微かに何かが動く音がするのだ。それは本当に僅かな音であるせいか、部屋守のこの男は、その音に一切気付いていない様子だ。

 

「部屋守、交代します」

「は?なんだって?」

「だから、もうこの時間から、部屋守を代わると言ってるんです」

「……代わるっつったって」

 

 相手の訝しがる声を聞きながら、俺は両腕に抱えた荷物を、容赦なく扉の側に下ろす。

 本当に、テザー先輩に事前に聞いて買い物が出来て良かった。さすがに、何もなく訓練に挑んでいたら、俺はきっととんでもなく苦しい思いをしていたに違いない。

 

「何故だ、急に」

「……だから、明日寿命かもしれないので。今、来たんですって」

「本気か?」

「本気です」

 

 不審気な相手の声の中に、濃い期待の色が含まれた。いくら俺の頭がおかしかろうと、自分を縛る意味もない労働から解放されるのであれば、きっと何だっていいと思ったのだろう。

 こんなヤツに、イーサの部屋守は任せられない。

 

「イーサ王子の部屋守は、俺の役割です。だから、俺がやります」

 

 俺はイーサの為に再び購入した、あの揚げ菓子の袋を、大荷物の一番上に置くと、背筋を伸ばした。揚げたての匂いが、微かに袋から漏れる。

 あぁ、早くコレをイーサに食べさせてやりたい。

 

「言ったな?」

「はい」

「明日の守も、もちろんお前がやるんだぞ」

「はい」

「何かあってもテメェの責任だ」

「ええ。わかってます」

 

 しつこいくらいに尋ねてくる相手に、俺は同じ調子で淡々と頷いた。けれど、俺はもう、部屋守に立つエルフの顔なんか見ちゃいなかった。

 もう、そんなの、俺にとっては本当にどうでも良かった。

 

「っは。いいだろう。頭のおかしなヤツが、頭のおかしいヤツの部屋守をする。随分とお似合いな事じゃねぇか」

「……黙れ。イーサは頭がおかしくなんかない。イーサはこの国の王様だ。お前、自分の国の王様を馬鹿にするなよ」

「……アレが王様?お前、一体、何言ってる。我が国の国王は、ヴィタリック様だ。不敬にも程がある」

 

 何が不敬だ。何が“アレ”だ。

 みんなしてイーサを何だと思ってるんだ。

 

「……ごめん、イーサ。そう、仲本聡志は悔しさの余り、ジッとイーサの部屋の扉を見つめた」

「あ?何だって?」

 

 イーサが居る。

 

 これはきっと俺の妄想に違いないのだが、扉の向こうから、イーサの微かな息遣いが聞こえた気がしたのだ。

 そんなの厚い扉に阻まれて、聞こえる訳もないのに。

 

「イーサ」

 

 それでも、俺にはハッキリと分かる。

 扉のすぐ向こうに、イーサが立って居るのが。

 きっと、この会話も聞いていただろう。

 でも、大丈夫だ。

 

 お前は、“あんなの”でもなければ、“アレ”でもない。

 

 さぁ、イーサ。俺の声を聴け。

 

「イーサ。クリプラント国、第四十七代目の国王。カリスマ性があり、建国切っての名君と謳われる前王、ヴィタリックの長子」

「お、おい。急に何だ。ヴィタリック王が、前王って……お前」

 

 急に何かを読み上げるように話し始めた俺に、部屋守をしていたエルフの男が酷く慌てたような表情を見せる。そりゃあそうだ。この世界では、未だに“現王”のヴィタリックを、“前王”と口にするなんて、きっと不敬以外のなにものでもないだろうから。

けれど、俺は話すのを止めない。俺は、何度も何度も、この説明文を読んだ。読んで、イーサになろうとした。

 

「その仕事ぶりから官吏からの信頼も厚い。ヴィタリックをも凌ぐ名君の資質を持つとも言われているイーサだが、何でも出来るが故に傲慢で、何に対しても主導権を握りたがり、独占欲も強い。そのせいか、他人に頼るのがすこぶる苦手」

 

 俺の知っているイーサは、全てここから始まった。

 

「イーサはこの国の王様になるんだ。俺はそれを見届けなきゃならない。早くそこをどけよ」

 

 俺はハッキリと口にすると、イーサの居るであろう部屋の扉に手を触れた。

 

 

        〇

 

 

 

 イーサ。

 お前は、俺のなりたかった、存在そのものだ。

 

 コン。

 

「イーサ。俺だ。今日は少し早めに来た。話したい事がたくさんあるんだ」

 

 

 まずは、やっていなかった自己紹介から、始めようじゃないか。

 

 

「俺の名前は、仲本 聡志。イーサ。これからよろしくな」