44:自己紹介から始まった

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『ねぇ、なまえ。なんていうの?』

 

 

 俺が四歳の時の事だ。

 俺の家の向かいにあったオンボロな家に、山吹 金弥はやって来た。もともと、その、オンボロの家には、おっかない爺さんが一人で住んでいた。

 

 無口で、目つきがギョロっとしてて、よく庭の手入れの為にカマを持っている、日本昔話に出てくる悪役みたいな見た目の爺さんだった。それが、幼い俺には怖くてたまらず、家を出る時は、爺さんが外に出ていないか、毎度毎度こっそり居間の窓から確認していた程だ。

 

『……ねぇ、なまえだよ。ないの?』

『……』

 

 そんなボロ家に、金弥は突然やって来た。

 母親の手に引かれ、俯きながら。あまりに昔の事なので、俺もあまり覚えちゃいないのだが、あの頃の金弥は、今の金弥のように明るく元気なタイプではなかったと思う。

 なにせ、俺が何度名前を聞いても、答えてくれなかった程だ。

 

『ねぇ、きこえないのー?』

『……』

 

 再び、俺は目の前の子供に尋ねた。けれど、やはり返事はない。俯くその顔が、一体どんな表情を浮かべているのか、俺には全く分からなかった。

 

『まったく。ほら、金弥。あいさつ。できないの?』

『……』

 

 一向に話そうとしない我が子に、金弥の手を繋ぐ母親が、少し苛立ったように金弥に声をかけた。それでも、金弥は何も話そうとはしない。むしろ、俯く顔がもっと深く下を向いてしまった程だ。

そんな中、俺達の頭の上では互いの母親が『人見知りでごめんなさいね』とか『いいのよ。こちらこそ突然ごめんなさいね』と、既に旧知の仲であるかのように話している。

 

『ねぇってばぁ』

『……』

 

 正直、暗いやつだなぁとか、つまんなそうなやつだなぁと、その時の俺は思った。

 

『ふむ!』

 

 それでも、そんなのは、その時の俺からすれば些細な事だった。

 狭い狭いつまらない世界の中に、見知らぬ同い年の子供が、突然俺の家の前にやって来たのだ。それはもう、その時の俺にとっては相手がどうであれ、歓迎すべき以外の何者でもなかった。

 

——聡志?お向かいさんに、聡志と同い年の男の子が越して来たみたいよ?

——ええ!あのボロ家に!?こわいジーさんは!?しんだの!?

——お願いだから、そんなこと絶対に外で言わないでね!?お爺さんの娘さんとお孫さんが、

——ちょっと、かお見てくる!

——はぁっ!?ちょっと、待ちなさい!聡志!

 

 確か、こんな具合だった筈だ。当時の俺のはしゃぎっぷりと言ったら、今でも感情の記憶に十分残っている。なにせ、あのおっかない爺さんの居る家にも関わらず、俺自ら駆け出して行った程だ。

 

——-こんにちはー!

 

 それくらい、近所に同い年の子供が越して来た事が、当時の俺には嬉しかったのだ。

 

 当時、自分一人で遊びに行ける場所と言えば、家の中と庭、そして家のほんの近所だけ。まだ四歳だ。仕方なかったのかもしれないが、正直その頃の俺は、狭すぎる世界と、変化のない日常に、齢四歳にして、既に人生にウンザリとした気持ちを抱えていたのである。

 

≪オレは、もっと広い世界に出るんだ!この仲間達と一緒に!≫

 

 俺は、テレビアニメの主人公みたいに、仲間と共に未知の冒険に出たくて堪らなかったのだ。

 

 そんな俺の前に現れた、金弥。

 家を出れば、すぐに友達に会える。いや、この時の俺にとっては“仲間”と言った方が良いだろう。当時の俺は、金弥という仲間の登場により、やっと俺の冒険は始まったのだと、本気で思っていた。

 

『ねぇ、ねぇ』

『もう、聡志?人の事ばっかり聞いてるけど、貴方こそ、まだ自分の名前を言ってないじゃない』

 

 お母さんから、最もな事を言われてしまった。確かにそうだ。

 ちょうど、こないだ見たアニメの主人公が、同じようにライバルに対して、『名前を尋ねるなら、まず自分からだろうが!』と、勢いよく言い放っていた。

 

 あぁ、いけないけない。

 俺は“主人公”なのに、逆にそんな事を言われてしまうなんて。まったく、しっかりしなければ。

なにせ、主人公はいつだって“俺”じゃなければ、いけないのだから。

 

 

『おれの名前は、なかもとさとし。これからよろしく』

 

 

 そう、俺が俯く金弥の顔を覗き込みながら言う。

話す時は相手の目を見てから、とアニメのキャラが言っていた。確かにそうだと思う。そうじゃなきゃ、相手に自分の言葉が伝わっているのか分からないからだ。

 

『んーー?』

 

 するとどうだ。上の方で金弥のお母さんが『凄いわね。もう聡志君は自分の事を“俺”って言えるの。ウチの金弥なんて、まだ……』と、疲れたような、どこかウンザリしたような声で言った。それに対し、俺のお母さんはすかさず、『うちの聡志だって、こんなのただのアニメの真似っこよ。だから、汚い言葉も平気で使うし』と、すかさず困ったように答える。

 

 俺はコレが嫌いだ。

 大人達のよくやる『ウチの子なんて』ごっこ。すごくつまらない遊びなのに、大人はどこへ行ってもソレをやる。

 

『……あ』

 

 そんな大人達のつまらない会話の下で、俺は見てしまった。ちょうど、金弥の顔を覗き込んでいたから気付く事が出来た。

 『ウチの金弥なんて……』と、金弥のお母さんが言った瞬間、金弥の顔が酷く苦しそうに歪んだのを。

 その顔に、俺はとっさに理解した。

 

 これは、「助けて」って言ってる人の顔だ、と。