52:二人の宝箱

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『キン、ソレなんだ?』

『これ、これは……キン君の』

 

その日も、俺は、キンと二人で秘密基地に居た。そして、俯きながらギュッと腕に抱えられた見慣れないソレに、俺は首を傾げた。

 

 

        〇

 

 

 金弥がオンボロの家に越してきてからというもの、俺と金弥は毎日一緒に遊んだ。ただ、驚いた事に、金弥の家……そう、あのボロ家にも、以前、金弥が住んでいた家にもテレビが無かったらしく、金弥ときたら殆どアニメを知らなかった。

 

 だから、俺は毎日、金弥に秘密基地の中で、俺の見てきた大好きなアニメの話をしてやる事にしたのだ。

 最初は、『テレビが無い家なんて変だ!』と思ったが、テレビが無い、と口にした時の金弥が、そりゃあもう深く俯くもんだから、俺は何も言わなかった。

 

 アニメの主人公は、相手の嫌がる事は言わないのだ。

 

——–きん君、あにめ知らない。

——–じゃあ、おれが代わりにアニメをしてやるよ。

——–サトシが?あにめを?

——–そう。今から、おれがアニメだから。いいか?ちゃんとみてろよ?

——–うん!

 

 

 “おれがアニメ”という、謎のパワーワードを作り出した俺は、大好きなアニメを、そりゃあもう必死に、身振り手振りを使って金弥に説明してみせた。金弥にも、俺の大好きなモノを知って欲しかったのだ。

 

 

——-分かったか?

——-う、うん。

 

 

 最初に俺がアニメをしてやった時、金弥は完全によく分かっていない顔をしていた。そしてそれは、幼いながらに、俺にも分かってしまった。

 

——-うぅ、もっと上手にしないと。

 

 俺の好きなモノの魅力が伝わらない。

だから、その日から俺は必死に練習した。金弥がアニメを分かるように。俺の大好きなモノを理解してもらえるように。

 本当はホンモノのアニメを見せてやりたかったのだが、金弥と自由に遊べる時間は、当時は酷く限られており、ともかく「俺がやるしかない!」と使命感に燃えていた。

 

——–どうだった!?キン!

 

 すると、徐々に“おれがアニメ”は上達していったようで、金弥もストーリーやキャラを、ちゃんと理解するようになっていった。

 

——-きん君、おもしろかった!サトシのあにめは楽しいね!

 

 そう、金弥が言ってくれるのが嬉しくて嬉しくて……俺は更にたくさん練習して、たくさんセリフを覚えた。

 そう、そうなのだ。俺の声優になりたいという夢の原点は、秘密基地での金弥への“おれがアニメ”だったのである。

 

 だから、その日も俺は金弥に、昨日したアニメの話の続きをしてやるつもりでいた……のだが。

 

        〇

 

 

『キン。それ何だ?』

『……きん君の』

 

 再びそう言って、金弥が自分の両腕にギュッと力強く握りしめたのは、白い布の塊のようなモノだった。

 

『きん君の』

『うん』

 

 こうなった金弥は普通に『どうした?』と話しかけても、上手く答えは返ってこない。これまでの経験で、俺もそれは分かっていた。『どうした?』に対する、明確な答えを、幼い金弥は上手く言葉に落とし込む事が出来ないのだ。

 

『んーと。それは、キンの大事なもの?』

『うん』

『と、とられないか心配?』

『うん』

 

 こうやって、イエス、ノーで答えられる質問であれば、どうにか金弥も答えられる。秘密基地に二人で腰かけながら、俺は探偵にでもなったような気分で考えた。

 ちょうど、その頃、俺は探偵ホームズをモデルにした主人公のアニメにハマっていたので、そりゃあもうノリノリだった。

 

『それを、とろうとしているのは……じいちゃん?』

『ううん』

『……お母さん?』

『うん』

 

 やっぱりか。と、その時の俺は思った。

 金弥の家庭は、そこそこ複雑だった。詳しくは知らないが、金弥の母親は、離婚した夫にソックリな金弥を、彼のようにさせないため、ともかく厳しく金弥に接していたのである。

 

——金弥!いい加減にしなさい!何度言ったら分かるの!?

 

 甘えた態度を取ると、容赦なく金切声のような怒声が飛ぶ。その為、その頃の金弥は女の人の高い声が、特に苦手なようだった。

 

『お母さんが、もうすぐ、五さいの、おにいちゃんになるのに、そんなの持ってるのはヘンって言った?』

『……う、んっ』

 

 あぁ、簡単な問題だった。

 俺が見事正解を口にした時、金弥はボロボロと目から涙を零し始めた。きっと『捨てる』とでも脅されたのだろう。

 

『キン。それ、なまえは?』

『ぅ?』

『だいじなんだろ?名前、つけてないのか?』

『……えっと、えっと』

『えっと、って名前なのか?』

『ちがうよ……あ』

 

 出会った頃の自己紹介をなぞるように言ってやると、金弥も思い出したのか、それまで悲しそうに歪めていた目をパチパチと瞬かせた。

 

『名前は?』

 

 二度目の問いに、金弥の涙がピタリと止まった。そして、真っ黒で大きな目が、俺の顔をジッと見つめてくる。

 

『ふわふわ、おふとん』

『んんん?ふわふわおふとん、か』

 

 名前というには、いささかそのまま過ぎる。さすがに一瞬俺も思考停止してしまったが、しかし、再び俯きそうになる金弥の頭に、俺はまたしても踏ん張った。

 

『か、かわいい名前じゃん』

『かわいい?』

『ふわふわってところがいいな!うん!』

『うん……!』

 

 さすがに、これ以上具体的に褒めるのは無理だった。けれど、どうやら金弥はそれでも嬉しそうに、そのタオルを自身の頬に寄せる。俺には一切“ふわふわ”には見えなかったが、金弥にとっては“ふわふわ”なのだろう。

それを頬に付けた時、金弥はとても安心した顔をしていた。

 

 あぁ、“ふわふわおふとん”は、金弥に必要なモノなんだ。

 

『キン。ここは“おれたちの”ひみつきちだ』

『え?』

『ここに、おれたちの大事なモノはかくそう』

 

 そう言って俺は物置の奥。肥料の土の詰んである奥の方から、小さな段ボールの箱を引っ張り出した。それは、大切な秘密アイテムを隠しておく、俺の宝箱だ。

 

「サトシ」

「まってろよー」

 

 とは言っても、その箱については普通に両親にはバレていたようだ。けれど、当時の俺には、バレている事が、バレていなかった。

 

 すなわち、上手く隠せていると、そう俺は信じていたのだ。

 

『これは、おれの宝箱。ぜんぶ、おれの大事なもの』

『うわぁっ』

『さわっていいぞ。キンは仲間だからとくべつ』

『……とくべつ』

 

 金弥は先程まで涙に塗れていた瞳を、今度は興味津々といった風に輝かせると、そっと俺の宝箱に手をいれた。

 その宝箱の中には、綺麗な石とか、良く跳ねるボール。他には、ガチャガチャで出たレアなヤツに、あとはセミの抜け殻なんてのも入れていた気がする。

 

ともかく、そこには当時の俺の大好きなモノが、所せましと詰め込まれていたのだ。

 

『うわぁ』

 

金弥はと言えば、雑多に様々なものの入った箱の中から、興味深そうに様々なモノを取り出してはニコニコと笑っている。どうやら、悲しいのは無くなったらしい。

 

『サトシのたからばこは、すごいなぁ。なんでも入ってる』

『これから、ここにキンの大事なのも入れていいからな』

『……きん君も?』

『そう。おれはな、ほんとは家の中で、自分で持っていたいけど、大人にみつかったら捨てられるかもしれないやつを、ここに隠してるんだ。自分の大切なモノを守る為に』

『……』

 

 俺の言葉に金弥の瞳がユラリと揺れた。

 

『きれいな石も、ボールも、セミの抜け殻も、がちゃがちゃも。大人にとっては“いらないもの”だからって、ゴミとまちがって捨てたり、きたないって言って怒ってきたりするんだ』

『……うん』

『こないだなんて、せっかく拾ったへびのぬけがらを、お母さんはきたないからってカッテに捨てたんだ!サイテーだろ?』

『うん、サイテーだ』

 

 金弥の頷きに、俺は待ってましたと言わんばかりに、とあるセリフを口にした。

 

『“ひとのだいじなモノをバカにするヤツはサイテーだ!”』

『それって、こないだの!』

 

 その台詞を聞いた金弥は、覚えがあるのだろう。その目を大きく見開いて、俺の方を見た。

 

『キン。よくおぼえてたじゃん』

『おぼえてるよ!だって、サトシがおしえてくれたんだもん!』

 

 そう、この台詞は、ちょうどこないだ、俺が金弥に話してきかせてやったアニメの主人公のセリフだ。その主人公は自分の大切なモノだけでなく、他の誰かの大切なモノも同じくらい大切にできる、強くて優しい主人公だった。

 

 俺の好きな主人公の一人。

 そして、成りたい主人公の一人でもある。

 

『だからさ、サイテーなやつから大切なモノを守るための箱がコレなんだ。キンは、ずっとその、“ふわふわおふとん”を持っていたいかもしれないけど……おれは、ここにかくしてた方がいいと思う』

『……』

 

 俺は、金弥のお母さんの事を思い出しながら言った。

 あの人は、金弥に対して、いつもイライラしている。金切声で金弥を怒鳴ってくる。だから、あの人は絶対に金弥の大切なモノを、大切にはしてくれない。

 

 なんとなく、それだけは分かっていた。

 

『なぁ、キン。お母さんに捨てられたら、その“ふわふわおふとん”とは、もう二度と会えないけど、ここに隠してたら、毎日会えるだろ?』

『まいにち?』

『そうだろ?だって、おれたちは、これからも毎日あそぶんだからさ』

 

 そう、俺が金弥に言ってやると、金弥はそれまで頑なに自分の腕の中から離そうとしなかった、“ふわふわおふとん”を勢いよく俺の体へと押し当てた。

 その余りにも急な変わり身に、提案した俺の方が、パチリと目を剥いてしまう。

 

『サトシ。きん君のも、ここに入れて』

『あ、あぁ。うん。わかった』

 

 思ったよりアッサリと手放された、金弥の大切な“ふわふわおふとん”。

 金弥はきっと、ソレをどこに行くにも共に連れ歩いていたのだろう。その白い布からは、“濃い”金弥の匂いがした。

 

『じゃ、入れるぞ』

『うん』

 

 俺は金弥から“ふわふわおふとん”を受け取ると、大切に大切に、ソッと宝箱の中に仕舞った。

 

『きん君、サトシと毎日あそぶ』

『ん!おれも、キンと毎日あそぶぞ』

 

 そうやって顔を見合わせながら笑った俺達の間には、一人の宝箱から、二人の宝箱になった宝箱が、大きく口を開けて此方を見ていた。