51:王子様の涙

 

 

「また、今度。何か別のごほうびを買って来てやるから」

「……今度とはいつ?明日か?」

「……」

 

 出・た・よ。

 小さい子が、何かにつけて期日を「明日」に設けてくる例のヤツ。いや、イーサは全然小さくはないのだが、むしろ俺より完全にデカイのだが。まぁ、中身が五歳児なので仕方がない。

 

「いや、さすがに明日は無理だろ。っていうか、俺は明日の夜まで此処に居るんだから。どう考えても無理だ。今度は今度。また、今度」

「っならば、ダメだ。信用できない。早く、それをこっちに寄越せ」

「いやいや、廊下は汚いから落ちたヤツはダメだって。本当にまた別のヤツを買ってきてやるから」

「いつか分からない約束はしない!サトシなんか嫌いだ!あっちへ行け!」

 

 イーサは頑なに揚げ菓子を渡そうとしない俺に、金色の眉毛をこれでもかと言うほど釣り上げた。こんな絵に描いたような怒り顔、俺は久々に見たぞ。

 

「……おぉ」

 

 これは、本気で五歳児だ。主義主張がともかくもって、自己中心的。“イヤイヤ期”が“キライキライ期”になってしまった。まったく、見た目が大の大人なだけに、なんだか変な気分になる。

 

「いいのか!嫌いになるぞ!いいんだな!?」

 

 この短時間で、俺は一体何回嫌われれば済むのやら。

 と、俺が呆れながらそんな事を思っていると、イーサは戸の内側から戸をコンコンコンコンと、ともかく二度のノックらしきものを幾度となくかき鳴らし始めた。

 

「それを寄越せ!そうしないと嫌いになる!サトシなんか嫌いだ!嫌いだ!あっちへ行け!あっちへ行け!」

コンコンコンコン!

 

 嫌いになると言ったそばから、もう嫌われているし。嫌い嫌いのミルフィーユか。

 まったく、この王子様。面白過ぎるんだが。壊れた玩具か。

 

「……くふっ」

 

 口の中だけで、微かに笑いが漏れる。外には出さない。笑っているのがイーサにバレると面倒だ。

 

「嫌いだ!サトシなんか大嫌いだ!どっか行け!」

コンコンコンコンコン!

 

 未だに続くイーサの癇癪音楽隊。

 いや、しばらくこの壊れた玩具のようなイーサを眺めていてもいいのだが、さすがに少しうるさい。今は夜中だ。少し黙らせないと、人が来たら面倒だ。

 

「……わかった」

 

 本当は吹き出したいのを必死に堪えならが、俺は少しばかり沈んだ声で頷いてやった。するとその瞬間、イーサの癇癪はピタリと止まる。

そして、その宝石のような目を、それこそ零れ落ちそうな程大きく見開くと、ユラリとその瞳を揺らした。

 

「え」

「……そうだな。嫌いな奴の近くには居たくないよな」

「ぁ、ぁ」

「でも、此処から離れる訳には行かないからさ。俺はあっちの離れた所に居るよ」

「さ、さとし」

「あぁ、そうだ。イーサ」

 

 声はいつもより声量を落とし、沈み気味に聞こえるようにする。ついでに、言葉の合間に挟む呼吸を深く取り、いつもより間隔を空けるのもいいだろう。

 あとは……そうだな。

 

「もしかしたら、会えるのは、これが最後かもしれないから」

 

 演技とは、声だけにあらず。

 俺は脇に置いていた荷物に手をかけると、静かに目を伏せた。

 

「……最後にイーサと話せて良かった」

 

 さて、この五歳児は「ごめんなさい」が言える五歳児なのか、はたまたそうじゃないのか。そう、俺が伏せた目をチラと上げ、イーサの反応を盗み見ようとした時だ。ランプの揺らぎにより、揺らめいていた俺の影に、大きな影がかぶさってきた。

 

「え?」

「ぅ、ぅ、ぅ」

 

 その呻き声に、俺はガバリと顔を上げる。

 

「へ?」

 

 ぽたり、ぽたり。

 そう、俺の視界を満たしたのは、イーサの両目から、これでもかという程の大きな雫が零れ落ちる姿だった。金色の目から零れる涙の、そりゃあもう美しい事と言ったら……じゃない!

 

「っえ、う、うわっ!おい!イーサ!?」

「ぅ、ぅぅぅぅぅ」

 

 次の瞬間、イーサは目をかっ開いたまま、必死に俺の腕を引っ張ると、そのまま無理やり部屋の中へと引っ張りこんだ。入口の扉が、どんどん遠くなっていく。

 

 え、え、え?ちょっ!いいのか!?

 王子様の部屋って、一般人の俺が入っていいやつ!?

 

「イーサ!?おいっ!」

「ぅぅぅぅぅぅっ」

 

 いいのか悪いのかは置いておいて、今の俺に選択肢などない。なにせ、五歳児というのはあくまで精神年齢の話で、イーサの体は完全に俺よりデカいのだ。しかも、百年間引きこもっていたとは思えないほど、その体つきはしっかりしている。

 

「おいおいおいおい!おーい!イーサ!?」

「ぅぅぅぅぅっ、ぅっ、ぅっ!」

 

 イーサは俺の腕を引っ張りながら、一目散に俺を部屋のある場所へと引きずっていった。

 

「うわっ!」

 

 気が付くと、俺は柔らかい毛布の中へと勢いよくダイブしていた。程よい弾力と、肌触りの良い布地の毛布。そして、鼻孔をくすぐるのは、“濃い”お日様の匂い。そう、イーサが全身に纏う匂いと同じだ。

 

 そう、そこは広い広い、イーサのベッドの上だった。

 

「ぅぅぅぅぅっ!ぅっ!ぅっ!」

「うわっ!ちょっ!やめろっ!被せるな!」

 

 イーサはベッドの上に寝転がった俺に向かって、ベッドの上の、ありとあらゆる柔らかい布地達を覆いかぶせていった。あぁ、まったく。この素直に謝れない、けれど行動だけは人一倍素直な五歳児め。

 

「うぅぅぅぅっ!ぅーーー!」

 

 どうやら、これで俺を閉じ込めているつもりらしい。

 

「イーサ!もう分かった!分かったよ!どこも行かねーから!これ以上、毛布を被せるのはやめろ!息苦しい!」

「ぅっ、ぅっ」

「ほらほら。もう泣くな。明日の夜まで俺は此処に居るって言ったろ?」

「……で、も。さっき」

「それはイーサが、俺にあっちに行けって言ったんじゃないか」

「……ぅぅぅ」

 

 ベッドの上で、イーサは俺を見下ろしながら、再びポタポタと大粒の涙を流し始めた。あぁ、そうか。何をどう口にして良いのか、きっとイーサ自体も分からないのだろう。分からないから、こんなに口惜しそうに泣くのだ。

 

「ぅぅぅぅぅぅっ」

 

 百年も部屋に閉じこもっていたせいで、自分の気持ちを上手に表現出来なくなった、子供みたいな大人が、俺の目の前で、喉を震わせながら泣いていた。

 

「あぁ、もう。また泣く」

「ぅひぃ」

「ぶはっ、変な声」

 

 俺はハンカチがないので、その辺のシーツを一枚引っ張ると、ソレでイーサの顔を、ゴシゴシと拭いてやった。まぁ、いいだろ。イーサの涙だし。

 

「んんん」

「お菓子、落ちたヤツだぞ。それでもいいのか」

「ご、ごほうびを、わたすがわに、せんたくけんは、ない」

「なんだソレ。新しい考え方だな」

 

 目を真っ赤にして此方を見下ろしてくる王子様に、「もういいか」と俺は諦めた。イーサに引きずられながらも必死に掴んできた揚げ菓子の袋。それを、俺はベッドの上でズイとイーサに向かって突き出してやる。

 

「ほい。イーサ。ご褒美と、お返し」

「……いいだろう。さとし、おまえからの、ごほうび。すべて、このイーサがうけとった」

 

 多少偉そうに受け取ってはいるものの、泣いたせいで詰まり気味の鼻声では、全く格好がついていない。

 

「ベッドの上で食うなよ。ボロボロこぼしたら汚いからな」

「では、あちらに、むかおう。さぁ、サトシと……ほら、お前もおいで」

 

 イーサは俺の揚げ菓子の袋と……なんだ、アレは。

 イーサが「お前もおいで」と言って手にしたモノに、俺は口角がヒクつくのを止められなかった。

 

 そう、“ソイツ”は、ベッドに投げ入れられた時から地味に気になっていた。ショッキングピンクの少し大きめの兎のぬいぐるみ。

 

 イーサは“ソイツ”を小脇に抱え、意気揚々と、部屋の中央に設置されてある、ガラス製の丸テーブルの元へと向かった。

 

「……まぁ、中身は五歳児だもんな。仲本聡志は、目の前のシュール過ぎる光景に、ひとり深く頷いた」

 

 大方、アレを抱き締めて毎晩寝ているのだろう。

 

「サトシ。お前も来い。特別にイーサのお茶会に招待してやる」

「……ありがたき幸せ」

 

 俺は苦笑しながらベットから降りると、何やらジッと自分に向けられる視線に顔を上げた。すると、イーサの小脇に抱えられた兎のぬいぐるみが、なんとも言えない顔で、俺の方を見ていた。

 

「……んーー」

 

 兎のぬいぐるみに見つめられながら、イーサの後ろを付いていく。なんとも妙な取り合わせだ。

 エルフ国の第一王子と、ショッキングピンクの兎のぬいぐるみ。そして、そのイーサの声優オーディションに見事落ち、何故かここに居る、人間の俺。

 

 あぁ、シュールだ。

 

「さぁ、サトシ。座れ。一国の王子として、お前を正式な客人としてもてなしてやろう」

「……光栄の至り」

 

 こうして俺は、王子様の開く真夜中のティータイムへと招待されたのであった。