50:おこがましい

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「俺の声は、父より格好良いか」

 

 

 まるでローブでも羽織るかのように、とてつもなく長く伸びきった髪の毛をその身に纏わせながら、イーサはゆったりと俺の前へと歩み寄ってきた。

 一度だけ、俺が扉の隙間から見た髪の毛は、まさにコレだ。

 

「……ぁ、」

 

圧倒される。気圧される。呼吸すら、まともに出来ない。だって、ここに居るのは、紛れもなく“イーサ王”だ。

 

「どうした?俺の声は、まだ聞こえずらいか」

「……い、いや」

「だったら、」

 

 一歩、また一歩と此方に歩み寄る度に、サラリと床に流れ落ちる美しい髪の毛。

 収穫直前の稲穂のような赤身を帯び、全ての実りを一心に受けた黄色。その中に、輝かんばかりの太陽の光を溶け込ませたような、その金色に、俺はともかく目を奪われていた。

 

「はぁっ」

 

 髪の毛同様、金色に縁どられたガラス玉のような瞳が、ジッと此方を見つめる。

 

 最早、美しいを通り越して、神々しかった。余りジッと見ていると眩暈がする。

 あぁ、俺はこんなヤツになろうとしていたのか。

 

「サトシ。答えろ」

 

 おこがましいにも、程があるだろ。

 

「……えっと」

 

 俺は、突然現れた癖に、さもここに居るのが当然のような顔をしてその場に佇むイーサに、思わず一歩後ろに下がろうとした。けれど、その一歩はイーサから伸びて来た、あの馴染みのある手によって阻まれた。

 

「サトシ……なんで逃げるの」

 

 急に、それまでの毅然とした態度が削がれた。声から鋭さが消えて、凛と張り詰めるような声質が薄まる。薄れたと同時に、話し方にもへにょりとした弱弱しさが浮かび上がってきた。

 

あ。こっちのイーサならなんとなく“大丈夫”だ。とっさに、そう思った。

 

「逃げてねぇよ」

「……でも、サトシ。後ろに下がろうとした」

「お前が急に出てくるから、ビックリしただけだ」

「それって、逃げたってことと同じだ」

「ねぇよ。逃げてねぇ。それに、」

 

 廊下での謎の攻防の合間、窓からサラリと入り込んできた風によって、ランプの光がユラリと揺れる。

 

「ヴィタリック王の声の方が、格好良いよ」

「!!」

「お前なんて、まだまだだよ。自惚れんな」

 

 ちょっとばかり悔しくて、思わず俺はイーサから目を逸らして言ってやった。掴まれた腕が、ジンと熱を帯びて来た。

 あぁ、デジャヴ。なんて事だ。金弥に尋ねられた時のまんまの台詞を口にしてしまった。

 すると、それまで静かだったイーサの呼吸が、一気に騒がしく震えた。

 

「ち、父と比べるな!」

「はぁ!?お前が聞いてきたんだろうが!」

「比べるなったら、比べるな!お前なんか、サトシなんか嫌いだ!あっちに行け!」

「うわっ!」

 

 急に叫んだかと思えば、イーサは先程まで掴んでいた俺の腕を、その大きな手で勢いよく押してきた。そのせいで、俺の体はバランスを失い、尻から床へと倒れ込んでしまった。

 

「いってぇ」

 

 しかも、尻もちをつくだけならまだいい。同時に手に持っていた揚げ菓子の袋が、バサリと床に落ちた。その瞬間、粉砂糖を纏った、丸い菓子が勢いよく床へと転げ出した。

 

「ってて。……イーサ?」

「っ!俺は悪くない!サトシが悪い!」

「っおい!イーサ!」

 

 イーサはあれだけ荘厳な面持ちで出て来たくせに、またしても俺に背を向け、バタバタと部屋への中へと逃げ隠れてしまった。バタンと部屋の戸を締めるのも忘れない。またしてもイーサは籠城してしまったようだ。

 

「……マジで五歳児じゃねぇか」

 

 見た目とのギャップが凄い。

 あんなにも荘厳で神々しく、太陽の化身のような見目をしておきながら、中身は癇癪玉を腹に抱えた五歳児ときたもんだ。

 

「あーぁ。いたいなー。おしりが痛いなー」

 

 俺は床に落ちた丸い揚げ菓子を拾い上げながら、わざとらしく声を上げた。部屋の中からは何も聞こえない。チラと扉の方へと視線を向けて見てみるが、扉が開く様子も、その気配すらも見受けられない。

 ふーん。この声じゃダメか。

 

「……はぁっ。せっかくイーサに買ってきたのになぁ」

 

 心底残念そうな声を出してみる。うん、コッチでいこう。

 

「こんな床に落ちたモノなんて、王子様にあげられっこないし。捨てるしかないな」

 

 ただ、言いながら、まぁその通りだな、と俺は思った。冗談抜きで、こんな床に落ちたモノはイーサにはやれないだろう。

 三秒ルールに則ったとしても、明らかにもう遅い。

 

「……ったく、仕方ないな。マジで俺の明日の朝飯にでもするか」

 

 つーか。きっと、そもそも俺みたいなのが好き勝手買って来たモノを王子様に食べさせる時点でアウトだった気もする。なんか、こう食べ物の毒見役とか居そうだし。

もし、これでイーサが腹でも壊したら、メイドさんに怒られるどころか、今度こそ処刑モノだったかもしれない。

 

「はぁっ。何か別の……食べ物じゃないモンも買っとくべきだったな」

 

 だとすると、今回イーサにやれるモノは一つだけになってしまった。

 

「……よし、こんなもんか」

 

 俺が床に落ちた揚げ菓子を全て拾い終えると、ひとまずイーサのご機嫌うかがいをすべく、その場から立ち上がった。

 

「いでで」

 

 先程の尻もち。先に手を付けず勢いよくケツからイってしまったせいで、地味に痛い。特に尾てい骨のあたりが痛いんだけど。これ、椅子とか座る時に一番当たるとこじゃねーかな。

 

 クソ。ケツが痛いって、何かダセェな。

 

「……ん、うわっ」

 

 そうやってケツをさすりながら、イーサの部屋の方へと振り返ると、俺は思わず声を上げた。

 いや、驚きもするだろう。なにせ、扉を閉め部屋に閉じこもったと思っていたイーサが、音もなく扉を開け、その隙間から此方を見ていたのだから。

 

 なんだこの王子様。面白過ぎるんだが。

 

「っふふ。おい、イーサ。どうした?」

「……それ、どうするんだ」

「あぁ、コレ。床に落ちたし俺の明日の朝飯にしようかと思ってるけど」

「どうして!」

「いや、だって。落ちた食べ物なんて、王子様には差し上げられませんよ」

 

 俺はわざとらしく丁寧な言葉で言ってやると、揚げ菓子の袋を持ってチラと開いた扉から、こちらを覗き込んでくるイーサの前まで歩み寄った。