とうとうこの日が来てしまった。
「これから出立式が宮殿前広場で行われる!各自隊の指定整列場所に移動しろ!」
俺は、こんなにも兵士が居たのかと、今更ながらに驚くほどの大勢のエルフ兵の中にすっぽり埋もれてしまっていた。
「……なになに?何だ?え?俺はどうすりゃいいんだ?」
もうどこで誰が話しているのかも分からない。
なんだろう。幼い頃、親に連れられて行った、元旦の初詣のような感覚だ。容易に身動きの取れないほど大量の人、人、人。子供故、視界が低い事もあり、周囲の状況が一切読めなかった、あの日。
今の俺は、まさにあの日の俺と同じ状況だった。
「待て待て。俺は、どこに行ったらいいんだよ。え?……そう仲本聡志は周囲を見渡した」
しかし、見渡した所で、一切何の情報も増える事はない。
「……みんなデカ過ぎだろ」
そう、エルフという種族は、人間よりサイズ感が一回りほど大きいのだ。周囲を見渡そうにも、見えるのは男達の胸板ばかり。移動しようにも余りの人の多さに、身動き一つ取れない。
「俺も別に小さい方って訳じゃないのに」
俺の身長が百七十ちょいなのを鑑みると、きっと周囲のエルフ達は、百九十は固いのではないだろうか。だとすると、酒場のシバやドージさんなんかは、多分軽く二メートルは越えているに違いない。
「あの二人、なんか色々デカイんだよな」
体も、腕力も、声も、そして器も。
なんなら、シバが兵役に就いた方が、俺よりよっぽど様になる事だろう。
ちなみに、雄の体格に比例して、エルフ女性の身長も勿論高い。だいたい、俺と同じか、それより少し大きいくらいである。
ちなみに、あのメイドさんは、俺と同じくらいだ。
「あーぁ。最後に挨拶くらいしたかった……」
俺は最近少しだけ話すようになった、あの金髪ポニーテールのメイドさんの姿を思い浮かべ、溜息を吐いた。最初こそ完全無視だった彼女が、俺の挨拶に答えてくれるようになったのは、例のイーサの一件があってからだ。
——-こ、ここに置いていいのかしら?
イーサの謎行動による戸惑いを共有した事がきっかけで、俺達は挨拶程度だが言葉を交わすようになっていた。まぁ。本当に一言、二言なんだけれど。
けど、一時期なんて『軽蔑します』と、完全に、俺への好感度が地に落ちていたのを思えば、少しの会話も大いなる進歩である。
——人間。今日の王子のご機嫌はいかがかしら。どう、今日も貴方がノックをする?
声に含まれる棘も減った。いや、無くなったと言っていいだろう。
棘のない穏やかなその声の可愛い事と言ったら!
そう、そうなのだ!
棘が無くなったその声は、最早完全に速水さんだった。いや、マジで本当にファンなのだ。
あぁ。俺の名前、呼んでくれねぇかなぁっ!
「……て、何言ってんだ。俺。そう、仲本聡志は、自分のキモさに慄いた」
まぁ。きっと、彼女は俺の名前など知らないだろう。
言ってしまえば、俺だって彼女の名前は知らない。
「……今だったら、聞けば教えてくれそうではあるけど」
正直に言おう。俺は、女の子に名前を聞く勇気がないのだ。ただでさえ、女性と話すってだけで舞い上がっているのに、そんなレベルの高い事が出来る筈もない。
台本がなけりゃ、俺はまともに女子と話す事すら出来ないのである。
“読む”事は出来ても、“呼ぶ”事は出来ない。
とんだ意気地なしだ。
「だって、仕方ねぇだろ……」
俺に自ら近寄ってくる女は、漏れなく全員金弥目当てだった。それなのに、俺ときたら何度も勘違いしてイタい目をみてきた。何度も何度も経験した、しょっぱい思い出である。
「けど、未だに……声が華沢さんになる時があるんだよなぁ」
そう、彼女は定期的に声優が変わる。しかも、声が変わると若干キャラも変わるので戸惑う事も多い。
——-に、人間の雄が、私に気安く話しかけないで。ぶ、無礼よ!
速水さんと、華沢さん。
実は、耳で聞く分には、その声に殆ど違いはみられない。その辺は、さすが二人共プロといったところである。けれど、どちらかと言えばお互いが、中間地点に寄せて声を出しているような、そんな強張った違和感が両者共にあるのだ。
まぁ、代役が必要な時もそりゃああるだろうが、せめてキャラは統一して欲しいところである。
「多分、速水さんの声の時の方が……優しいんだよな」
クールでツンとはしているものの、速水さんの声の時は俺への当たりが、ややマイルドだ。そこに高慢さが加わった華沢さんの声の時も……いやはや。
「どっちもな、可愛いんだよ」
そう、どちらにしたって最高に可愛い声である事には変わりはない。
多少ツンとしていても、それはそれでクるモノがある。あぁ、俺って最高にキモい。
「でも、これからは……周りは完全に男だらけか」
そうなのだ。
こうして、いくらメイドさんの事を思い出して、耳の奥に可愛いらしい福音を奏でたところで、今の俺の周囲は、完全なる男祭り状態だ。
まだ出発すらしていないのに、荷物の重さと、気分の重さにめげてしまいそうだ。それに、少しだけ瞼が重い。
「くぁ」
漏れ出る欠伸を止められないまま、俺の右手は自然と自身の首元へと添えられていた。
「……ある」
指に感じるその固さは、イーサから貰ったネックレスの国章のモチーフ部分だ。
隊服の下に隠しているので、外側からは見えはしない。ただ、今までアクセサリーを身に付ける習慣などなかったせいで、すっかり首元を触るのが癖になってしまっていた。
イーサがせっかく俺にくれたモノだ。失くす訳にはいかない。
それに――。
「……一体、何なんだよ」
俺は昨晩、突然現れた“次期宰相”を名乗るエルフの男の事を思い出し、服の上からネックレスを握りしめた。同時に、男の声が耳の奥からジワリと迫ってくる。
——さぁ、急ぎましょう。貴方が死ぬ前に。ともかくもって時間がない。
あの声は、どうも落ち着かない。
何故か。それは、もう完全に声優のせいだった。
「あの声は、やべぇだろ」
そう。あの男こそが、この【セブンスナイト4】の“ラスボス”の可能性を秘めるキャラと言っても過言ではなかったのだ。