64:ラスボス声優さん

 

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『さぁ、急ぎましょう。貴方が死ぬ前に。ともかくもって時間がない』

『はぁ!?』

 

 マティックと名乗ったその男は、俺の腕を掴むと再びイーサの部屋まで続く廊下への扉を勢いよく開けた。その足取りには、一切の迷いがない。もしやこの男、イーサの部屋へと向かうつもりじゃないだろうか。

 

『おいっ!待て……じゃない!待ってください!まさか、イーサの部屋に向かう気ですか!?』

『もちろんです。王子を交え、貴方の事について急ぎ伺いたい事があります。ですから、下手な抵抗は止めてくださいね。ともかく、本当に時間がありません』

『はぁ!?だから何のだよ!?おいっ!やめろ!止まれ!』

 

 一見するとスマートな体形にしか見えない癖に、俺の腕を掴む力は、完全にゴリラだった。俺が足を止めても、一切進む足に影響を受けないマティックの後ろ姿に、俺は大声で叫んだ。

 

『ちょっ!イーサの部屋はダメだ!せっかく泣き疲れて寝た所を見計らって出てきたんだぞ!起こしたらまた癇癪を起しちまう!』

 

 すると、それまで俺の話になど聞く耳を持とうともしなかったマティックが、ピタリとその足を止めた。

 

『……ふむ。確かに、それは面倒ですね』

『だろ!?俺は明日から任務だか訓練だかに行かなきゃなんねーんだよ!もう、イーサが起きても、あやしてる時間はないんだ!だから、俺はもう部屋にかえ……』

『ならば、私の部屋に来てください』

『は?』

『貴方の睡眠時間よりも大事な事がありますので、拒否権はありません』

 

 そう言ってニコリと笑みを浮かべて振り返ったマティックの声に、俺は一気に背筋がゾワリとするのを感じた。

 

 

『これから話す事は、出来れば誰にも知られたくない。ですから貴方も――』

 

——-口外無用でお願いしますね?

 

 

 あぁ、ダメだ。この声は完全に、

 

 

        〇

 

 

「岩田旭じゃんか!」

 

 

 あの胡散臭い笑みと喋り方。そして、その“声”。

 

 これはもう、声優が表舞台に出始めてしまった事による弊害としか言いようがないのだが……声を聴いた瞬間、それこそがストーリーのネタバレになってしまう“アレ”だ。

 

 有名声優の持つ、そのネームバリュー。

 そして、それまでその声優が演じてきたキャラと、その印象が、ストーリーのネタバレになってしまうという事態を、俺はこのクリプラントで“現実”のモノとして目の当たりにしてしまった。

 

「声優が、あの岩田旭さんって!絶対ナニかあるだろ、あのマティックって奴!」

 

 声優、岩田 旭。(いわた あさひ)

 声を聞いた瞬間に、聞いた者全てに「あ、このキャラは絶対にモブじゃない。つーか、コイツが黒幕なのでは?」と思わせてくる、伝説の声優だ。

 

 どの世代が聞いてもピンとくる声。揺るがぬ人気。そして、長期に渡りメインを張り続けられる多彩な声と演技力。

 

 

———へぇ、そのネックレスを絶対に外すな、と。イーサ王子が?ほう、口付けまで。どうやら、あの引きこもり王子。確かにそろそろ出てくるつもりみたいですね。

 

 

 一作品で四十六役をこなした岩田さんの声を聞いた時、当時高校生だった俺は、尊敬を越えてドン引いていた。

あ、この人は天才っていうか……妖精さんなんだ。こう、俗世とは一線を画しているというか、何というか。

 

 ともかく人間じゃないんだ!!

 

「そう。岩田さんの事を思い出す度に、思考の過剰さに磨きがかかってしまうのを、仲本聡志は止める事が出来ないのであった」

 

 そして、彼の演じる役柄で最も多いのが「謎を含む、トリッキーかつジョーカー的なイケメンキャラ」である。

 故に、岩田さんの声が起用されると、そのジャンルの界隈は大いに沸く。

 このキャラは、なにか裏があるぞ、と。

 

 

——–イーサ王子の暗殺誘拐事件?ふふ、あの人が暗殺者如きを怖がるようなタマですか!あれは父親ばかりを褒め讃える周囲に腹を立てて、拗ねちゃってるだけですよ。……まったく、面倒臭い。

 

 

 そんな岩田さんの声が、目の前の胡散臭い笑みを浮かべる「自称次期宰相」という、美しい空色の髪の毛を持つ男の口から放たれた。

 加えてその容姿ときたら、垂れ目で、その目尻に泣き黒子ときたもんだ。

 

「……怖すぎなんだが」

 

 そんなモン、完全に此方の寝首を搔いて、最終的には世界を滅ぼさんとするラスボス以外の何者でもないだろう。

 

 言い過ぎ?そんな事はない!

 

 なにせ、俺の大好きだったアニメ。【自由冒険者ビット】で、最後の最後、主人公を裏切るゴックス役を、この岩田さんが演じていたのだ!

 ずっと主人公のビットを支えてくれていた兄貴分のゴックスが、終盤ビットに刃を向けた時、俺は金弥の隣で大絶叫したのだった。

 

 信じていたのに。本気で格好良くて大好きだったのに。

 

『信じるだけの馬鹿に、自由なんて手に入るかよ』

 

 そう言ったゴックスの兄貴の声が、未だに俺のトラウマを疼かせる。そんなトラウマ声を前にして、警戒するなという方が無理な話なのだ。

 

「けど……」

 

 俺は迫りくる独断と偏見の中で、一筋の希望も見た気がした。

 そう、マティックは言ったのだ。

 

 

——–イーサ王子こそ、国王になるべき御方ですよ。

 

 

「……誰かの敵は、誰かの味方」

 

 未だに、耳の奥で木霊し続ける岩田さんの凛とした声を反芻させながら、俺は首元のネックレスの存在を確認した。

 ある。ちゃんと、ある。

 

———サトシ。生きろ。絶対にネックレスは外すな。これは、サトシが“イーサのモノ”っていう首輪なんだ。ぜったいに、ぜったいに外したらダメだからな。

 

 

 まったく、何が“イーサのモノ”だ。

 イーサにとっては、俺も“あも”と変わらないのだろう。

 

「まったく……、あもと同じくらい大事にされたら、そりゃあ幸せだろうよ」

 

 クタリとベッドの上でイーサに抱きしめられて笑うウサギを思い、俺は苦笑するしかなかった。さて、イーサは今頃どうしているだろう。起きて俺の姿が見えなくて、泣き喚いてやしないだろうか。

 

「……あり得るな」

 

 泣きまではしないものの、きっと癇癪を起しているに違いない。食事を運んできたメイドさんを困らせていないといいが。

 まったく、心配で仕方がない。

 

「っふふ……まるで母親だな」

 

 俺は言い得て妙な、自身の肩書に思わず苦笑すると、テザー先輩を見つけるべく、人込みの中へと分け入った。