65:想定問答開始

 

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 凄まじい泣き声が、とある寝所に響き渡る。

 

「あ゛ぁぁぁぁっ!ざどじぃ!ざどじぃっ!」

 

 うえ。

 その小さなえずきが、響き渡る泣き声の合間に小気味よく入り込む。そこには、ベッドの上で大泣きする金色の塊と、それを眺める呆れ顔の垂れ目の男が立って居た。

 

「うっうっうっうっ」

「いい加減にしてください。イーサ王子」

「うぇぇぇぇっ、えぇぇっ」

「うえっ、良い年した雄の大人がぬいぐるみに顔を押し付けて泣きわめく姿……気持ち悪い」

「う゛あぁぁんっ!ざどじぃっ!」

 

 マティックの心無い言葉に、再び、イーサの子供のような泣き声が部屋中に反響する。抱きしめられているウサギのぬいぐるみは、今や力強く抱きしめられ過ぎて顔が大いに変形してしまっていた。

 あんな扱い、虐待以外の何モノでもない。

 

「やかましいっ!いい加減にしなさい!」

「ざどじはぁっ、そんなふうに、おれぇを、おごらないぃぃっ」

「あぁぁっもう!今は、そんな事はどうでもよろしい!ともかく!時間が無いと言っているでしょう!?泣き止みなさい!みっともない!」

「あ゛あぁぁぁぁっ!いやだぁぁぁぁっ!」

 

 こちらの言う事になど、一切聞く耳を持とうとしないイーサに、マティックは大いに頭を抱えた。

昨夜、名君ヴィタリックは、この世を去った。次の王が誰かという遺言を、辛うじて残っていたマナへと刻み。

 

『っはぁ。っマティ、っく。イーサを、たのむ』

 

 そう、潰れてしまった声帯を必死に震わせ、次王の名を口にして逝った王の最期の姿。

 

 それを聞いて、マティックも静かに頷いた。王からの遺言だ。頷くより他ない。

 けれど確かに、この国難とも言える大局を乗り切れるような王家の人間は、今やイーサしか居ない。それは、この王子が生まれて間もない時から、マティックも理解していた。

 

 だからこそ、迷う事なく頷く事が出来たのだ。

 

「……はぁ、まったく」

「っひぅ、っひぅ」

 

 まぁ、もう一人、可能性のある者が居なくもないが、その道を選ぶにはまず前例がない。前例がない事を成そうとする場合、基本的には通常よりも大幅なる時間のロスが発生するため、マティックがそちらの選択肢に踏み切る事はない。

 

 本人の意思がどうであれ、だ。

 

「イーサ王子。お願いですから、一旦泣き止んでください」

「ざどじ……ざどじは、もう、ごごへは、ぎで、ぐれだい。おはなじも、じで、ぐれない」

「……うえ。きっつ」

 

 ただ、目の前の、まるで母親とはぐれて泣きわめく子供のような成人男性を相手にしていた方が、実は時間の大幅なロスなのでは?と、マティックは新たに湧き上がってきた可能性に頭を抱えた。しかし、何をどう頭を抱えた所で、王の遺言は絶対だ。

 

 だとすれば、この目の前の癇癪虫を空位となった玉座に座らせるしかないのである。

 

「昨日の夜。私はサトシ・ナカモトと話しました」

「……なに?」

 

 マティックがサトシの名前を口にした瞬間、それまで鼻水と涙を垂れ流し泣き喚いていたイーサが、ピタリとその泣き声を止めた。

 

 その姿に、マティックは一気に頭の中で思考を回転させる。

 ここから口にする言葉は、僅かなミスも許されない。この会話の在り様で、この目の前の男が、癇癪我儘王子のままなのか、イーサ王という新たな名君として君臨するに至るのかが、かかっているのだから。

 

「マティック。どうしてお前がサトシと話をする?」

 

 真っ赤に充血してはいるものの、薄く細められた目がマティックを貫いた。そんなイーサの視線に、マティックは深く息を吸い込んだ。

あぁ、既に懐かしい。この目は、前王。今は亡きヴィタリックも同じような目で、家臣たちを見据えていた。

 

 イーサは嫌がるだろうが、数多いる王子の中で、やはりイーサが最もヴィタリックの血を濃く受け継いでいる。

癇癪を起されてはたまらないので、決して口にしたりはしないが。

 

「彼が、貴方の与えたネックレスを首にしていたからです」

 

 時間がない。時間がない。ともかくもって、時間が無い。事は、空位の玉座にイーサを据えるだけでは済まない。むしろ、そこからが全ての始まりなのだ。

 

「……お前にそれが関係あるのか?」

「関係あります」

「どう、関係ある?」

 

 静かな問答の中、既にマティックの脳内では、イーサとの会話を終了していた。

 

 さぁ、シミュレーションは終わった。ここから行うのは、マティックが脳内のイーサと行った会話をなぞるだけの想定問答だ。

 アドリブ感を演出し、質問や回答を誘導させる。

 

 終わった頃には、イーサは既に王となる決意を固めている筈だ。

 

「昨夜、ヴィタリック様がお亡くなりになられました」

「ほう。そうか。やっと死んだか」

 

 ヴィタリックの死に、イーサは驚かない。

 

 それも想定済だ。

 むしろ、マティックが此処に来た時点で、イーサはその辺りの全てを悟っていたに違いない。今のところ癇癪玉を腹に抱えた我儘王子にしか見えない彼だが、他者の機微を読み取る力には、昔から群を抜いて長けていた。

 

「それが?サトシとお前が話す事に何か関係しているのか?」

「ええ。彼にはこれから、私と共に王となる貴方様を守る双璧となって貰わなければなりません。その事について、彼と話しました」

「……サトシを俺の盾にするつもりはない。アレは俺の寝所に置く。あもと一緒に」

「それはいけません」

「俺の意向をお前が決めるな。思い上がるのも大概にしろ」

 

 ここも想定通り。

 イーサの充血した目が、鋭くマティックを睨みつける。それと同時に、周囲のマナが一気に濃くなった。さすがは、王家の血を引く者だ。機嫌一つで、簡単にマティックに腹の底から吐き気を催させてくる。

せりあがってくるような脂汗に、それでもマティックは表情一つ変える事はない。

 

 なにせ、想定通りだからだ。

 

「では、言い方を変えましょう。それは、お勧めしません」

 

 王家の血を引く、その金糸の髪の毛はマナを溜めておく為の貯蔵庫だ。輝けば輝く程、その身に保有するマナの量は多くなる。ヴィタリックの死した今、イーサはこの世で最もマナをその身に有する者となった。

 

「寝所に隠しても、アレは人間です。いつ、どこで、どう狙われるか分からない。見つかれば、殺されるか、それよりも酷い使われ方をするでしょうね。貴方もそれは分かっておいででしょう」

「……隠せばいい」

「意思ある者の隠匿は、必ず意思ある者から暴かれる」

「……父の言葉を使うな。忌々しい」

「これは失礼。しかし、これほどまでにピッタリな言葉も無いと思いましてね。政の鉄則です。覚えておいてください」

「黙れ」

「……それに、貴方は一つ、彼、サトシに関して大きく見誤っている事がある」

「なんだと?」

 

 想定通り。

 ここでイーサは先程までの鋭い視線に戸惑いを宿した。その瞳にマティックは畳みかけるように口を開いた。

 

 

第2章:俺の声はどう?
米騒動
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