71:姫事

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 とある高貴な部屋の一室で、二人の女が向かい合っていた。

一人の女はメイド服姿にピシリと束ねられたポニーテール。そして、その体は、どこか怯えたように微かに肩を震わせていた。

 

 そんなメイド相手に、それまで黙って話を聞いていた女は「そう」と頷くと、静かに目を閉じた。その一連の動作は、どこを切り取っても気品に溢れている。その女は、ゆったりとした部屋着を見に纏い、ソファにその身を預けきっている。高貴だ。

 

『そ、そらな様』

『なぁに?』

 

首を傾げた時にサラリと動いたその髪の毛は、メイド同様、それはもう輝くような金色で、ふんわりしたウェーブが尖った耳の辺りから、毛先に向かってなめらかに波打っていた。

 

『ソラナ様……もうしわけ、ございません。私が、勝手な事をしたばかりに……イーサ王子に姿を見られてしまいました』

『……いらっしゃい。ポルカ』

 

 そう言って自身に手招きをしてくる主の姿に、ポルカと呼ばれたメイドは、より一層その表情を歪めた。もう、その顔は完全に泣き出す寸前と言ってよかった。

 そんな相手に、ソラナはその白磁のような肌をなめらかな肌着の裾から覗かせると、ソッとメイドの手を取った。

 

『怯えなくていいわ。怖かったでしょう。さぁ、いらっしゃい』

『っひっひ。うっ。そ、そらなさまぁっ』

 

 ソラナは、肩を震わせ涙を流すポルカの背中を撫で、自身の持つ声質を遺憾なく発揮し、全身を包み込むように慰めてやる。そう、自分のこの声は傷ついた女の子を癒す為にあるのだ、と。いつも、心の底からそう思う。

 

『よしよし。好きなだけお泣きなさい。何があっても私が守ってあげるから』

 

 泣き声が更に大きくなる。

ソラナは、自身が民衆から『癒しの女神姫』と呼ばれている事を知っていた。

厳密に言うと、民衆(男達)からである。それに対し、ソラナはいつも思っていた。

 

—–っは!お前ら雄など、誰が癒すか、と。

 

 そう、ソラナはその呼び名が、吐き気を催す程、嫌いだった。いや、呼び名が嫌いなのではない。そう、ソラナは、

 

『男は怖いわよね。ケダモノよ。いつも私達女をイロモノとしてしか見ない。見てるのは胸とお尻だけ。たまに顔。……それなのに、雄が本気を出したら、私達女はどう足掻いてもかないっこないなんて』

『っひく、っひく』

『神様は本当に意地悪だわ。地上に引きずり下ろしてやろうかしら』

 

 男が、死ぬ程嫌いだった。

 男、男、男、男!男は全員滅びてしまえ!!

ソラナの中にある、男へ向けられる感情は、激烈な熱さに彩られていた。普段の穏やかで優しい“ソラナ姫”の顔は、どこにもない。

 

『しかも、あのクソ兄貴。引きこもりの役立たずの癖に、よくも私のポルカをこんな風に……』

『す、すみません。ソラナさま。とりみだして、しまって』

『いいのよ。ほら、まだ泣いていていいのよ。私から、離れないで。大丈夫?他に何かされなかった?』

 

 まだ泣いていいと言われても、むしろそんな風に言われると不思議なモノで、ポルカの涙はスンと引いてしまった。しかし、ソラナはそんなポルカの体を離そうとはしない。

それどころか、ポルカの一番上まで詰まったメイド服のボタンを器用に外すと、滑らかな手つきでポルカの服の中に手を入れた。

 

『さぁ、二人で居る時は隠さないで』

『はい』

『本当に、いつ見ても似合っているわ。可愛い可愛い私のポルカ。さぁ、貴方は誰のもの?』

 

 そう言ってポルカの顔に頬ずりをして、自身の渡したネックレスに口付けをするソラナの、なんと美しい事だろうか。

その美しさに、ポルカはいつも思う。この高貴な方の影武者としてお仕えできる事は、卑しい生まれでしかなかった我が人生において、珠玉の誉れである、と。

 

『私はソラナ様のモノです。そして、ソラナ様の命の代わり。影武者です』

『っ!』

 

 そう、ぼんやりソラナに見とれながら答えてしまったせいで、ポルカは自身が間違った答えを口にしてしまった事に気付かなかった。それまで、穏やかで高貴、そして天上の美しさを誇っていたソラナの表情が、一気に歪んだ。

 

 

『やめて!何度も言わせないで!影武者なんて言い方はキライ!イヤイヤ!イヤッ!』

『あぁっ、申し訳ございません!また、私は……』

『その敬語もイヤ!イヤよ!さっきまではポルカの気が動転していたから我慢してあげたけど、もうダメ!ちゃんと言われたように喋って!でないとキライになるわ!』

『あ、はい……いえ、分かった。分かったわ。ごめんね。ソラナ!私が悪かったわ!どうか、嫌いにならないで!』

『次やったら嫌いになるわ!百回嫌いになるわよ!』

 

 そう言って唇を噛み締めるソラナは、最早、この世の美貌をその身に宿した女神ではなくなっていた。そこに居るのは、ワガママを言う幼い少女だ。

 

『百回……いつもは十回なのに』

『そうよ!百回よ!いい!?次に、自分を影武者と言ったり、二人きりの時に敬語を使ったりしたら、百回キラいになるから覚えておいて!いい!?』

『わかったわ!』

 

 必死に頷くポルカに、ソラナはやっと機嫌をもどしたのかソラナの頭をギュッと抱きしめた。

 

『ポルカ?貴方は私の魂の半分よ。だから、コレを上げたの。貴方は私の命の身代わりではない。貴方が居なくなったら、私は全部壊すわ。それに、貴方に何かしたヤツは全員皆殺しにしてやる!』

『……大丈夫。私、丈夫だもの。腐ったモノを食べても、殴られてもへいき』

『ポルカ。腐ったモノを食べたらいけないし、殴られるような事があったら私に言うのよ?ソイツをなぶり殺してやるから』

 

 今はポルカが何をどう言っても、このお姫様の口からは『殺す』という物騒な言葉しか出ないらしい。

まさか、癒しの女神と呼ばれる彼女が、本当は幼い狂気を秘めた暴虐の姫だと知るのは、一体如何ほど居るのだろうか。

 

『……私だけかしら?』

『なあに?ポルカ』

『ううん、なんでもない』

『教えてよ?イジわる。キライになるわよ?』

 

 普段は聡明であるのに、ポルカの前だけでは、こんなにも幼く我儘になる姫の事を、ポルカは心から愛していた。

 

『ソラナをこんなに愛してるのは、私だけって思ったの』

 

 正直には言えないので、誤魔化した。

 けれど、その誤魔化しは正しかったようで、その瞬間ソラナの表情はパッと明るくなる。

 

『まぁ、可愛い!かわいいわ!そうよ!そう!ポルカったら放っておくと、すぐ私の代わりに、毒を飲んだり、火に飛び込んだりするのだから!でも、そんな事を私の為に躊躇いなくやるのは……貴方しか居ないわね』

『あと、私。剣で刺されても平気よ、他には……』

『怖いことを言わないで!最初は私の為にそこまでしてくれるなんて……って嬉しかったけど、もうイヤ!無茶は絶対にしないで!確かに、ポルカは凄く丈夫だけど……ムリ!少しは死ぬのを怖がって!』

『私、ソラナが死ぬ方が怖いわ』

『もうっ!』

 

 怒ってはいるが、ソラナはどこか嬉しそうだ。