74:その誰かは、俺でいいだろ?

 

 

『なぁ、サトシぃ。この焼き鳥、食ってもいー?』

『っ!』

 

 思わず飛び起きた。

 すると、視界の端に、なんてことない顔で立つ金弥の姿があった。どうやら、勝手に冷蔵庫の中を覗いているらしい。まぁ、いつもの事か。

 

『……きん?』

 

 時計を見る。時間は深夜三時を回った所だ。どうやら、俺が寝落ちしてから、三時間程が経過したらしい。きっと、もうすぐ空が白み始める頃だろう。

 

なんで、こんな時間に金弥が此処に居るんだ?

 

『な、んで。お前、ここに』

『え?サトシ。何そんなに驚いてんの?来たいから来たんだけど』

『……あ、そう』

『食っていい?』

『いいけど』

 

 金弥は何て事のない風に、俺の貰って来た焼き鳥の残りを冷蔵庫から取り出すと、そのまま串に齧り付いた。

いや、さすがに温めろよ、と思ったが、何も言わなかった。

 

『あー、うま。やっぱ、こういうのが一番オイシーわ』

『キン?』

『……いや。やっぱ、サトシん家だからかな。あぁ、なんか……落ち着く。つかれた』

 

そんな事よりも、俺は、金弥の様子が少しばかり気になった。

 いつも通りに見えて、少しおかしい。そもそも、好きな時に好きなように俺の家に来るのはいつもの事だが、さすがにこんな時間は変だ。

 

『キン、何かあったのか』

『……サトシ』

 

 俺が尋ねると、金弥はその眉をヘタリと寄せ、頼りなさ気に俺の名前を呼んだ。これじゃあ、まるで子供の頃の金弥と同じじゃないか。

 

『どうした?』

『……はぁ、さとし。おれ、おれ』

『うん』

 

 その時になると、寝る直前まで抱いていた金弥への怒りなど、俺には欠片も残っちゃいなかった。あるのは、泣きそうな顔の金弥を、どうにかしてやらないと、という気持ちだけ。

 

どうしたんだ、キン。あの子と何かあったのか。

 

『……ちょっと。きもち、悪くて』

『はぁ!?なら何で、焼き鳥なんか食ってんだよ!ってか、家で寝てろよ!具合悪いのにフラフラすんな!あぶねぇな!』

 

 みるみるうちに顔色の悪くなっていく金弥に、俺はソファから起き上がると金弥の腕を引いて、昨日から敷きっぱなしの敷布団に寝かせてやった。

 

『……はぁっ』

『おいおい、大丈夫かよ』

『少し、マシになった』

 

金弥は顔の半分まで布団を被ると、そのまま俺の掛布団に頬ずりをした。

 昔から、金弥は肌触りの良いタオルに目がない。ただ、俺の布団は古いので、決して肌触りなんて良くないはずなのだが。

 

『あったかい飲みモン……えっと湯しか沸かせないから。あぁもう。仕方ねーな。何か買ってくるわ。キン、お前は寝てろ』

『いやだ』

『は?』

『サトシ、ここに居てよ。一緒にねよ』

『でも、』

『どこも行かないでよ、サトシぃ』

 

 そう、金弥が余りにも昔みたいな顔で言うもんだから、俺はとうとう折れた。金弥に手を引かれ、狭い布団の中に潜り込む。一人用の薄っぺらい敷布団に、男二人。狭い。

 

『俺、ソファで寝るけど』

『いやだ。サトシ、サトシ』

『……どうしたんだよ。ほんとに』

『頭痛い』

『熱は……ねぇな』

『ヤな匂いと、声が……うる、さくて。あたま、がんがんする』

『お前、どこ居たんだよ』

『……サトシ、サトシ』

 

 金弥は俺の質問になど答える事なく、俺の体を自らの体に抱き込んだ。これも、たまに金弥はしてくる。身長を抜かされてから、抵抗するのは諦めた。抵抗したって、敵わない事は、随分昔に実証済だ。

 

 こうなったら、俺は金弥の抱き枕だ。

 

『……ふー』

『……おい、匂い嗅ぐなよ。昨日寝落ちしたから風呂入ってねーし。クセーぞ』

『よかった。だからか。たくさん、サトシの匂いがする』

『おい。それ、どういう意味だよ?』

 

 それってクセェって事じゃねぇのかよ。そう、俺が金弥の体を押しやろうとした時だった。

 

『さとし……なんか喋って』

『急に何だ?ホントどうした?』

『……さとし、アニメして』

 

 そう、余りにも切羽詰まったように言うものだから、俺はもう金弥に何かを聞くのは諦めた。

 本当に、小さい頃みたいだ。そう思うと、昨日までのモヤモヤは完全に消えていた。金弥は、昔とちっとも変っていない。それが、俺には嬉しかった。

 

 まだ、俺は金弥に置いて行かれてはいない。

 

『じゃあ、ビットな』

『……うん』

 

 そこから俺は、金弥にビットの第十六話「遠い過去の自分を」を話してやった。もう、あの頃みたいにビットの高い声は出せなかったけど、出来るだけビットになれるように頑張った。

 

 それから、金弥が穏やかな寝息を立てるのに、そう時間はかからなかった。眠る金弥の首筋に、俺はそっと顔を寄せる。

 首筋と金弥の髪の毛の間。うなじの部分。

 

『……くせぇな』

 

 そこからは、いつもの金弥の匂いに混じって、甘い香水の匂いがした。

 

『たのむから、風呂くらい入って来てくれよ』

 

 金弥は女の人の高い声が苦手だ。昔からそう。きっと母親を思い出すのだろう。高い、矯正みたいな声は、きっと金弥には苦痛に違いない。

 歪だ。金弥は、凄く歪だ。

 

『だったら、すんなよ。セックスなんて』

 

 その日、俺の好きだった子とセックスをした金弥と、静かに眠った。

 

 そういうのが、その後も、何回も、何回も、何回もあった。

 俺が女の子を可愛いと言うと、金弥は決まってその子とセックスをする。付き合っているのかどうかは知らない。けど、セックスをした後、金弥は酷い顔をして、俺の家に来るのだ。

 

 だから、いつからだろうか。

 もう分からない。

 

 俺は、女の子に話しかけるのが怖くなった。

 それは、金弥に女の子を取られるからなのか、それとも――。

 

 

『うえっ』

 

 

 金弥から、変な匂いがするのが嫌だからなのか。

 

 もう、自分自身、よく分からなくなっていた。

 

 

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 気持ち悪い。

 

「うえぇっぇっ」

 

 気付けば、俺はその場に多いに吐いていた。吐き散らかしていた。

 

「うわっ!?コイツ吐きやがった!」

「おいおい!もう寿命かぁ?」

「短命だからって、勘弁してくれよ!」

 

 すると、意識の遠くから俺のゲロを揶揄る声が聞こえてくる。仕方ねぇだろ。だって、気持ち悪いんだから。

 

 

 

なんでって?

 

 

「……酔った。うえっ」

 

 

 転移魔法が……こんなに揺れるなんて聞いてねぇよ!