76:マティックの苦悩

 

 

 マティックは足早に城中を駆け回っていた。

 

「時間がない。時間がない。あぁっ、まったくもって。いつも私には時間がない」

 

 ヴィタリックの死後、ともかくやるべき事が散見していた。マティックは、それを一つ一つ集め、自身の脳内へと優先順位をつけて並べてまわる。しかし、付けた先から、それを乱していく者が一人。

 

——–うるさい!マティック!お前は本当に、うるさいな!

 

「あの引きこもり王子め。時間がないというのに、髪の毛は切るわ。部屋は移動したくないと喚くわ。二言目にはサトシサトシと喚くわ……まったくもって腹立たしい」

 

 しかし、その気色がマティックの表に現れる事は一切ない。ブツブツと誰にも聞こえぬような声で呪詛を垂れ流してはいるものの、その立ち居振る舞いは至っていつもの彼だ。

 穏やかな笑み、涼し気な目元。すれ違う士官達にも、いつも通り会釈をしてまわる。

 

「まったく、まったく。時間がない」

 

 ただ、今の彼は完全なストレスフル状態といってよかった。

 マティックにとって“予定が立たない”というのと、“予定通りに物事が進まない”というのは、驚くほど彼の精神を乱した。

 

「……はぁっ、ヴィタリック様。お戻りください」

 

 そんな叶わぬ願いすら口を吐いて出る始末。

 

 ただ、唯一の救いは、ヴィタリックが本当に賢明な人物だった事である。

 

「ヴィタリック様は……自分の死をここまで把握しておいでだったか」

 

ヴィタリックの死は、彼自身が死の直前まで巧妙に手立てを講じてくれていたお陰で、外部には一切漏れていない。きっと、自身の死についても明確な日取りが分かっていたのだろう。それほどに、ヴィタリックの自身の死への準備は的確だった。

 

「……お見事です」

 

 ここから一カ月の間。

 ヴィタリックの定時演説やその他諸々。直接顔を出さずとも問題のない公務が、見事にスケジューリングされていた。

 声だけでも問題のないモノに関しては、ゲットーから取り寄せた蓄音機で、全て録音済ときたものだ。

 

 まさか、エルフの王が、人間の作った道具に頼るとは思わなかった。

 

「それだけ、ヴィタリック様も切羽詰まっていらっしゃったということか。時間が……本当に無かったんですね」

 

 エルフと人間。

 つまり、クリプラントとリーガラントは、この数百年の間、国交が完全に断絶している。そして、そういう時は必ずと言って良い程、互いの国民感情は非常に険悪になるモノだ。

 

 現在、クリプラントで、人間に対する差別心と侮蔑心が大きくなっているように。きっとそれは、リーガラント側も同じ事だろう。

 

「リーガラントか……どうしたものか」

 

 特に、人間側は、寿命が短い分、為政者もめまぐるしく変わる。そういう中で、国を一枚岩にまとめるには、手っ取り早く“敵”を作るに限るのだ。もし、ヴィタリックの死が世間に公表された場合、リーガラントがどう出るのか。

 

 可能性の全てを天秤にかける必要がある。

 

「リーガラントは軍事国家……今の元帥は、確か……いや、待て。実権は今どちらにある?まだ親の方か、それとも実質、世代交代が行われているのか」

 

 マティックは思考を整理する。ともかく、知っている事。知らない事。知るべき事に全ての情報を仕分け、情報の収集に入らねばならない。

 

「リーガラント側に関しては、少し、調べる必要がありますね」

 

 つまり、人間の為政者にとって、過去、何度も互いに戦争を起こしている“エルフ”は、国民を操るのに適した政治の道具なのだ。

 

「まぁ、それは……此方も同じ。ただ、今のうちには……国民感情の為に戦争のカードをちらつかせる余裕など無い」

 

 だからこそ、これからのクリプラントの国政はこれまでの比ではない程、困難なものになるのが予想される。全てにおいて、物事というのはいつだって波がある。太平の世が続いた後は、必ず激動の時代が来るものだ。

 

 そうやって、歴史は紡がれてきたのだから。

 

「ヴィタリック様。貴方のくださったこの一カ月、大事に使わせて頂きます」

 

 マティックは、今は亡き前王の背を思い浮かべ、心の中で平伏をした。そして、次に今後、自身が仕えるべき王を思い浮かべると、深い溜息を洩らす。

 

『あぁぁっ!サトシを呼べー!早く帰って来いと、勅命を出せー!』

 

 そう、声高にワガママを言うイーサに、マティックは貼り付けた笑みの仮面を、一瞬だけヒクリと歪ませた。

 そして、そんなマティックを宥めるように聞こえてくるのは、ヴィタリックの苦笑気味の言葉。

 

 

——マティック、そう腹を立ててくれるな。イーサを頼んだぞ。アレは、私と違って変化に強い。泰平の世には向かなかったが、これからの変化の時代に、“あの子”はピッタリだ。

 

 

「まったく、子育ては自分でして頂きたかったですよ。ヴィタリック様」

 

 色々と言いたい事はあるが、王の言葉だ。従うより他あるまい。

それに、

 

『マティック、求められているモノの本質は何だ?そこを見失うな。人間だの何だの、何の利もない感情に振り回されていては、先には一歩も進めまい。そう、俺は……イーサは思うぞ?』

 

 そう言ってニッコリと笑うのは、記憶の中の幼い頃のイーサだ。

 幼い彼に、確かに見た王気を、マティックは今でも忘れない。泰平の世と、変化の世。王とて玉座に就く時代で、賢王と呼ばれるか、愚王と呼ばれるか。それは、おおいに異なる筈だ。

 

 自身の才を開花できるかどうかは、時代による。つまり、

 

「運が、良かったと言うべきなのでしょうか」

 

『……皆、父の言葉ばかりを聞く。イーサはそんなに変な事を言っただろうか。つまらん、つまらん』

 

そして、泰平の世では異質と疎まれてきた彼の性質が、きっとこれからは花を咲かせる筈だ

 

「と、信じたいものですね」

 

 マティックは、今尚、自身の部屋でぬいぐるみと戯れているであろう、イーサの姿を思い浮かべると、深い溜息を止められなかった。

 変化の世を前に、確かにイーサ程適任な王も居ないだろう。しかし、まさか王家のネックレスを、いち早く人間に渡すとは思ってもみなかった。

 

「国を置いて先に走らねばいいが。あとは、あの人間が……どれ程使えるか。炭鉱のカナリア。見定めさせてもらいますよ」

 

 マティックは、自身の向かうべき先を定めると、その歩調を少しだけ早めた。

 

 

第2章:俺の声はどう?
米騒動
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