87:エーイチ、苦言を呈す

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 その瞬間、俺は耳を疑った。

 

 

『え?俺達は、見てるだけ?』

 

 そんな俺の問いに対し、隊長は何の抵抗も無く頷いてみせる。

 それは、先程までの、“逃げたら首を絞め殺す”という脅しから一転して、余りにも信じ難い言葉だった。

 

『そうだ、お前らは何もしなくていい。強いていうなら、先に進む時に先頭を歩き、作業中は喋り続ける事くらいだ』

『は?』

 

 隊長が何を言っているのか、理解出来なかった。いや、理解はできる。ただ、納得がいかないのだ。

 

『いやいやいや、何でですか?』

『何ででも、だ』

『えぇぇぇ』

 

しかし、戸惑う俺に反し、隣のエーイチは『はーい』と素直に返事をしている。

『はーい』じゃなくて!ちょっとは一緒に突っ込んでくれ!でないと、突っ込んでいる俺の方が頭のおかしい奴みたいじゃないか!

 

『おうおう。やっぱり、ウチのエーイチは理解が早いな。アッチの奴とは大違いだ』

『ふふ。この任務中、僕は喋り続けますね』

『その通りだ』

『……えぇ、嘘だろ?』

 

 俺には、このエーイチの「納得はしておらずとも、理解したら一旦頷いて見せる」という姿勢に、一切寄り添う事が出来なかった。いやいや、突っ込み所満載だろ。

 

 しかも、

 

『あぁ、あと一つ。一番重要な役割を言い忘れていた』

『なんですか?』

『逃げないこと、だ』

 

ぶっ倒れたい。眩暈がする。

 完全に怪しい。怪し過ぎる。絶対に何かある!そう思ったが、やはり隣からはエーイチの(以下略)。

 そして、俺がどう隊長に食い下がろうとも、それ以上隊長が何かを深く語る事はなかった。一体何なんだ、これは。

 

『急に、やべぇヤツが襲ってくるとかじゃねぇよな?』

『どうだろうねぇ』

『こえぇよ!』

『サトシは、怖がりだねぇ』

『エーイチ、俺はお前も怖いよ……』

『?』

 

 そんな訳で、俺とエーイチは坑道を進む際、必ず皆の先頭を歩かされた。ただ、最初こそそうやって『何か襲ってくるかも!』とビビリ散らかしていた俺だったが、何の事はない。

 

何も出なかった。出る気配すらない。むしろ、生き物の気配もない。

 

『よーし、今日はここを掘るぞー。各役割ごとに分かれて作業しろー』

 

 そして、拍子抜けする俺などさておき、採掘場に到着したら、本当に俺達以外の皆がいそいそと働き始めたではないか。

俺とエーイチは、その場に座らされ、隊長の最初の言葉通り、何も手伝わせて貰えなかった。

いや、これでも何回かは、手伝いを申し出たのだ。しかし、申し出たとしても絶対に断られる。それどころか『いいから、黙るな!しゃべってろ!』と言う謎のお叱りまで受ける始末。

 

 そんな訳で、俺とエーイチは皆の作業を見守り、口だけ動かす事になったのだ。

 

『サトシ、ソワソワしてるねぇ』

『するだろ!何だコレ。あんま役に立たないにしたって、俺達も採掘作業を手伝った方が良いに決まってる!』

『なんで?』

『何でって!そんなの、一刻も早く“大いなるマナの実り”を見つけたいからに決まってるだろ!?』

 

 そう、俺がエーイチに向かって声を上げると、その瞬間、エーイチはそれまでの人好きのする笑みをスッと引いた。そして、そこに残るのは眼鏡の奥で目を細め、値踏みするような視線を向けてくるエーイチの姿。

 

 それと同時に、今までの円みを帯びていた声に、急に凛とした艶が色濃く表れた。

 

『サトシってさぁ、いい意味でも悪い意味でも、几帳面で真面目で、とことん合理性を欠いてるよねぇ』

『え?』

『特別に教えてあげよう』

 

 エーイチはその丸みを帯びた顔と声で、ニッコリと微笑むと、俺の三倍はあろうかというリュックの中から、器用に一冊の記録用紙を取り出した。

 

『十年、五カ月、三年、一週間、半年、四年、三日』

『なんだよ、ソレ』

『なんだと思う?』

 

 そう、俺の下から覗き込むようにして問うてくるエーイチは、先程までの『ハーイ』と、軽やかに返事をしていた時の姿とは大違いだった。ゾクリと、俺の背中に嫌な感覚が走る。

 

『“大いなるマナの実り”が発見されるまでの期間だよ』

『え?』

『来る前に、色々調べたんだ。ここから分かる事は、“大いなるマナの実り”の発見は、完全にランダム。運任せって事だよ』

『……運、任せ』

『そ。だから、サトシがどんなに先輩に当たり散らしても、何も状況は変わらないし。何なら、ここで何の力も持たない人間の僕たち二人が加わったところで、発見への影響は、砂一粒にすら満たないだろうね』

 

 『わかった?』と、首を傾げてみせるエーイチに、俺はイマイチ頭が付いていかなかった。ただ、エーイチの口は、更に軽やかに動き続ける。

 

『情報は命だから。本当はこんなに軽々しく他人に教えたりはしないんだけど……長い付き合いになるかもだから、サトシにはタダで教えてあげる』

 

 エーイチは、手元にある記録用紙を片手で器用に捲る。その記録用紙は、俺が一昨日、買い物の際に、奮発して買ったモノと同じだった。それだけではない。エーイチの身に着けているモノを、よくよく見てみれば、どれもこれも品が良かった。

 

 俺の身に着けている、粗雑で粗末なモノとはワケが違う。

 

『サトシが一番気になってるコト。もちろん、僕も気になってるよ?でもね、知りたい事を、知りたい感情のまま相手にぶつけて、いつも正しい答えが返ってくるなんて思わない方が良い』

『え?』

『そんなのは、問いかければ答えを貰える世界で生きてた……恵まれてた人間の考え方だ。サトシって、もしかして売られる前は良いトコのお坊ちゃんだったりするのかな?』

『……』

 

 その問いかけと、エーイチからの視線に、俺は完全に自分がエーイチの本質を見誤っていた事を理解した。エーイチは金弥とは全然違う。そして、もちろん考え足らずのバカなんかでもない。

その身に“媚び”を纏い、完全に自分を武装している。

 

『俺達人間なんて、エルフの中じゃ捨て駒でしかないんだから。サトシはもう少し現実での自分の価値を正当に評価した方がいい。低く、低くね。もっと、もっと下げて』

『で、でも……そんなの、俺は納得いかねぇよ』

 

 そうだ。納得がいかない。

 何故、エルフ達から勝手につけられた“人間の癖に”なんていう価値に、自分を合わせなければならないのか。そう、俺は必死に言い返した。そうしなければ、自分の中の大事な部分を否定されそうだったから。

 

『あぁ、別に自分を卑下しろって言ってるんじゃないよ。この、クリプラントでの“人間”という立場を、もっとリアルに、シビアに、客観性を持って理解すべき、って言ってるんだ』

『……』

『そこを履き違えると、搾取される一方だよ。真摯に向き合えばどうにかなるって思ってるんだろうけど、それは甘い。甘すぎる』

 

 グウの音も出ない。確かにそうだ。俺は、人間というだけで給料の全部をエルフの奴らから買い叩かれたのだから。

 

『で、でも』

 

でも、シバやドージさんはそんな事しなかった。

 

そう、俺が言いかけた時だ。

 

『一応言うけど、たまに僕達人間に対しても、真摯に向き合ってくれるエルフも居るよ?そりゃあ、人間にも色々居るように、エルフにも色々居る。けど、そんなたまに引くアタリみたいな人を期待して、現実を見ないなんて愚か過ぎるよ。サトシ?現実を見なさい』

 

 完全に論破されてしまった。

 やっぱり、グウの音も出ない。そして、ガクリと肩を落とし項垂れた俺に対し、エーイチは更に追い打ちをかけてきた。

 

『そんなワケだからさ。この任務の件もそう。一番重要な部分は、俺達人間には隠されているんだ。どう調べても、その辺の情報だけは手に入れられなかったから。この僕が、本気で立ち回って得られなかった情報を、今ここで、真正面から隊長さん達に聞いても無駄』

 

 だから、無駄な事はしない方がいいよ。

 そう、淡々と口にするエーイチの視線は、いつの間にか労働に勤しむエルフ達へと向けられていた。

 

『サトシ。まだまだ若造のキミに苦言を呈そう』

『え、まだあるの……?ってか、え?え?若造?』

『サトシ?何事も“準備”で全てが決まる。キミが大騒ぎして知りたがっている事は、本来、ここへ来る前に調べるべき事だ。事が動き始めてから、ぐだぐだ騒いでも無駄。無駄な事に労力を払ってたら、財は成せないよ?』

『え?え?わかぞう?』

『この状況だ。ここでの生活が長くなる事を前提に、僕はここでも“商い”をやらせて貰う事にした。サトシ、必要なモノがあったら、何でもいいな?モノでも、奉仕行為でも、情報でも、金さえあれば譲ってあげよう』

『わかぞう……?』

 

 パチン!

 と音が聞こえてきそうな程のウインクを飛ばされ、俺は何度も目を瞬かせた。

 え?今、コイツは俺を“若造”と言ったか?

 

『なぁ、エーイチ。お前、何歳なんだ?』

『その情報は、一千万ヴァイスになります』

 

 そうニコリと笑って掌を差し出してきたエーイチに、俺は思った。物価の水準も、値段の価値すら分からない俺だが――。

 

『ソレは、高過ぎない?』

『うふ』

 

 その額が、異様に高い事だけは、ハッキリと理解した。