88:エーイチ先生の授業

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 エーイチは、只者ではなかった。そして、俺は本当に只者だった。

 

俺はいつもそうだ。

 

 俺の価値って、一体どこにあるんだろう。

 

 

——–サトシ、ビットやってー!

 

 

 なぁ、キン。教えてくれよ。

 

 

        〇

 

 

「さーて、休憩時間に入ったところで。僕は“商い”をしてくるよ!」

「……あぁ、いってらっしゃい」

「サトシも一緒にやる?お給金も出すよ?」

「いや、いいよ」

「そっか」

 

 

 一週間も経てば、炭鉱での共同生活にも慣れてくるもので。

そうして、その奇妙な集団生活は、外界とは異なる、少し変わった社会ルールを作り上げていた。

 

 

「はーい!みんなお疲れ様―!濡れタオルが欲しい人―!」

「あぁ、コッチにくれ」

「はーい!三ヴァイスです」

「ほらよ」

「まいどありー」

「おい、エーイチ!こっちもくれー」

「はーい!ただいまー!」

「おい、エーイチ。服と靴下が破れちまったんだけど」

「じゃあ、預かるね。それぞれ五ヴァイスです」

「金取ってくるわ」

「はーい!」

 

 

 掘削作業の休憩時間。

コロコロとエルフ達の中を駆け回りながらせっせと“商い”に励むエーイチの姿に、俺はただただ関心するしかなかった。

 

「ホント、商根逞しいなぁ」

 

 どうやらエーイチは、このクリプラントで、“金持ち”になりたいらしい。その為に、孤児だったエーイチは、ゲットーという人間の住まう地域から、自ら志願して兵士になったとか。

 

——–サトシ?モノや奉仕、情報の価値はどうやって決まるか分かる?

 

 俺はエーイチのしてくる“お金の授業”を思い出しながら、ぼんやりと動き回るエーイチの姿を追った。

 どうやら、テザー先輩もエーイチに何かを頼んでいるらしい。その口元を見れば、薄く笑みを浮かべている。

 

「なんだよ、俺に言ってくれればそのくらいやるのに」

 

 あれ、俺は一体何をこんなにモヤモヤしているんだろうか。

 

——–相手が、ソレをどのくらい欲しがってくれているかによって決まるんだよ?濡れタオルも、洗濯も、裁縫も。きっと、こんな場所じゃなければ、誰もお金を払って、僕にやって貰おうなんて思わない。

 

 

「だいたいさぁ。金、金、金って。金のコトばっか言うのもどうかと思うわ」

 

 

 俺にはいつだって金が無い。向こうの世界でも、コッチの世界でも。

 俺はいっつも「金がねぇなぁ」と、地味に背中に張り付く感情を背負いながら生きてきた。

 

今なんて、買い物の時にテザー先輩に、一部立て替えてもらった分もあるので、借金がある程だ。だから、今のところ、俺がエーイチに対して金銭を支払って何かを求めた事は、一度だってない。

 

 様々な知識も、苦言も、エーイチに言わせれば“タダ”で恵んで貰ったモノだ。

 

 

——–あぁ、あと。商売をするのにはね?信頼関係も大事だよ。特に、僕らみたいに格下の存在って言われている人間が、エルフと対等に商売をしようとしたら、そこが必要不可欠だ。じゃなきゃ、買い叩かれて終わりだもん。

 

 

 エーイチが言っている事は正しい。

 きっと、俺が突然、皆に対し「五ヴァイスで破れた作業着を繕いますよ」なんて言ったら、きっと怒鳴られて笑われた挙句、「黙ってやれ!」と、仕事だけを投げられただろう。

 

 買い叩かれる。

 俺にとっては、この一文無しの状況を引き起こしたのが、まさにエルフ達からのソレが原因であった為、中々に耳の痛い話だ。

 でも、

 

「……テザー先輩の分くらいなら、お金なんて貰わなくても、俺がやるのに」

 

 モヤモヤする。

 そうだ。俺は先輩には言ったのだ。お金なんか払わなくても、俺がやるよ、と。毎朝うがいの為の雪兎だって貰っているんだ。それくらいお安い御用だというのに。

 

『いや、いい』

『へ?』

 

 先輩は断った。エーイチに頼むからいい、と。

 

「なんだよ!俺に懐いて欲しいんじゃなかったのかよ!」

 

——–あのね?サトシ。この狭い世界のルールを、僕がもう作っちゃったんだよ。奉仕を受けるには、金銭が必要だっていう。当たり前のルールをね。そこに、タダで何の見返りもナシにやりますよ?なんて言われたら、対価を支払わない奉仕行為に、違和感を覚えちゃうのさ。

 

 

「でも、俺は……金なんか。いらねぇし」

 

 

 あぁ、俺はなにをこんなにイライラしているのだろう。皆の中で、笑顔で駆けまわるエーイチの姿に、俺はコツコツと足を鳴らした。

 

 俺は、一体何に対して、こんな……

 

「おいっ!そこの役立たず!」

「っ!」

 

すると、次の瞬間。声が響き渡った。“誰か”をバカにする声が。あぁ、誰のことだ?役立たずって。

 

「テメェだよ!テメェ!この中で役立たずっていやぁ、お前ぇしか居ないだろうが!」

「……」

 

 その声に、俺は“人間”とも、“サトシ”とも、限定する固有名詞を使われているワケでもないのに、とっさに顔を上げてしまった。

“役立たず”

 その言葉が、俺の耳の奥で反響する。そう、俺のモヤモヤの原因はソコにあった。

 

「いいよなぁ、お前は。何もせず座ってるだけでいいんだもんよ!エーイチみたいに可愛げも、役にも立たねぇ!見てるだけでイライラするぜ。なぁ、みんな?」

「……」

 

 そうだ。俺は、ここで圧倒的に“役立たず”なのだ。存在意義を、一つも感じられない。それが、なんとも言えず苦しかった。

 日に日に、苦しさが増していく。

 

「おい、やめておけ。人間相手に、見苦しいぞ」

「……テザー先輩」

「なんだぁ?お前、あんなクソの役にも立たねぇ人間を庇うのか?」

「そういう問題じゃないだろう」

 

 テザー先輩がエルフ達の間に割って入る。チラと俺を見ると、すぐに叫ぶエルフへと対峙した。なんだよ、先輩ってそういうキャラじゃないだろ。

 すると、庇いに入ったテザー先輩に対しても、そのエルフ達は鼻で笑ってみせた。

 

「へぇ。そういや、お前。あの人間とは、仲が良いみてぇだもんな?」

「お前には関係ない」

 

 短く答えるテザー先輩に、そのエルフはとんでもない事を言い始めた。

 

「分かった。ありゃ、テメェの穴ペットだな?まぁ、それぐらいにしか使い用が思いつかねーわ」

「……黙れ」

「穴っつっても、俺はアレじゃ勃たねーわ。お前も、物好きだなぁ。綺麗な顔してる癖に、とんだゲテモノ好きの変態か」

「……」

 

 エルフの下品な言葉だけが、坑道の中に響き渡る。今、テザー先輩は、一体どんな顔をしているのだろう。

 

——–このままでは、貴方はイーサ王子の足手まといにしかなりませんよ。

 

 浅い呼吸を繰り返す俺に、マティックの言葉が頭を過った。

 

「わかってる、わかってるけどさ」

 

エーイチに反論したように、俺は、自分が人間だからと言ってアイツらより“劣っている”なんて思わない。自分でそんな風に思うのは、間違いだって思ってるから、絶対に思わないようにした。

 

 でも、俺が思っているだけじゃダメなんだ。

 

——–頼むから、長生きしてくれ。

 

 そうテザー先輩が俺に言ってくれた時、俺は嬉しかった。最初の時とは違って“本当に”そう思ってくれているのが分かったから。それなのに、俺のせいで、先輩までバカにされている。

 

 俺の存在が、先輩やイーサの足手まといになる。

 

 

——–ねぇ。サトシ?“人間”っていう元々低い価値に対して、僕たちは一体どうしたらいいと思う?どうやったら、差別という縛りの中から“自由”になれると思う?

 

「……自由」

 

 そう、それは、俺の大好きなビットが一番望んでいたモノでもあった。

 

『オレは全部から自由になりたいんだ!自由に生きたい!誰にも、何にも支配されたくないんだ!』

 

【自由冒険者ビット】

 それが、俺の、子供の頃から大好きなアニメのタイトルだ。