——-サトシ?サトシはイーサが好きか?
「っ!」
目が覚めた。
鼻孔の奥から、太陽の“濃い”香りがした気がした。
〇
ナンス鉱山に来て、十日が経った。
今の所、俺の首は無事だし、絞め殺されてもいない。ついでに、まだどこの部隊も“大いなるマナの実り”は採掘できていないようだ。
そんな訳で、俺は今日も今日とて砂っぽい洞窟の中で目を覚ます。
「くあ……」
「おはよう、サトシ」
「ん。おはよう。エーイチ」
いつもの如く、既にエーイチは起きていた。手元だけを微かにランプで照らしながら、記録用紙に何かを書いているようだ。
さすが、メガネキャラ。記録用紙と顔の位置が、異様に近い。
「エーイチ。そんな事してると目が悪くなるぞ」
「ん?大丈夫だよ。ただ、新しい商いの準備をしてるだけだから」
「いや、ソレ。何も大丈夫じゃないだろ」
「ん?」
ニコニコと笑いながら首を傾げてくるエーイチに、俺は「商魂逞しいなぁ」と呟き体を起こした。まったく、今度は一体何をする気なのやら。
「ふぅ、よく寝た」
最近、固い地面で寝るのにも慣れてきた。そのせいだろうか。
少し前までは、寝ても寝ても頭がぼーっとして疲れが取れなかったのに、ここ二、三日はそういう事もない。
ずっと楽しい夢を見ていたような、そんな心地だ。それに、洞窟の中にも関わらず、起きた瞬間太陽の匂いを近くに感じる。
「……太陽の匂いって、こんな洞窟であり得ないだろ」
そう、こんな太陽の光とは無縁の洞窟の中で、そんな事はあり得ない。
まぁ、多分だけど、イーサが夢に出てくるせいだ。夢の癖に、残り香まで感じるなんて。そう考えると、俺は余りの自分の変態臭さに、妙に後ろめたい気分になった。
「そうそう。今日も凄かったよ。ね、ご、と」
「ぐ」
「何て言ってたか知りたい?」
「……いいです」
どうやら、今日も俺の寝言は凄かったらしい。気になるが、聞きたくない。なにせ、イーサの残り香まで感じるような夢だ。何を口走ってるのかなんて、恐ろしくて聞けやしない。
ヤバい事を言っていない事だけを祈りたいが、此方を見て明らかにニヤニヤとした笑みを浮かべているエーイチを見ていると、それは望み薄だ。
「……うがい行ってくる」
俺が誤魔化すように立ち上がると、エーイチが「サトシ」と、軽く声をかけてきた。
「サトシ、喉は大事にね」
「あ、うん」
「みーんな、サトシの“お話会”を楽しみにしてるんだからさ。もちろん、僕も」
エーイチの言葉に、俺は先程までの羞恥心が和らぎ、腹の底を擽られるような気分になった。これまで、苦言と教養ばかりを呈されてきたエーイチからそんな事を言われるなんて、嬉しい以外の何物でもない。
「この新しい商いは、サトシの“お話会”にかかってるんだから」
「……なぁ、一体、今度は何をやる気だよ」
「大丈夫、サトシの“お話会”の邪魔はしないし。ちゃーんと使用料は支払うから。たださぁ」
「なんだよ」
「ちょーっとだけ先のお話の展開を教えてくれたりすると、僕としては、すごーく助かるんだけどなぁ」
「だーかーら、ネタバレはしないって言ってるだろ」
「いいじゃん。ちょっとくらい。ね?」
このエーイチからのネタバレ要請も、これで何度目だろうか。いや、むしろエーイチからだけでなく、他のエルフや、果ては教官からも「お話の続きを教えてくれ」とせがまれるのだから堪らない。
「先を言っちゃったら楽しくなくなるだろうが」
「ちぇっ。そこでお金を要求すれば、これ以上ないって程稼げるだろうに。サトシは無欲過ぎるよ」
「別に。俺は無欲なんかじゃねぇよ」
「無欲だよ。僕からすれば、教会の神官みたい」
「……じゃ、俺うがい行ってくるから」
「はーい、いってらっしゃーい」
俺は今度こそエーイチに背を向けると、後ろ手にヒラヒラと手を振った。まだ暗い洞窟の中を、俺は寝息を立てるエルフ達の合間を縫って、跳ねるように歩く。
あぁ、気分が良い。
「……まったく、俺のどこが無欲だよ」
エーイチは何かにつけて、俺に『サトシは無欲過ぎるよ』と言う。けれど、俺から言わせれば、俺は強欲以外の何物でもないと思う。
ただ、欲しいモノが金ではないというだけ。
「俺は金より、皆の注目が欲しい。金より、俺の声を聴いて欲しい」
俺は無欲なんかではない。負けず嫌いの、自己顕示欲の塊だ。
〇
リンリンリンリン。
今日も今日とて、休憩を知らせる鈴の音が洞窟中に響き渡る。すると、それまで作業をしていたエルフ達が一斉に、俺とエーイチの座る岩の前へとゾロゾロやって来た。
「サトシ!休憩時間になったぜ!」
「おら!早く!続き続き!」
「おい、押すなって!」
「サトシ!マオはあの後どうなったんだ!死んだのか!?」
「はぁ!?主人公が死ぬわけねーだろ!?」
「谷底に落ちたんだぞ!それに、マオは一回死んでるんだから、そんなの分かんねーじゃねぇか!」
そう、我先にと集まってきたガタイの大きなエルフ達に、俺は思わず苦笑するしかなかった。これではまるで、扉越しに駆け寄ってきていたイーサと同じじゃないか。
「わかりましたから!別に前に来なくても聞こえるように声を張りますんで、下がってもらって大丈夫です!」
毎回そう言うのだが、どうしても皆、最前列を陣取ろうとする。
アニメと違い、実際に映像がある訳ではないのだから、前に座る意味なんてなさそうなモノなのに。しかし、それでも皆が皆、俺の近くに来たがるのだから不思議で仕方がない。
「おい、早くしろ。サトシ・ナカモト」
「テザー先輩……」
テザー先輩なんかは、気付けばいつも俺の目の前を陣取っている。これは、若干、いや、かなり恥ずかしい。しかも、穴が開くんじゃないかって程、こちらを見てくるのだから堪らない。
俺としては、むしろ目を瞑って聞いて欲しいくらいあるのに。
「……えっと、昨日は主人公のマオが仲間のスティルを庇って、谷底に落ちた所まで話しましたね。では、今日はその続きから」
仲本聡志の声による、「前回までのあらすじ」に皆の表情が一気に目の色が変わる。そして、俺は次の瞬間、喉を大いに震わせるのだ。いや、もしかしたら震えているのは心の方かもしれない。
なんて、臭い事を考えながら。
『マオ。あんまり一人で先に行かないでくれよ?近くに居なきゃ、俺はお前を回復してやれないんだから』
仲間である、スティルの声から始まるのは、第一話の回想シーン。過去の何気ない二人の会話で交わされた一言だ。
やっぱり、緊迫した場面で区切られた話の繋ぎは、緩い日常から始まるのが良い。その方が、緩急がついて物語が締まる。
『――なぁ、マオ?』
スティルの声は、どこまでも穏やかで優しい。昨日のお話会の終わりに絶叫した声とは、似てもにつかぬ声色だ。
「っ」
「……」
「はぁっ……」
聴衆の感嘆の声が、俺の耳にゆっくりと流れ込む。特にテザー先輩は、静かだが、その実感情表現が豊かだ。
まったく、この人の声ときたら、本当に独特だ。この人の声を聞くと、声とは、発生していない余白部分にも、感情は込められるのだと教えてくれる。
「……」
あぁ、やっぱり近くて良かったかもしれない。俺の声ではなく、聞き手の反応が微かな声で漏れ聞こえてくると、俺は更に背筋が震える程に興奮してしまうのだ。
皆、俺の声を聴いている!
そして、一気に物語は主人公視点の“現実”へ――。
『「スティル……!!」次の瞬間、俺は体中に走る痛みで目を覚ました』
聴衆であるエルフ達の感情が一気に物語の中に入り込んで来たのが分かった。
今日も俺の“お話会”は幕を開けた。労働に勤しみ、日々退屈と疲労に襲われるエルフ達に、俺は今日も“娯楽”を届ける。
それが、ここでの俺の新しい役割だ。自分で掴んだ、俺だけに出来る役割。
あの日。正確に言えば、三日前。
そして、つまりは、俺のストレスが爆発した日。
——-俺が、お前らの“退屈”をぶっ壊してやる!
あの日から、洞窟内での俺の“お話会”は始まったのだ。