92:イーサ、初めての

 

 

「マティック、頼む。教えてくれ。人間が自分の価値を信じ、涙を流す事なく、この国で生きて行く為には、一体俺は、このクリプラントをどのような国にすればいい?」

 

 真っ直ぐ此方を見つめながら問うてくるイーサの姿。

それに対し、マティックは思い知った。自分自身も、ここでは試される立場なのだ、と。

 

 ソラナは言った。マティックに対し、『力を貸して』と。そして、それこそがソラナの持つ、大きな魅力だった。彼女は他人と自分の間に、序列を付けない。遠いか、近いか。それだけだ。

 そして、味方に引き入れる時、彼女は必ず相手の目の前で、かしずき、手を差し伸べてみせる。

 

 王族だが、“女”の彼女らしい政治手腕。

 けれど、イーサは違う。

 

 

「マティック、答えろ」

 

 

 男として、王になる者として生まれ、育てられてきたイーサにとって、全てが自分よりも、下だ。選ぶのも、排斥するのも、全ては王の権限なのである。なんたる独裁。なんたる横暴。下手をすると、一人の愚王によって国が滅びかねない。

 

 しかし、権力の一極集中こそが今のクリプラントには必要なのだ。重大な変化を前にした時、一人の王の鶴の一声で国全体が一枚岩となって動く強固な国作りこそが、今のクリプラントを守る最大の盾となる。

 

「答えられないのか?」

「……いえ。どうして突然そんな事を思われたのか、気になりまして」

 

 やっとの事で、マティックは答える。マティックはイーサの鋭い目線に、まるで蛇に睨まれた蛙のような気分だった。それに対し、イーサはどこか遠くを見つめながら、囁くように言った。

 

「サトシが泣くからだ」

「サトシが?」

「そう。毎晩、毎晩。泣いて自分を責める。無意味だ、無価値だと肩を震わせる。違うと言って抱き締めても、聞きやしない」

 

 イーサは夢の中で不安気な目をして此方を見上げてくるサトシを想い、拳を握りしめた。初めて“ユメデンワ”をした日、イーサはいつものようにサトシに甘えた。

 

『サトシ!あもを喋らせろ!』

『サトシ!キンとは誰だ!ちゃんと説明しないとキライになるぞ!』

『サトシ!サトシ!サトシ!』

 

 そう、キンとは誰だと癇癪を起し、お話を強請った。夢の中でも、イーサはいつも通り、サトシを自分の思うままに扱ったのだ。

 

 それこそ、まるで“あも”に接するのと同じように。

 相手の都合などお構いなく、自身の癇癪や気持ちの揺らぎを穏やかにするためだけの行為。サトシなら、それをしても構わないと思った。全部受け止めてくれる、と。

 

 だから、次の日、また次の日と夢で逢う内に、サトシの様子がどんどんおかしくなっているのに、最初は気付けなかった。気付こうともしなかった。

 

「マティック。俺は自分が王になり、サトシの嫌がるモノから遠ざけてやれる力を持てば、それで済むと思っていた。けれど、どうやらそうではないらしい」

「ええ、そうですね」

 

 イーサの言葉に、マティックが深く頷く。

 イーサは夢の中での、ここ最近のサトシの姿を想った。

 

 ユメデンワの中でも、サトシは笑う事が少なくなり、感情を表に出さなくなった。イーサが何を喚いても、反応が薄い。そして、挙句の果てに、こんな事を言うのだ。

 

——-かえりたい。

 

 どこへ?と尋ねても、サトシは答えてくれない。ただ、サトシと交わした約束。「死ぬな」という言葉が、サトシの中で非常に薄くなってしまっている事を、イーサは肌で感じたのだ。

 

「マティック。炭鉱のカナリヤが、籠の中で鳴いている。そのうち鳴かなくなるかもしれない。守っていても、そのうち自ら舌を噛むかもしれないのだ」

「ええ」

「泣かせてやれるうちはまだいい。でも、またあの時のように、笑っても泣いてもくれないサトシの姿など、見ていられない。俺は怖いのだ。サトシには、ずっと“イーサ”の側に居てもらいたいのだ。だとすれば、この国を、根本からサトシの生きやすい国にしなければ。だから、その答えを知りたい。なぁ、マティック。俺はどうすればいい?」

「イーサ王子……」

 

 終いには縋るように尋ねてくる、頼りなげな王子の姿に、マティックは決意した。

 

「それは、私には答えられませんよ。イーサ王子」

「なんで!?お前は何でも知っているじゃないか!何故、教えてくれない!小言ばかり言って!意地悪ばかり言わずに教えろ!」

「違います。私は何でも知っていますが、貴方の望む、その答えだけは持っていません」

 

 マティックはソラナに対し、心の中で謝罪をした。

 やはり、自分はヴィタリックの遺言に……いや、ここからは自身の決断に従う事を、改めて決意したのだ。

 

「民の幸福の為に、どのように国を治めればよいか……それを考えるのは、“王”の仕事だからです。私の存在と、この知識は、それを補佐する為のモノに過ぎません」

「……民の話などしていない!俺はサトシの話を、」

「イーサ王子。貴方は一人のか弱い民の幸せの為に、“国”を変えようとしている。それこそが“王”の考えだ」

 

 マティックは淡々と言葉を紡ぎながら、部屋の脇にあるクローゼットへと足を向けた。扉を開けると、そこには長い事使われる事のなかった、イーサの正装が掛けてあった。

 

 ひとまず、これでいい。

 また、改めて体に合わせて採寸をし、仕立て直さねば。

 

「一人の幸福の先には、必ずクリプラント全土の民が居ます。その答えは、貴方が王となった先の道で示してください」

「俺が、」

「そうです。貴方が示すのです。それが王の特権であり、そして課せられた責務なのですから」

 

 マティックは、手にした正装をベッドの上で此方を見つめるイーサに対し、勢いよく投げやった。そんなマティックの予想外の行動に、イーサは目を丸くする。

 

 時間がない。そう、時間がないのだ。

 

「走りながら、考えなさい。その足を止める事なく、永遠に悩み続けなさい。他者の為に振るわれるその深い思考は、きっと貴方をヴィタリック様以上の賢王にするでしょう」

 

 マティックの言葉に、イーサの丸く見開いていた目が薄く細められた。そうだ。ヴィタリック以上の王になる事もまた、イーサにとっては重要な目的の一つだったのだ。

 

「マティック。着替える。出ていろ」

「はい」

「着替えたらすぐにソラナの元へ向かおう。王は俺だ。ソラナの我儘に、今度ばかりは付き合っている訳にはいかないからな」

「兄妹喧嘩もほどほどに。今や彼女は貴方の敵ではない。貴方は王だ。妹君の願いもまた、叶えておやりなさい」

 

 マティックの言葉に、イーサは小さく溜息を吐く。あの生意気な妹と、これから対峙するだけでも気が重いというのに、これから隣に立って共に歩んでいかねばならないとは。

 

「はぁっ。うるさそうだ」

 

 イーサの呟きを背中で聞きながら、マティックは小さく苦笑した。そして、扉を閉める直前、マティックはイーサに向かって笑みを含んだ声で言った。

 

「イーサ王子。あの人間、ちょっとやそっとの事で舌を噛むようなタマではないですよ?」

「え?」

「それでは。数刻後、またお迎えにあがります」

 

 マティックは風のように部屋から去って行くと、取り残されたイーサはぼんやりとその場に立ち尽くした。

 

「サトシ、泣いてないか?」

 

 目を閉じる。ネックレスから、少しでも聡志の意識を辿ろうと集中した。

 少しでも“イーサ”の事を思ってくれていれば、聡志の思考を辿れるのだが、どうだろうか。ここ最近、イーサは聡志の意識を追う事が出来ずに居た。

 

 それこそ、聡志の強かった意思が薄弱になっている証のようで、イーサは不安だったのだ。

 

「っあ!」

 

 その瞬間、イーサは聡志の意思を感じた。しかも、これまでとは違い、驚くほどハッキリと。こんなの初めてだ。

 まさか、このタイミングでこんなに明確に聡志の意思を受け取れるとは、思ってもみなかった。

 

 イーサ。ありがと。

 ずっとイーサの所に居たかった。

 二人が楽しかった。

 イーサに会いたい。

 

「……サトシ」

 

 耳の奥に響いて来た聡志の声に、その瞬間、イーサは正装を放り投げ、ベッドに居るあもに顔を埋めた。あもは、きっと変わらず笑っている事だろう。

 その瞬間、イーサは生まれて初めての感情に苛まれた。

 

「さとしが、イーサを、必要と、してる?」

 

 熱い。顔が、物凄く、熱かった。

 

「はぁはぁ、はぁっ」

 

 その事実が余りにも嬉しくて、堪らなくて。

 その日、イーサは生まれて初めて、王子ではない“イーサ”自身の存在を心から求められる喜びを知った。心を震わせる程の歓喜と、そして羞恥にその身を委ねる。

 

「イーサも、早くサトシに会いたい」

 

 イーサはただただ、腹の底から湧き上がってくる充足感に、深くその身を溺れさせたのだった。

 

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