91:イーサの野望

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 イーサは、パチリと目を覚ました。目覚めて最初に目に入ってくるのは、見慣れた天井。チラリと顔を横に向ければ、そこには笑顔のあも。

 

「サトシ……」

 

 聡志が泣いている。ここ最近、ずっとそうだ。

 

「はぁっ」

 

 イーサは短くなった髪の毛を、かき上げながら体を起こした。本当はかきあげる髪の毛など、もう無いのだが、未だに長かった頃の癖が抜けない。

 カーテンの隙間から朝日がキラキラと入り込んでくる。眩しい。きっと、今頃サトシは、坑道の奥。薄暗く湿った場所で目を覚ましている頃だろう。

 

 サトシがナンス鉱山へ、“カナリヤ”として連れて行かれて、今日で七日が経った。

 

「あも、今日もサトシは泣いていたぞ」

 

 イーサは笑顔のあもを抱き上げると、そのままギュッとそのフワフワの体を抱き締めた。

 

「自分には何の価値もないと言っていた。役立たずで、だから苦しい、と。あも?人は誰かの役に立たねばならないモノなのか?」

 

 あもは、ただ静かに笑ってイーサを見ている。

 

「俺は……イーサはな?サトシは居てくれるだけで価値があると思っているのだが、それじゃだめなんだろうか。サトシはあんなに優しくて、凄くて、素晴らしいのに。まるで、あも。お前のようにな」

 

 どんなに問いかけても、あもは笑うだけ。聡志が居なければ返事をすることなどない。

 

 コンコン。

 イーサの部屋の戸が叩かれる。その音に、寝起きのイーサは夢の中の名残のせいか、一瞬、聡志が会いに来てくれたのかと思ってしまった。そんな事、ありはしないのに。

 

「イーサ王子。起きていらっしゃいますか」

「なんだ、マティックか」

「……入りますよ」

 

 イーサの返事を待つ事なく、部屋の扉が容赦なく開かれた。開いたと同時にマティックの深い溜息が聞こえてくる。

 

「イーサ王子。いい加減その兎と戯れるのはお止めください。威厳の欠片もない」

「あもが居て保てぬ威厳など、クソ食らえだ」

「……はぁっ、あぁ言えばこう言う。それに、どこでそんな汚い言葉を覚えたのですか?」

「サトシが言っていた。格好良い言葉だ」

「おやめください。王族に相応しくない」

「お前の小言は聞き飽きた。用が、そのお小言なのであれば、去れ」

 

 マティックの小言など、出来る事なら聞きたくない。イーサはあもの手で自身の尖った耳を抑えると、チラと視線のみをマティックへ向けた。もちろん、ベッドから降りる気など毛頭ない。

 

「……先日のソラナ様の件ですよ。分かっておいででしょう?」

「知るか」

「あれは何ですか?せっかくソラナ様が会いに来てくださったのに。布団にくるまって隠れるなんて。それでも貴方はお兄様ですか」

「ソラナがうるさいのが悪い。それに、あんなのは会いに来たとは言わない。あんなのは、勝手に部屋に入って来て、頼んでもいない演説をして帰って行った不法侵入者だ」

「そうかもしれませんが、」

「昔からソラナは人の話を聞かない。女だからと甘やかされてきたから、あぁなったんだ。親の顔が見てみたい」

「……まったく。半分は貴方と同じ血が流れておいでですよ」

 

 マティックは悪びれる様子のないイーサの態度に眉をヒクつかせた。ソラナについては、あながち間違った事を言っている訳ではないのだが、マティックにしてみれば「それをお前が言うのか?」という気持ちが先行してならない。

 

「しかし、ですよ。イーサ王子」

「なんだ」

「確かにソラナ様は、ご自身の論に傾倒されてしまいがちですが、それでも彼女の言葉には力があります」

「……」

 

 百年間引きこもっていたイーサと違い、ソラナの言葉は、それはもう雄弁だった。

 

『今、このクリプラントを立て直せるのは、この私しか居ないわ!』

 

そのハッキリとした言葉に、マティックは思わず息を呑んだ。その言葉が、余りにも魅力的だったからだ。

 

『女の王が立つ事こそ、今、この国が変化の淵に立たされている事を国民に知らしめ、新しい時代の幕開けを宣布するのにもってこいの筈!マティック、貴方が居れば前例などなくともやれると、私は信じているわ!そんな毛布に隠れる愚か者にではなく、私に力を貸してちょうだい!』

 

 前王、ヴィタリックの遺言を受けたマティックにとって、イーサを王に擁立する事は決定事項だ。

そして、そうする事を是として、マティックは日々忙しさに明け暮れているのだが――。

 

『マティック!私を王になさい!悪いようにはしないから!』

 

 その意思を根底から覆してしまいそうになる程に、ソラナの言葉には力があった。人の気持ちをガラリと変えてしまう力が。

 

「そうは言ってもですよ?イーサ王子。これからの王政にとって、ソラナ姫だけが、唯一王族の中で必要となるお方です。彼女を欠いて、これからの大局は乗り切れません」

「……」

 

 返事はない。

 未だにベッドの上で、あもを抱き締めるイーサの姿に、マティックは王の遺言を手の中で握りつぶしてしまいそうになるのを止められなかった。

 本当に、ソラナを王に擁立してしまおうか。そんな事を、ヤケクソでも何でもなく、冷静に思ってしまう程に、ソラナは王に向いているように思えたのだ。

 

「イーサ王子。正直に申し上げます。私は貴方を王にすべきか、迷っているのです」

「……」

 

 この際だ、正直に全てを口にしてしまおう。マティックは、ヴィタリックの死後、常に付きまとっていた己の中のイーサに対する不安と、不満をぶちまける事にした。ここで、どう返してくるか。

 

 それで、全てを決めてしまおう。

 

 そう、マティックは己の中で、イーサ相手にソッと選択肢を提示した。相手からの信頼、そして、重大な決断は、こうして貴方の知る由もない所で度々行われるのですよ、と心の中で静かに呟きながら。

 

「ソラナ姫は確かに自己主張の激しい御方だ。けれど、王たるもの、主張すべき己の意思を強く持っている事は、悪い事ではない。彼女の言葉に貴方はどう思われましたか?本当にうるさい、としか感じませんでしたか?」

「……」

「そうじゃないでしょう。彼女の言葉には、力と魅力がありました」

 

 ソラナ姫が“男”であれば。

 そう、マティックも何度思ったことか。

 

 しかし、歴史に「もしも、」は存在しない。

 それに、ソラナは「男」を驚くほどに毛嫌いしている。そして、その男に対する腹の底の煮詰まった感情こそが、彼女を“聡明”たらしめているのだ。それを、男であればなどと仮定するのは、それこそナンセンスである。

 

「彼女は、自身が女性初の国王になる事で、自分自身を“女”という不自由な身分から解放するおつもりです。このように、彼女には自らの為の“野望”がある」

「……」

 

 イーサは未だに黙ったままだ。

 ただ、あもに埋めていた顔を、少しだけ上げた。イーサは、どこか遠くを見ているようだった。

 

「イーサ王子。貴方に“野望”はおありですか?貴方はこの国をどこに導きますか」

 

 マティックは黙りこくるイーサに最後の問いを投げた。ここでの返答によっては、マティックはヴィタリックの遺言を反故にする事も辞さないつもりだ。その場合、父親との決裂は避けられないが、ヴィタリックの居ない父など、マティックは怖くなどなかった。

 

(さぁ、どう答える。イーサ)

 

 いつもの穏やかな口調に秘めた、マティックの意思は、それはもう強固だった。

 

 マティックの目の前には大きな分かれ道が現れた。

 イーサか、ソラナか。それとも国の滅亡か。

 マティックに、どの選択肢を選ばせるかは、イーサ次第だ。

 

「なぁ、マティック」

「なんでしょう、イーサ王子」

「人は、どうすれば幸福になれる?」

「は?」

 

 イーサの口から飛び出してきた“問い”に、マティックは一瞬虚を突かれた。

 まさか、質問に対し、質問で返されるとは思わなかった。同時に、イーサから向けられる視線に、マティックは、ドキリと心臓を鳴らした。

 

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