103:炭鉱のカナリア

 

 

「じゃあ、もう友達でいいよ。相手が死ぬのを想像して、本気で嫌だと思えるなら、もう十分友達だって」

「それが自分の利益の為でも?」

「うーん。エーイチは頭が良過ぎて、ちょっとズレてるとこあるよな?」

 

 俺は「自分の利益」なんて本気の顔で口にしてくるエーイチに、思わずその頭を撫でだ。俺より年上で、俺より人生経験も豊富で、頭も良い。けど、何だか撫でずにはおれなかった。

 多分、エーイチにしても、そしてイーサにしても、人付き合いという点に置いてなら、俺の方が完全に先輩だからだ。

 

 まったくステータスの振り分けが、どいつもこいつも極端過ぎる。

 

「ふはっ」

「……さ、サトシ?」

 

 そんな俺を、エーイチは戸惑ったような瞳で見上げてくる。

 

「エーイチはさ?“自分の利益”の中に、本当は関係なかった筈の“サトシ”を入れてくれたって事だろ?だから、俺に何かあると、エーイチ自身が不安になるんだ」

「……それは。確かに、そう、かも」

「だろ?だったらさ、俺もそうだよ。俺もエーイチに何かあったら、きっと不安で悲しくなる。これって、俺の中にもエーイチが居るって事だ」

「サトシの中にも、僕が?」

「そうそう。だから俺達はお互いの中に、お互いが居るって事だから、もう友達でいいんだよ」

「っ!」

 

 俺の言葉に、エーイチの眼鏡がじわりじわりと曇っていく。顔も真っ赤だ。どうやら、眼鏡は本気で照れると、自分の熱気で眼鏡を曇らせるらしい。新発見過ぎる。

 

「サトシ……ぼ、僕まで具合が悪くなってきたじゃん」

「それは具合が悪いとは言わない。恥ずかしくて、照れてるだけだよ」

「照れるって、そんな。だって、顔が物凄く熱いんだ!こんなの初めてだよ!どうしてくれるんだ!責任を取ってよ!サトシ!」

「ぶはっ!もうっ、何だよ責任って!そんなの、俺は何をどうすりゃいいんだよ?」

 

 エーイチとの会話が楽し過ぎて、俺は喉に違和感を覚えつつも、会話を止める事ができなかった。それどころか、どんどん声を張ってしまう。

 しかし、どうやらソレがいけなかったらしい。

 

 次の瞬間、俺の喉にはビリとした強い違和感が走り抜けた。

 

「っ!げほっ!げほっ!」

「ちょっ、サトシ!?」

「っ、だいじょうぶ、ちょっとムセただけ」

「やっぱ変だよ、サトシ!咳もちょっと酷くなってるんじゃない!?まさか、僕を置いて死ぬ気!?」

「イチイチ、死ぬ死ぬ言うなよ……ちょっと喉に違和感があるだけ。痛いワケじゃないんだ」

 

 俺が喉を抑えながら、顔を上げてみると、そこには泣きそうな顔で此方を見つめるエーイチの顔があった。まだ少し、頬と耳に赤みが残っている。

 

「エーイチ。心配すんなよ。一人になんてしない。一緒にこんな所出ようぜ」

「……サトシ」

「採掘が終わったらさ、街で一緒に買い物してよ。俺に、買い物しながらモノの値段の事とか教えて」

「……うん」

 

 口にすればする程、俺への死亡フラグが明確に立っていくようで、若干、気にはなったが、本当に少しだけ喉に違和感を覚えているだけなのだ。

 別に強がってる訳じゃない。

 

「昔からさ、俺、喉が敏感なんだ。普通の人だったら気付かないようなホコリとかにも反応しちゃって。だから、心配しなくていい。いつもの事だから」

「ほんと?」

「うん、ほんと」

 

 これは、本当だ。昔からそう。声優を目指してるからというのもあるが、俺はそもそも喉が異様に過敏なのだ。昔はよく病院の世話にもなっていた。だから、濡れマスクもするし、うがいも欠かさない。

 そうしなければ、すぐに喉を腫らして熱を出してしまうからだ。でも、逆に言えば、それだけ。

 

 たった、それだけ。いつもの事。

 

「だから、エーイチ安心しろよ」

「……」

 

 そう、俺がエーイチに笑いかけた時だ。何故かエーイチが、俺に向かって、パタリと体を預けてきた。どうしたのだろう。安心したのか。それとも甘えたいのか。

 

「どうしたんだよ?エーイチ」

「……ぁぅ」

「エーイチ?」

 

 俺がエーイチの顔を自分の方へ向けると、エーイチの顔は真っ青だった。先程まで、あんなに赤みを帯びていた肌が、今や、色を失くしてしまっている。

 

「はっはっ……ぁう」

「えっ、なっ!なんで?どうしたんだよ、エーイチ?」

 

 呼吸も浅い。顔色も悪い。そして、極めつけが、

 

「エーイチ!おいっ!エーイチ!」

 

 完全に、エーイチの意識は失われていた。その余りにも急激な変化に、俺は先程の元気だったエーイチの言葉を思い出した。

 

——サトシに何かあったらって考えたら、僕は堪えられないんだ!

 

 待ってくれ。そんなの俺だってそうだ。俺だって、一人じゃないからやってこれたのに。

なんで、どうして。急に、エーイチが!

 

「テザー先輩!エーイチが倒れた!なんか変だ!」

 

 俺の貫くような叫び声が、炭鉱労働に勤しむエルフ達の中を一気に駆け巡る。その瞬間、エルフ達の間に走った強烈な緊張を、凍るような背筋で、俺はハッキリと感じ取った。

 その中で、エーイチの呼吸は更に浅くなる。

 

「っは」

「っおい!エーイチ!どうしたんだよ!?エーイチ!」

 

 俺は腕の中で、死んだような顔色になっていくエーイチの姿に、それまでピリとした感覚に過ぎなかった喉の違和感が、それ期に、ビリビリとした痛みに変わるのを、ハッキリと感じた。

 

「っいった!」

 

 それは炎症による腫れからくる痛みではない。こんなの、初めてだ。ここには、何か変なモノがある。おかしなモノが蔓延している。

 

「いーさ、ここ。へんだ」

 

 思わず漏れた声に、俺は首元のネックレスが酷く温かくなるのを感じた。しかし、それもなんか遠い。

 

——–サトシ、僕達ってね裏で何て呼ばれてるか知ってる?

 

 エーイチの声が、遠くに聞こえた気がした。

 

 籠の中から、逃げない事。

 籠の中で、鳴き続ける事。

 籠の中で、飼い主の心を癒す事。

そして、

 

「カナリアが倒れた!お前ら全員早急に、前地点まで撤退しろ!この道は捨てる!」

 

 俺まで、意識が朦朧としてきた。

 遠のく意識の向こうで、隊長の撤退命令が響き渡る。まるで、倒れる俺達の姿こそが、警告だったかのように。

 

 炭鉱のカナリア。

 

 鳴き続けていた鳥の声が止む時、それこそが、俺達の本当の存在意義が示される時だ。