112:分かれ道の決断

 

 

——–サトシ!さぁ!よく来たな!おいで、イーサとあもがお前を素敵なお茶会に招待してやろう!

 

 

 そう言って美味しいお菓子を一緒に食べたのは、果たしていつの夢だっただろう。もう、よく思い出せない。ただ、楽しかった事だけはハッキリと覚えている。

 けど、最近じゃ俺はめっきり夢を見なくなった。

寝起きにエーイチから『今日も凄かったよ。ね、ご、と』と揶揄われる事もない。

 

 曖昧な記憶の中でハッキリと残る、暖かな温もり。

 夢の中では、俺は小さな子供だった。

 

——–おいしいか?サトシ。どんどん食べるといい!ここでは沢山食べても何も問題はないからな!

——–あぁ、そうだ!サトシ。あもを抱っこするか?サトシなら特別にあもを抱っこしながらお菓子を食べる事を許す!

——–サトシ?ほらおいで。あもを抱っこしたサトシを、今度はイーサが抱っこしてやろう!

 

 夢の中のイーサは癇癪を起さない。我儘を言わない。むしろ、俺の我儘を聞いてくれる。癇癪を起させてくれる。

 そして――、

 

——–ふふ。イーサは最近“幸せとは何か?”について考えていたんだが、少しだけ分かった気がする。大好きなモノが大好きなモノを抱っこして、その大好きなモノを抱っこする!これが幸せだと、イーサは発見した!

 

 抱きしめてくれる。

 フワフワで、温かくて、太陽の匂いに包まれたそこが、俺は大好きだった。けれど、もうその場所には、長らく行けていない。

 

 

「……けほっ」

 

 俺は首輪の上からソッと喉に触れた。そして、唾液を深く飲み込み、じっくりと喉の様子を確認する。

痛くはない。ただ、少し乾燥している。ちょっと嫌な感じだ。うがいは毎日しているのに。まったく、この軟弱な喉ときたら、本当にこれまでも散々俺を困らせてくれた。

 

 でも、この喉の軟弱さが、まさか誰かの役に立つ日が来るとは思わなかった。

 

「おい、サトシ!来てくれ!また道が分かれたぞ!」

 

 そう、大声で隊長が俺を呼ぶ。

 掘削中の先の道を見てみると、確かにそこには今まで進んでいた道の他に、もう一つ道が現れていた。

 ここで俺達は大きな選択を迫られる。これまで進んで来た前方の道か、それとも左側方に現れた新しい道か。二つに一つ。それこそ、此処に居る全員の命を賭けた選択だ。

 

 どちらかが毒の道かもしれないし、両者ともに毒の道かもしれない。はたまた、どちらも安全な道か。俺は新たに現れた道を前に、腰に掛けていた水筒の水を口に含んだ。

 

そう、どちらの道を行くか選ぶのは、この俺だ。

 

 

 

「わかりました。じゃあ、いつもみたいに皆はここで待っててください。先に、俺だけ行って“確認”してくるので」

「ああ、気を付けろよ」

「はい」

 

 此方を見つめてくる大勢のエルフ達の視線を受けながら、俺は新しく現れた左側の道へと一歩踏み出した。

 

「さとし…」

「ん?」

 

 踏み出した瞬間、背後から弱弱しくもハッキリと呼ばれた名前に、俺はヒクリと肩を揺らす。まだその声には、完全な“張り”が戻っていない。本調子じゃないのは、火を見るより明らかだった。

 

「どうした?エーイチ」

「さとし」

 

 そう、振り返って声のする方を見てみれば、そこには先程まで岩場にもたれかかって座っていたエーイチが、俺のすぐそばまで来ていた。

倒れて一週間も経つというのに、未だにその顔色は優れない。元々は艶のある血色の良い肌色だったのに、今はまるで貧血を起こしたように蒼白だ。どうやら、体内にある鉱毒マナが未だに散り切れていないらしい。

 

「座ってろよ。体、キツイんだろ?」

 

 エーイチと俺が倒れて一週間。

 まさか、鉱毒マナの影響がここまで尾を引くものだとは思わなかった。本当に、俺達人間はマナへの耐久値が殆どない事が、これでよく分かる。

 

「僕のことより、サトシは……からだは?きつくない?」

「ああ、めちゃくちゃ元気だよ」

「……それ、全然信用出来ない。サトシは、すぐに無茶をするから。商売の世界じゃ、信用が第一なのに。今のサトシは信用貯金ゼロだよ」

「ったく、こんな時まで苦言をありがとよ。ちょっとは元気になって来たじゃん」

「ん。随分マシになってきた。余裕が出てきたお陰で、サトシの事が心配でたまらないよ」

「だーかーら、平気だって。なんで俺は自分より具合の悪そうなヤツに、こんなに心配されてんだろうな」

 

 そう、俺が苦笑しながら言うと、突然エーイチはその大きな真っ黒い目に大粒の涙を溜め始めた。

 

「おい、なに泣いてんだよ」

「……ごめ、ごめんねぇ。サトシにばっか、“カナリア”させて」

 

 “カナリア”をさせる。変な言葉だ。でも、確かにそうかもしれない。俺は声を出すのが好きだし、人に喜んでもらえるのも好きだ。

 だから、別にいい。ここに来た“最初”の頃より、全然マシだ。むしろ楽しいくらいある。俺は“カナリア”をやるのが好きだ。

 

「好きでやってんだよ。俺は」

「ぞんな゛ごどばっかり、いっでぇ」

 

 最近、エーイチはすぐ泣く。多分、体調が悪くて無意味に不安になるのだろう。俺も子供の頃に熱を出すと、無意味に泣いていたモンだ。

 

「ほら、もう泣くなってば。別に負担じゃねぇし。そういえば、エーイチ。昨日よりはちょっとずつ顔色も良くなってるみたいだぞ。元気になるのもうすぐだな?」

 

 鞄の中から一枚のタオルを取り出すと、俺は眼鏡の向こうでハラハラと涙を流すエーイチの目元をゆっくりと拭ってやった。

 

「うっ、うん。きのうより、大分、マシになったよ」

「なら、良かった」

「ぼく、元気になったら。サトシに付いて行くから」

「わかった。その時は一緒に行こうぜ」

「……絶対、付いて行くから」

 

 そう、絶対に譲らないという強い意思をたたえた目で此方を見てくるエーイチに、俺は「はいはい」と軽く返事をした。そうやって、涙をタオルで拭ってやっていると、俺の目にエーイチの首元でキラリと光るモノが目に入ってきた。

 

 そこには、クリプラントの国章の付いたネックレスが、エーイチの華奢な首元を彩っている。むしろ、俺より似合ってるかもしれない。だから、これでいい。

 

「ったく……何言い訳してんだか」

「え?」

「なんでもないいよ」

 

 俺は、そうやって記憶の片隅で響いてくる声から目を逸らすと、不思議そうな表情で此方を見つめてくるエーイチに笑ってみせた。

 いつに間にか、エーイチの涙は止まっている。エーイチの頬から最後の涙を拭うと、タオルをポケットへと仕舞った。

 

 

 さぁ、そろそろ行かないと。