——–サトシ!さぁ!よく来たな!おいで、イーサとあもがお前を素敵なお茶会に招待してやろう!
そう言って美味しいお菓子を一緒に食べたのは、果たしていつの夢だっただろう。もう、よく思い出せない。ただ、楽しかった事だけはハッキリと覚えている。
けど、最近じゃ俺はめっきり夢を見なくなった。
寝起きにエーイチから『今日も凄かったよ。ね、ご、と』と揶揄われる事もない。
曖昧な記憶の中でハッキリと残る、暖かな温もり。
夢の中では、俺は小さな子供だった。
——–おいしいか?サトシ。どんどん食べるといい!ここでは沢山食べても何も問題はないからな!
——–あぁ、そうだ!サトシ。あもを抱っこするか?サトシなら特別にあもを抱っこしながらお菓子を食べる事を許す!
——–サトシ?ほらおいで。あもを抱っこしたサトシを、今度はイーサが抱っこしてやろう!
夢の中のイーサは癇癪を起さない。我儘を言わない。むしろ、俺の我儘を聞いてくれる。癇癪を起させてくれる。
そして――、
——–ふふ。イーサは最近“幸せとは何か?”について考えていたんだが、少しだけ分かった気がする。大好きなモノが大好きなモノを抱っこして、その大好きなモノを抱っこする!これが幸せだと、イーサは発見した!
抱きしめてくれる。
フワフワで、温かくて、太陽の匂いに包まれたそこが、俺は大好きだった。けれど、もうその場所には、長らく行けていない。
「……けほっ」
俺は首輪の上からソッと喉に触れた。そして、唾液を深く飲み込み、じっくりと喉の様子を確認する。
痛くはない。ただ、少し乾燥している。ちょっと嫌な感じだ。うがいは毎日しているのに。まったく、この軟弱な喉ときたら、本当にこれまでも散々俺を困らせてくれた。
でも、この喉の軟弱さが、まさか誰かの役に立つ日が来るとは思わなかった。
「おい、サトシ!来てくれ!また道が分かれたぞ!」
そう、大声で隊長が俺を呼ぶ。
掘削中の先の道を見てみると、確かにそこには今まで進んでいた道の他に、もう一つ道が現れていた。
ここで俺達は大きな選択を迫られる。これまで進んで来た前方の道か、それとも左側方に現れた新しい道か。二つに一つ。それこそ、此処に居る全員の命を賭けた選択だ。
どちらかが毒の道かもしれないし、両者ともに毒の道かもしれない。はたまた、どちらも安全な道か。俺は新たに現れた道を前に、腰に掛けていた水筒の水を口に含んだ。
そう、どちらの道を行くか選ぶのは、この俺だ。
「わかりました。じゃあ、いつもみたいに皆はここで待っててください。先に、俺だけ行って“確認”してくるので」
「ああ、気を付けろよ」
「はい」
此方を見つめてくる大勢のエルフ達の視線を受けながら、俺は新しく現れた左側の道へと一歩踏み出した。
「さとし…」
「ん?」
踏み出した瞬間、背後から弱弱しくもハッキリと呼ばれた名前に、俺はヒクリと肩を揺らす。まだその声には、完全な“張り”が戻っていない。本調子じゃないのは、火を見るより明らかだった。
「どうした?エーイチ」
「さとし」
そう、振り返って声のする方を見てみれば、そこには先程まで岩場にもたれかかって座っていたエーイチが、俺のすぐそばまで来ていた。
倒れて一週間も経つというのに、未だにその顔色は優れない。元々は艶のある血色の良い肌色だったのに、今はまるで貧血を起こしたように蒼白だ。どうやら、体内にある鉱毒マナが未だに散り切れていないらしい。
「座ってろよ。体、キツイんだろ?」
エーイチと俺が倒れて一週間。
まさか、鉱毒マナの影響がここまで尾を引くものだとは思わなかった。本当に、俺達人間はマナへの耐久値が殆どない事が、これでよく分かる。
「僕のことより、サトシは……からだは?きつくない?」
「ああ、めちゃくちゃ元気だよ」
「……それ、全然信用出来ない。サトシは、すぐに無茶をするから。商売の世界じゃ、信用が第一なのに。今のサトシは信用貯金ゼロだよ」
「ったく、こんな時まで苦言をありがとよ。ちょっとは元気になって来たじゃん」
「ん。随分マシになってきた。余裕が出てきたお陰で、サトシの事が心配でたまらないよ」
「だーかーら、平気だって。なんで俺は自分より具合の悪そうなヤツに、こんなに心配されてんだろうな」
そう、俺が苦笑しながら言うと、突然エーイチはその大きな真っ黒い目に大粒の涙を溜め始めた。
「おい、なに泣いてんだよ」
「……ごめ、ごめんねぇ。サトシにばっか、“カナリア”させて」
“カナリア”をさせる。変な言葉だ。でも、確かにそうかもしれない。俺は声を出すのが好きだし、人に喜んでもらえるのも好きだ。
だから、別にいい。ここに来た“最初”の頃より、全然マシだ。むしろ楽しいくらいある。俺は“カナリア”をやるのが好きだ。
「好きでやってんだよ。俺は」
「ぞんな゛ごどばっかり、いっでぇ」
最近、エーイチはすぐ泣く。多分、体調が悪くて無意味に不安になるのだろう。俺も子供の頃に熱を出すと、無意味に泣いていたモンだ。
「ほら、もう泣くなってば。別に負担じゃねぇし。そういえば、エーイチ。昨日よりはちょっとずつ顔色も良くなってるみたいだぞ。元気になるのもうすぐだな?」
鞄の中から一枚のタオルを取り出すと、俺は眼鏡の向こうでハラハラと涙を流すエーイチの目元をゆっくりと拭ってやった。
「うっ、うん。きのうより、大分、マシになったよ」
「なら、良かった」
「ぼく、元気になったら。サトシに付いて行くから」
「わかった。その時は一緒に行こうぜ」
「……絶対、付いて行くから」
そう、絶対に譲らないという強い意思をたたえた目で此方を見てくるエーイチに、俺は「はいはい」と軽く返事をした。そうやって、涙をタオルで拭ってやっていると、俺の目にエーイチの首元でキラリと光るモノが目に入ってきた。
そこには、クリプラントの国章の付いたネックレスが、エーイチの華奢な首元を彩っている。むしろ、俺より似合ってるかもしれない。だから、これでいい。
「ったく……何言い訳してんだか」
「え?」
「なんでもないいよ」
俺は、そうやって記憶の片隅で響いてくる声から目を逸らすと、不思議そうな表情で此方を見つめてくるエーイチに笑ってみせた。
いつに間にか、エーイチの涙は止まっている。エーイチの頬から最後の涙を拭うと、タオルをポケットへと仕舞った。
さぁ、そろそろ行かないと。