114:ネックレスを外す時

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『先輩。隊長に伝えてください。今後、道の選択は全部俺にさせるようにって』

『は?お前、一体なにを……』

 

 俺の言葉に驚いた表情を浮かべるテザー先輩を余所に、俺は首にかけていたイーサからのネックレスを外した。それまで当たり前のように俺の首に掛かっていたソレは、今は俺の掌の中で静かに光り輝いている。

 

 あぁ。これが、ずっと俺の事を守ってくれていたのか。

 

『おい。何してんだよ。お前がソレを外したらダメっしょ』

『……あの、テザー先輩』

『なんだよ』

『エーイチは、どのくらい危なかったんですか?』

『は?』

 

 俺はテザー先輩の問いには答えず、逆にずっと気になっていた事を尋ね返した。俺の視線の先には、静かな寝息を立てて目を閉じるエーイチの姿。

 

『……エーイチは、何ていうか。その、』

 

 俺がエーイチの容態について尋ねた瞬間、それまで俺に勢いよく言葉を被せてきていたテザー先輩の視線が逸らされた。

 

耳をすましてみれば、エーイチの口から漏れる呼吸は、短く、そして浅い。

それに加え、その顔色ときたら少しの生気も感じられなかった。真っ白を通り越して灰色に染まったその顔は、まるで死んでいるようだ。

 

『先輩。俺には知る権利があるって言ってくれましたよね。本当の事を教えてください』

『……そう、だったな』

 

 運よく息をしているだけ。

俺にはエーイチの姿が、そんな風に見えて仕方がなかった。

 

『……あと少し、鉱毒マナを吸い込んでいたら、死んでいたと、思う』

『そっか』

 

 やっぱり。

 俺は眠るエーイチを見つめながら、ソッとその頬に触れてみた。冷たい。いつも表情をコロコロと変え、商いの為にあちこち忙しそうに動き回っていたいつものエーイチが嘘みたいだ。

 

『この、鉱毒マナは時間が経つと……ちゃんと、消えますよね?ずっとこのままなんて事は無いんですよね?』

『まぁ、最終的には自然と体外に排出されるだろうが。此処では、次にいつ鉱毒マナのスポットに当たるか分からないからな。特にエーイチは症状が現れるのが、体内許容量のかなりギリギリの所だった……だから、こうなった』

『それって、次、俺達が気付かずにマナスポットに当たったら……エーイチは死ぬって事ですか?』

『っそれは、』

 

 俺のハッキリとした問いに、テザー先輩はヒクリと眉を寄せた。

 俺だってこうも「死ぬ」なんてハッキリ口にしたくはない。けれど、ここは怖がって現実から目を背けている場合ではないのだ。

 

——–死ぬな、サトシ。

 

 出発の前の晩。イーサが俺に真剣な顔でそう言ってくれたのを思い出した。あの時のイーサの気持ちが、俺にもやっと分かった。

 

 俺は、未だに自分の“死”には興味がある。

なにせ、此処はそもそも俺の元の世界ではない。もしかしたら、長い夢を見ているだけかもしれないなんて、未だに本気で思っている。

 

『でも、それは“俺”だけの話だ』

 

夢でも、夢じゃなくても。この世界の皆は“死んだら確実に終わり”だ。テザー先輩も、エーイチも、シバさんも、ドージも。あのメイドさんも、

 

そして、イーサも。

 

『死なせたく、ねぇな』

 

 そう、死なせたくない。

この世界において、俺は自分の命よりも、皆の命の方が遥かに重みを感じるんだ。そんなのまるで物語の“主人公”みたいじゃないか。

 

『っは、何が主人公だ。こんな主人公。居てたまるかよ』

 

俺は、どこかでこの世界を“俺の世界ではない”と、ハッキリ認識している。だから、自分の命にはこの世界の“死”の後も、どこかで続くと思っているのだ。だからこそ、そんな事が思える。自分は安全な場所に居るから。

 

 ただ、それだけだ。

 俺の大好きで尊敬する“主人公”達には程遠い。

 

俺は首から外したイーサからのネックレスを手に、眠るエーイチの側に寄った。

 

『おい、サトシ・ナカモト。お前、それをどうするつもりだ』

『……この状況でどうするかなんて、テザー先輩なら言われなくてもわかりますよね』

 

 このネックレスを、エーイチに付ける。

ひとまず、そうする。革の首輪のついたエーイチの首に俺はソッとネックレスを通した。

 

『おいっ!やめろよ!そんな事をすれば、お前が次はこうなるんだぞ!』

『大丈夫です』

『何が大丈夫だ!忘れたのか!?転移魔法で此処に来た時の事を!お前はタダでさえマナを体内に溜めやすい性質なんだ!鉱毒マナもすぐに閾値に達するぞ!死にたいのか!?』

 

 テザー先輩の怒声が、俺に口を挟む間もなく響き渡る。先輩のこの怒声、何か久しぶりだ。出会ったばっかりの頃は、この声ばっかり聞いていた気がするのに。でも、あの時と今では、その怒声も意味合いが大きく異なる。

 

『それはお前がイーサ王子から賜ったモノだ!それが、どういう意味か……もうお前にも分かるだろう!?』

『はい、分かります』

 

 ちゃんと分かってる。イーサは俺をずっと想ってくれている。だって、俺が冗談半分で言った“夢電話”なんてモノを、金弥みたいに本気で信じて、会いに来てくれていたのだから。

 

——-サトシー!夢電話!大成功だったな!おばあちゃん家から毎日会いに来てくれてありがとう!楽しかったー!

 

 そう言って、笑う金弥を今でもはっきりと思い出せる。

夏休み。おばあちゃん家から帰ってきた俺に、金弥は言ったのだ。金弥の中では、夏休みの間も、ずっと俺と一緒だった。

 

『やめろ……』

『やめませんよ』

『……この馬鹿が』

 

 俺の腕をテザー先輩の綺麗な手がガシリと掴んだ。絶対にそんな事はさせない、と。腕に加わる力強さが言っていた。

 

『先輩……?』

『させねぇよ』

 

先輩の目が、何かを思い出すように細められる。テザー先輩は一体何を思い出しているのだろうか。

 

『……俺はイーサ王子に、お前を死なせるなと命を承っている。だから、俺はみすみすお前が死ぬような事を、黙って見過ごすワケにはいかない』

『イーサが、先輩にそんな事を』

 

 初耳だ。

 いつの間にイーサとテザー先輩は接触を持っていたのだろう。それに、あのイーサが俺以外の他人と話したという事に驚きを隠せなかった。

でも、だからこそ合点がいった。

 

『だから先輩。ここに来てから、急に俺に優しくなったんだ』

『……う』

『俺に懐いて欲しかったのも、それが理由ですか?』

 

 その問いかけに、それまで力強く握りしめられていた先輩の手から力が抜けた。そして、そりゃあもう分かりやすく表情を歪ませるテザー先輩に『器用貧乏だなぁ、この人も』と、苦笑せずにはいれなかった。

 

きっとイーサの事だ。俺が死んだらテザー先輩の家ごと取り潰してやるとかなんとか、そんな我儘を言ったに違いない。

まったく、困った奴だ。

 

『そうだ。俺は……自分の立身出世のために、お前に取り入って利用しようとしていたんだ』

『そっか』

『だから、俺はお前を心配して言っているのではない。全部俺自身の為だ』

 

 シュンデレかと思ったら、急に先輩もエーイチみたいな事を言いだす。皆して困ったモンだ。

 

『テザー先輩もエーイチも……他人への優しさが百パーセント好意でなきゃダメだって思ってる時点で……なんか良い奴過ぎなんですよね』

『どういう意味だ』

『そのままの意味ですよ』

 

 イーサの我儘に付き合わされて、真面目に必死に俺に付き合ってくれた。

毎朝毎朝、まだ暗い明け方にやってくる俺に、文句の一つも言わずに雪兎をくれた。ホントは、断っても良かった筈だ。他にも水を出せるヤツは居るし。それに、渡すにしても普通に雪の塊とかでも良い筈なのに。

 

 俺が最初にえらく雪兎を喜んだモンだから。

 

 先輩はずっと俺に“雪兎”をくれた。