115:いつか現れる選択肢

 

『すみませんね。先輩。イーサの我儘のせいで』

『いや、別に……というか。俺は何故お前に謝られてるんだ?訳が分からん』

『あと、俺が先輩の立身出世のために役に立つなら、どうぞご自由にお使いください』

『は?』

『だって俺、先輩に懐いてますし。それで、先輩に優しくしてもらえるなら安いモンですよ』

『っ!』

 

 先輩が自分の立身出世のために優しくしてくれるなら、それでもいい。俺は優しくして貰いたいから、先輩の役に立とうと思う。

 

『俺も自分の為に、自分の立場を利用して先輩に優しくしてもらいますよ。それでいいじゃないですか』

『……』

 

 いつの間にか、テザー先輩の手が腕から離れていた。

 今は、少しでもエーイチを回復させる事が先決だ。エーイチはギリギリの所で生きているのだから。

 

 俺はエーイチの血の気の引いた首元に、素早くネックレスを通してやった

 

『それに、先輩。俺、多分鉱毒マナの事、事前に気付けるみたいです』

『は?お前、なにを……というか、そうだったな。お前、最初に次の分かれ道は自分に決めさせろとか何とか言ってたが、』

 

 それはどういう事だ?

 先輩の戸惑いに満ちた目が俺を捕らえる。それに対し、ネックレスを付け終わった俺は、先輩に向かって自分の喉を指さした。

 

『俺、あの分かれ道に入った後から、ずっと喉に違和感がありました』

『……あぁ、そう言えば。あの頃からだったな。お前がやたらと水を飲みたがるようになったのは』

 

 そう、先輩なら分かる筈だ。俺はいつも先輩に水を貰いに行っていたから。俺が異様に飲み水を貰いに行き始めたのが、いつからか。

 そう、俺が先輩の目を見て言うと、次の瞬間、先輩は目を大きく見開きながら言った。

 

『は?まさか、それが鉱毒マナへの反応だったと言うんじゃないんだろうな?』

『絶対そうですよ。だって、俺昔から喉弱いし。ちょっとの埃にもすぐ反応するくらいだし』

『待て待て待て!待ってよ!?それは余りにも、判断が早計過ぎっしょ!?それだけで、道の選択権をお前になんて渡せるワケねぇ!』

『だから、実験したいんです』

『実験?は?お前、何する気だよ!?』

『今までと変わりません。俺は“炭鉱のカナリア”をやります』

『なっ!』

 

 そう、俺は改めて決断したのだ。知らずにやらされていた“カナリア”ではなく、今度は自分から進んでなる事を。

 それが、俺の此処での役割だというなら、やらされるのではなく、自らやる。

 

俺の長い長い自問自答の結果が、ソレだ。

 

『元々、俺はその為に此処に連れて来られたんですよね?その目的自体は同じです。ただ、少しやり方を変えるだけ。カナリアの俺だけ先に行く』

『なにを……言ってんだよ?』

『だから、そのままの意味ですって』

 

 俺はエーイチの首元に輝くネックレスを見ながら言った。

なんだ、今日の先輩はいやに物分かりが悪い。頭の良い筈なのに。その物分かりの悪さが、俺には少し嬉しかった。心配して貰えてる、そう肌で感じる事が出来るから。

 

『俺は少しでも違和感を持ったら、そこが鉱毒マナのスポットだって判断出来る可能性が高い。だから、分かれ道が現れたらほんの少し俺が先に行って……そうだな、一晩くらいかな?まぁ、ある一定時間をそこで過ごします』

『……それで?』

『それで何も俺の喉に違和感がなかったら、何もないって事でソッチに進みましょう。一晩無駄にはなるけど、何事も急がば回れっていいますからね』

 

 俺の言葉に、テザー先輩は苛立ったように腕を組んで此方を見ていた。

 

『だったら、尚の事。そのネックレスはお前がすべきだろう。もしもの時の為に』

『ダメだ』

『なぜ』

『鉱毒マナのスポットは、どこに発生するか分からない。そう言っていたのはテザー先輩じゃないですか』

『……確かに、そうだが』

 

 そう、そうなのだ。

 俺達は今、“大いなるマナの実り”を採掘するために此処に来ている。だからこそ、俺達は毎日奥へと進んでいる訳だ。だからと言って、“奥にしか”鉱毒マナが発生しない保証なんてどこにもない筈だ。

 

『だったら、今居る此処も、時間経過によって鉱毒マナが充満してくる事は、充分あり得る話ですよね?』

 

 これは、俺の予想でしかない。

 でも、ずっとずっと一人で考えて、不安を一つ一つ洗い出していったコレもその一つだ。エーイチを死なせたくないから。俺だって、たくさん考えたんだ。

 

『さすがに、そんな事は……そうそう、ある事ではない』

『……やっぱり。無いワケじゃないんだ』

『確率は小さい』

『無いワケじゃない』

『屁理屈を言うな!』

『屁理屈じゃない!その小さい確率でも、エーイチの命がかかってる!俺はそれが嫌なんだ!』

 

 そう、エーイチはあと僅かでも鉱毒を体内に含んでしまえば死んでしまう。それに、俺の選択が完全に正しいモノを選べる自信もない。

 今後の道に対する保険の意味でも、このネックレスは今後エーイチが身に着けるべきなのだ。

 

 そう、拳を握りしめながらテザー先輩を見ると、先輩は眉間に皺を寄せながら、なんだか泣きそうな顔で俺を見ていた。

 

『お前は、バカだ。サトシ・ナカモト』

『俺は馬鹿だけど、間違っちゃいない』

『間違ってるよ』

『大丈夫ですよ。俺は死なないので。絶対に鉱毒マナにも気付ける自信があるし』

 

 何故か先輩の顔を見ていられなくて、俺はフイと顔を逸らしながら言った。だって、先輩のそんな顔、初めて見るから。

 すると、顔を逸らした俺に先輩の、あの羨ましい程に色気のある声が震えながら言った。

 

『……お前は色々と一人で考えたんだろう。本当に、色々とな』

『そうですよ。誰も教えてくれないから、考えるしかなかった』

『じゃあ、お前は“ここまで”考えたか?』

『へ?』

 

 先輩の手がいつの間にか俺の顎に添えられ、力いっぱい先輩の方へと向けられた。目の前には、眉を寄せ、やっぱり泣きそうな、いや、苦しそうな先輩の顔。

 

『次に、俺が倒れたら……お前はどうする?』

『へ?』

『ネックレスを外すという選択肢の先にある……酷な決断に、お前は堪えられるのか?』

 

 テザー先輩の大きくて白い手が、俺の輪郭をなぞるように撫でた。そこは撫でられたら気持ちがいいところだ。

 

——–じゃあ、どう撫でたらお前は気持ち良いんだ。言ってみな?

 

耳の奥で聞こえてきた先輩の優しい声に、そんなバカみたいな考えが、俺の頭を過った。

 

『今は症状を発症しているのがエーイチだけだからいい。けど、そのうち必ず俺や他のヤツらにも倒れる者は現れる。その時、その手にある一つしかないネックレスを、お前はどうする気だ?』

『っ!』

『俺かエーイチか。お前はコレを外した瞬間から、お前が背負うべきでない苦しみを負う事になる。命の選択権を、お前は手にしてしまうことになるんだ』

 

 テザー先輩の真剣な目が、俺をまっすぐと射抜く。

 

『今ならまだ間に合う。お前が付けろ。いいんだよ、それでさ』

 

 

 お前は、生き残るという選択肢に“選ばれた”んだから。

 

 

 そう言ったテザー先輩の顔は、完全に俺に懐いていた。