116:サトシの真価

———

——

—-

 

 

—–どうだ、イーサ。俺は頑張ってるだろ?じゃあ、お前はどうだ?

 

 そう言って得意気に笑うサトシの声が、イーサの耳の奥から響いてくる。そして、同時に襲ってくる背中に張り付く影のような不安。

 

「じゃあ、なぜ。サトシはイーサに会いに来てくれない?」

 

 イーサはポソリと呟きながら、再び手元にある資料に目を落とした。今度はしっかりと思考をフル回転させながら目を通していく。

 

 そして、

 

「サトシ、まさかお前は……」

 

イーサは自身の辿り着いた一つの“仮定”に、薄く息を呑んだ。

 

「……」

 

 イーサの手元にある資料。

 そこには、サトシの潜った第三百五十二坑道の内部での様子が克明に記されていた。

 

 現在の兵の士気、作業効率、そして休憩時間の様子。果ては内部での兵士同士の関係性。誰が誰とどのように仲が良く、そして誰を嫌っているか等。

 ともかく、ありとあらゆる情報が事細かに記されていた。

 

 

—–いいか?マティック。いますぐ、この様式をもって、各隊長に記録と報告を徹底させろ。ともかく、今は情報が欲しい。この記録は、今後の重要な変革の種となる。

 

 

 そう言って、従来の報告様式を一掃させたのは、他でもないイーサだ。

 次の四百年先を見据えつつ、イーサは現状の坑道での採掘任務に関しても、安全性と効率性を上げる為にはどうすれば良いのか、日々頭を悩ませていた。

 

「どうされました?イーサ王」

「……まさか、まさか。サトシは、でも、そんな、やくそくをしたのに」

「……はぁっ」

 

 マティックの深い溜息は、必死なイーサにはもちろん届かない。

 未だに報告書に目を落とし、ブツブツと何かを呟くイーサを前に、マティックは腕を組んでその姿を見つめていた。

 

 少し前まではえらく聡明で、他者の前でも凛とした立ち居振る舞いをしていたイーサだったのに。それがここに来て、またもや大きく崩れ去った。

 

 もちろん、原因は“サトシ”だ。

 

「なぁ、マティック」

「ん?」

 

 すると、それまで報告書に一心に注がれていたイーサの目が、突然マティックの方へと向けられた。バチリと交錯する視線。

しかし、その目は“マティック”と、名前を呼びかけられているにも関わらず、正直目が合っている気がしない。

 

 イーサはマティックを通してどこか別の場所を見ていた。

 

「なぁ、マティック。最近、俺はサトシと繋がれていないんだ」

「ほう」

 

 マティックは軽い相槌を打ちながら、先程イーサにつけられた頬の傷にソッと触れた。すると、次の瞬間。頬の傷は綺麗サッパリ消えていた。

 

「俺はな?マティック。毎晩、サトシとユメデンワで繋がっていたんだ。ネックレスを媒介にしてな」

「へぇ、それは楽しそうな催しで」

「ああ。毎日楽しかった。毎晩眠るのが楽しみで、早く夜になって欲しかったから、昼間は懸命に仕事をした。そうやって集中して仕事をすれば、時間が早く過ぎると分かったからだ」

「……」

 

 どうりで、ここ最近のイーサは公務熱心だとは思った。

 マティックは、最近のイーサの仕事熱心な様子に深い腹落ち感を得ると「それで?」と先を促した。

 

「それに、俺だけでなくサトシも楽しそうだった。イーサ、イーサと、とても俺の事を好いてくれていたように思う。それなのに、」

 

 それなのに、とマティックへと向けられる視線は、やはり肝心な所でマティックと目が合う事はない。それでようやくマティックは理解した。

 

 どうやら、イーサは自分と話している訳ではないらしい、と。

 

「サトシはイーサに会いに来てくれなくなった。それに……俺からも、もうサトシと繋がる事が出来ない」

「それは一体、どうしてでしょうね?」

「……サトシが俺を嫌いになったのかも、と最初は思った。辛い時に一緒に居てやれなかったから」

「でも、サトシはずっと楽しそうで、貴方の事を慕っていたのでしょう?一度すれ違った程度で、そんな風に怒るような人間なのですか?」

「……サトシは、やさしい。そんな事で、おこったりしない」

「ふむ。それに、貴方の方からもサトシには繋がる事が出来ない。だとすると、サトシ個人の感情の問題ではないのでは?」

「その通りだ」

 

 そう。これは、ある種の“自問自答”だ。

 

 イーサは今、マティックに問いかけているようでいて、その実、自身に問いかけている。

 信じたくない、しかし限りなく事実に近いであろう自身の予想から、イーサは逃げられぬように、マティックを使って情報を整理しているのだ。

 

 イーサの指が報告書の一カ所を指さす。

 

「ここには、サトシではないもう一人の人間が、鉱毒マナによって“重症”と書いてある」

「そうですね」

「サトシが教えてくれた。その人間はエーイチという名前で、サトシはソイツの事を“友達”だと言っていた」

 

 そう、夢の中の小さなサトシが教えてくれた。

 

——エーイチはなぁ、オレのともだちなんだー!何でも知ってるすごいヤツなんだぜー!今度イーサにも会わせてやる!イーサもエーイチと、ともだちになろ!

 

 

「俺には友達など居なかったから分からないが、友達というのは仲の良い者の事を指すのだろう?」

「まぁ、一般的にはそうですね。他よりも親しい者の事を表現するのに使う言葉です」

 

 マティックの返事に、イーサの眉がヒクリと寄る。少し、不機嫌そうだ。

 

「そのエーイチが、鉱毒マナで倒れた。その頃からだ。俺がサトシと繋がる事が出来なくなったのは」

「へぇ、それはどうしてでしょう。偶然?」

「ちがう。ぜったいに偶然なんかではない……!」

「へぇ。偶然でないのなら、どうして、その人間が倒れたのと時を同じくして、貴方とサトシは繋がる事ができなくなったのでしょうか」

「……それは」

 

 口ごもり俯くイーサを前に、マティックはその手から報告書をスルリと一枚だけ抜き取った。列挙される文字。そこには、こう書いてある。

 

 

——–

サトシ・ナカモトは鉱毒マナのスポットを事前に察知する事が出来る。その為現在、道を選ぶ際にはサトシを先に潜らせ、安全の確認後、部隊がそれに続く。

 

現状、サトシが道を選択するようになってから、鉱毒マナのスポットへの遭遇はない。

——–

 

 事前に鉱毒マナスポットを察知できる。

 

 これは、マティックにとっても本当に信じがたい報告だった。

 それは、かの昔から定期的に行われてきたこの任務に置いて、初めての事例だったのだ。

 

 鉱毒マナについては、未だ謎な部分も多い。過去、何度か鉱毒マナの研究を試みた歴史もあったが、見る事も触る事も出来ないモノには、手の打ちようがない。

 

 にもかかわらず、最終的に閾値を超えた鉱毒をその身に保有すると、必ずその者は死ぬ。

 そう、昔から危険な事だけしか分からなかった。それがナンス鉱山の『鉱毒マナ』だ。

 

「しかし、他の部隊と圧倒的に差のついた採掘距離。そして、未だ犠牲者ゼロの事実……」

 

 このような結果を出されては、信じない訳にはいかない。

 そうやって、マナスポットを事前に察知し、犠牲者を出す事なく採掘を続けられているからこそ、この部隊は他のどこよりも採掘距離を伸ばしているのだ。

 

「ふむ、それにしても本当にサトシは凄いですね。兵の士気まで高めているとは」

「……」

 

 マティックは未だに口を開かないイーサの前で、敢えて口に出して報告書の内容に触れていく。

 

——–

休憩時間の隊員の様子における特筆点。サトシによる異国の話を演じた“お話会”に、皆夢中で聞き入っている。採掘中も、その話で持ち切りである事が多い。

——–

 

 ナンス鉱山という、危険な採掘任務の奥深くで“娯楽”まで提供する。

 結局、採掘作業を行うのは、部隊という集団ではない。部隊とは結局、“個人”の集合体だ。数字だけでは測り切れない個の発する“士気”が、効率やスピードの面では大きく影響してくるのは言うまでもない事だ。

 

「まったく、想像以上ですよ。彼の働きは」

 

 毒に怯える必要のない安心感。それでいて単調な作業の中に与えられる娯楽。そして、その娯楽を仲間内で共有する事により生まれる団結力。一つの正の要素が、次々に歯車を回転させ、この隊を前へと進めている。

 

 その全ての始まりに“サトシ・ナカモト”が居る。

 

「本当に“カナリア”になったのですね。彼は」

 

 マティックは此処には居ない、あの晩に一度だけ会ったきりの“人間”を思い出しながら呟いた。戻って来たら褒めてやらねば、と。マティックは小さく思う。

 

 

 功績を上げた者には、すべからく報酬を。それは、人心掌握の基本だ。