「……そうだ。サトシは、すごいんだ」
「ええ。人間ですが賞賛に値します」
「でも、そんな事、イーサはずっと前から知っていた。別に、今更驚く事ではない。イーサは、ずっとずっと前から知っていて……イーサしか、知らなかったのに」
どこかムッとした様子で、イーサは手にしていた残りの報告書をその場に投げ捨てた。そして、震える声で言う。
「……でも、サトシはダメだ」
それまで“サトシ”と言う名を口にする時、イーサの声には“甘え”があった。他を呼ぶ時にはあり得ない程の、それはもうべったりと張り付くような、砂糖菓子のような甘えが。
「サトシは……俺との、イーサとの約束を破った」
しかし、今のイーサの口から漏れる“サトシ”の名には甘えなど欠片も無かった。
あるのは、純粋な“怒り”のみ。それも、烈火の如し。まるで、子供の癇癪のような怒りが、その名には込められていた。
「そうだ。サトシは……」
「サトシは。さて、どうしました?」
マティックがイーサの自問自答の背を押す。そろそろ、マティックも部屋に戻り、捌いておきたい書類の束がある。
つまり、時間が無いのだ。
「っネックレスを、外したんだ!イーサのやったネックレスを!」
「ほう?」
「そしてサトシは、このエーイチという奴にイーサのネックレスを渡した!」
きっとこの王は、今日はもう使い物にならないだろう。
癇癪を一気に爆発させてきたイーサに、マティックは自分の頭の中にある書類の束を、更にもう一段増やしてみせた。
もちろん、イーサの分の書類だ。
「……はぁ」
まったく、自分程有能な部下など、どこを探してもそうは居ないだろう。そう、マティックはイーサから投げ捨てられた報告書を拾いながら、しみじみと思った。
「サトシはうそつきだ!サイテーだ!サイアクだ!」
「……私には、サトシという人間との関わりは、ほんの数刻しかありません。なので、分かりかねるのですが……。彼は、貴方との約束のネックレスを他者に渡してしまうような、そんな不敬で薄情な人物なのですか?」
“不敬”で“薄情”。そう、わざと嫌な言葉を使ってみせる。
そんなマティックの言葉に対し、イーサは苛立たし気にベッドに拳を突き立てた。
「そうだっ!サトシはそういう奴だ!誰にでも優しい!自分は辛くても我慢ばかりする!それに一番最悪なのは、自分は死んでも構わないと思っている事だ!」
「……」
「死ぬなと言ったのに!外すなと言ったのに!」
“不敬”で“薄情”が、いつの間にかイーサを経て“優しい奴”に変わってしまっている。イーサの癇癪が、火花のように爆ぜる。
「なぜ、イーサはサトシが一番なのに、サトシは皆にも同じように優しくする!?イーサは王様だぞ!王様はえらいんだ!王様は一番なんじゃないのか!」
「ええ。この国にとって、王は唯一無二。“一番”ですよ」
マティックはそう言って欲しいワケではない事など分かっていたが、面白いので敢えてそのように口にした。すると、みるみるうちにイーサの表情が歪む。最早、今にも泣き出してしまいそうな程に。
「ちがうっ!国じゃない!クリプラントで一番なんて意味がない!俺は、サトシの“一番”になりたいんだ!」
「ふむ。ソレは、サトシに聞いてみない事には分かりかねますね」
「……サトシ、サトシ、サトシ……さとし。さとしは、いつもイーサばっかり閉じ込めて、ずるい。いーさばっかり。いーさも、さとしを閉じ込めたいのに」
とうとう、イーサは傍に居たあもを抱きかかえると、布団の中へと潜り込んでしまった。
ほら、もう使い物にならなくなった。そう、マティックは苦笑の末、肩をすくめた。
「ネックレスを外して、一人で炭鉱の先になど行って。きっとサトシは死ぬ。死んでしまえ!もうサトシなんか知るものか!イーサは、もうサトシを嫌いになる事にする!」
「ええ。そうですね。どうせサトシは死にますよ。いっそ嫌いになっておしまいなさい」
「っ!なんて事を言うんだ!サトシは死なない!まだ、その約束は破られてないんだ!それに……嫌いになど、なれるワケないっ!」
「なんと。自分で言ったんじゃないですか」
「うるさいっ!イーサは嫌いになりたいけど、でも!イーサはサトシを嫌いになれないんだっ!まるでイーサが二人いるようだ!もう嫌だ!嫌だ!なんだ、これは!くるしーーーい!」
ベッドの上で、囚われた芋虫のようにジタバタと蠢く白いシーツの塊に、マティックは思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
これは、早いところ採掘を終えてサトシに戻って来てもらう必要があるだろう。ヴィタリックの死も、少しずつ王宮内の要人達から通達されつつある。
イーサの戴冠式も、もうすぐだ。
「では、サトシが戻ってきたら“仕置き”をしてやるしかありませんね」
「……仕置き?」
「ご褒美の反対です。罰と言ってもいいでしょう。貴方が直接サトシに約束を破った“お仕置き”をしてあげなさい」
無事に帰ってこられればですが。
と、敢えてマティックは口にはしなかった。それを言ってどうなる訳でもない。
「……仕置き」
すると、それまで毛布の中で丸くなっていたイーサが突然ムクリと布団から体を起こした。そして、それまでの癇癪玉の弾けさせたような酷い顔を一瞬で引っ込めると、一気に“王”を纏った姿でマティックへと向き直る。
「よし、ナンス鉱山へと向かうぞ。マティック。準備をしろ」
「は?」
「もうすぐ兵達が潜ってひと月になるだろう。尊い “王族”からの直々の現地訪問だ。これぞまさしく兵の士気を上げるのにうってつけである」
「ちょっ、は?お待ちください!今はそのような事をしている時間は……!」
そう、マティックがベッドからひょいと下りた王へと詰め寄る。
しかし、どうしてだろう。絶対にそんな我儘になど付き合ってやるものか!と頭の中をフル回転させる自分と、別のもう一人の自分が、マティックの中に生まれてしまっていた。
「ほう、時間がない?」
「そうです!」
「無いなら作れ。それがお前の仕事だ。マティック」
「……あ」
イーサの余りの横暴に、開いた口が塞がらない。
しかし、マティックの脳内は既に、今後の予定を全て組み直す自分も生まれているのだ。これぞまさしく、先程イーサが言っていたように彼の中にも「マティックが二人」居るようであった。
そんなマティックの心情など知ってかしらずか、イーサは詰め寄るマティックに真正面から向き合うと、それこそ不敵に笑って言った。
「文句があるのならば、この“王族”による現地訪問がいかに、ナンス鉱山での採掘任務において有益な結果を生むのか、今から王直々に理由を述べてやろう。さぁ、マティック。執務室へと行こうではないか。俺が王としてお前を論破してやる」
「……ぁ、あ」
その瞬間、彼の中に居た『今後の計画を立て直すマティック』が、忙しく思考を回転させていった。
——この、クソガキが。
ただ、残ったもう一人の意思を体現するかのように、マティックの拳は今までにない程、血管を浮かせていたのは言うまでもない。