———-
——
—-
——俺かエーイチか。お前はその命の選択の重さに、耐えられるか?
「っ!」
目が覚めた。
俺は一瞬ここがどこだか分からないまま、固くなった体を無理やり動かした。
周囲には誰も居ない。
誰の声もしない。
「……あ、そっか。俺、一人で先に潜ったんだ」
一体、どのくらい眠りについていたのだろう。
俺は久々に見た夢に、ズキと疼く頭を抱えた。
そう。あれは、テザー先輩にネックレスの件で詰め寄られた時の夢だった。
ネックレスの譲渡が生む、命の選択を迫られる未来。
テザー先輩の言葉に、俺はハッキリと痛い所を突かれたと思った。そんな事、全く考えていなかったのだ。
「っはぁっ、なんだよ。ソレ」
こういう所で俺は詰めが甘い。あれだけ考えて考え抜いたにも関わらず、結局目の前の事しか見えていなかったのだ。
でも、だからと言ってこの状況でエーイチの首に付けてやったネックレスを外す選択肢なんて、俺にはなかった。
『……サトシ、なに。コレ』
『お守り。しばらくエーイチが持ってて』
『……いいの?』
『いいよ。俺がいいって言ってるんだ』
いつの間にか自分の首につけられたネックレスに、エーイチは『そっか』と頷くだけだった。多分エーイチの事だ。色々と考えて、もしかしたらあのネックレスの正体にだって気付いているのかもしれない。
けれど、エーイチは何も言わなかった。
ただ、起き上がれるようになってからは必ず「動けるようになったら、絶対に自分もカナリアとして付いて行く」と言うようになった。
「エーイチのヤツ、一体どこまで分かってんだろ」
それに、テザー先輩もそうだ。
俺が頑なにネックレスを付ける事を拒否すると、もう完全に怒ってしまったのだろう。あの日から、一切口を利いてくれなくなってしまった。
「……そうだよなぁ。怒るよな」
ただ、毎朝俺より先に起きて、起きた俺の目の前にうがい用の雪兎を持って来てくれる。
しかし、何も言わない。責めるような目を向けてはくるものの、何かにつけて世話を焼いてはくれるので、別に見捨てられたワケではないらしい。
「……別に、俺が間違わなきゃいいだけだし」
そうなのだ。
俺が完璧に鉱毒マナを見極められれば、今後誰が倒れる事もない。エーイチの中に溜まっているマナだって、きっとそのうち散るだろう。そうしたら、ネックレスを返してもらって、今まで通り俺だけが“カナリア”をやる。
エーイチには悪いが、付いて来て貰う訳にはいかない。
「そうすれば、何も問題ない。誰の命も選ばなくて済む。全然、何も悪い事なんてねーじゃん」
それこそ、誰に言い訳をするでもなく呟いた言葉と共に、俺は一体どれ程の時間が経ったのか確認しようと鞄の中に腕を突っ込んだ。
それだけの動きで、体の至る所が軋む。もしかしたら、思った以上に眠ってしまっていたのかもしれない。
「っはぁ」
疲れた。息が切れる。頭が痛い。
先程から、疼くような頭の痛みが増しているのは何故だろう。こんな所で、何も羽織らずに寝ていたせいで風邪でも引いただろうか。
「ふぅっ…きつ」
ただ、喉は痛いとは思わない。むしろ、何も感じなくなっている。寝る前にあった違和感すら欠片も残っていない。
これは、一体何だ。
俺は自分の体の変化に、背筋を震わせると鞄の中から取り出した時計に目をやった。
「へ?」
そこには、この世界特有の文字と数字の羅列が円盤状に記載されている。時計だけは、向こうもこっちも概念的なモノが同じおかげで、結構スルリと読み解く事が出来たのだ。
「あれ、もう……まる一日以上経ってる?え?」
なんで、と。そう口にしようとした瞬間、俺はせりあがってくる気持ち悪さに耐えきれず、その場に蹲った。
「うえぇっ」
酷い声と共に口から吐き出されたのは、最後に食べた食事の吐物と、そして。
「……ち?」
血だ。
吐き出した吐物に、うっすらとだが血が混じっていた。
あれ、なんだよ。コレは。
その瞬間、テザー先輩の言葉が脳裏を過った。
——-お前はタダでさえマナを体内に溜めやすい性質なんだ!鉱毒マナもすぐに閾値に達するぞ!死にたいのか!?
吐物の中に混じる血。激しく痛む頭。再びせりあがってくる吐き気。それなのに、俺の喉は吐物の熱さも感触も、一切感じ取る事が出来ない。
「げほっ、うえぇっ―――っ」
その時、俺は悟った。この場所が鉱毒マナのスポットであった事を。
俺は自分が疲労の末、襲ってきた眠気に身を委ね、眠りについたと思っていた。けれど、それは違ったのだ。
「――――っ」
俺は、あの瞬間眠りに付いたのではない。毒で気を失ってしまったのだ。そして、俺は過ごしてしまった。一晩も、この鉱毒マナのスポットの中で。
「――っ、――っ」
喉の奥から漏れ出る呼吸音に耳を澄ませながら、俺は酷く混乱していた。先程から、血の混じった吐物を出しているにも関わらず、一切声が出て来ないのだ。その事実が、俺をより一層恐怖させる。
なんでだ?どうして、声が出ない?
「――――っ」
確かに、先程起きた瞬間から、喉に一切の違和感や痛みを覚えなくなっていた。
むしろ、それが普通の状態過ぎて気にも留めなかったが、本当はソレが一番おかしかったのだ。
なにせ眠りにつく前は、確かに喉に貼り付くような違和感を覚えていたのだから。それが、起きて急に無くなるだと?
「――!」
一旦悪くなった喉が、何もなしに一晩で良くなるなんて。そんなの、俺に関しては絶対にあり得ない。
「――、――」
声が出ない、声が出ない、声が出ない、声が出ない!
あぁ、そっか。
あれは、喉の感覚が無くなっていたのだ。
「っ!」
俺はズキズキと疼く頭と、ふらつく体を抱え、ともかく走った。荷物など抱えて走る余裕など欠片も無い。だって、今も俺は走っているつもりなのだが、全然前に進めている気がしないのだ。
ひゅうひゅうと喉の奥から息が漏れる。まるで、パンクしたタイヤから空気でも漏れるような音だ。
走れ、走れ、走れ、走れ!早くここから離れないと!
この世界で死ぬのなんか怖くないと思っていた。でも、一つだけあった。俺が死ぬよりも怖いと思う事。
それは、
「――――――っ!!!」
声が、出なくなる事だ。
俺は、熱も唾液も、一切何も感じる事のなくなった喉に、震える手で触れた。早く、ここを離れないと。
そう思うのに、俺の体は思ったように動かない。
「――っぁ!」
——いーさぁっ!
イーサの名前を呼んでみたが、やはり俺の声は何の音も紡ぐ事はなかった。
喉元に触れた俺の手に当たるのは、あの革の首輪だけ。イーサのくれたネックレスは、どこにもない。
そりゃあそうだ。だってあれは、エーイチに渡してある。
もう、立って居るのすら苦しい。目の前が霞む。
「――――」
俺は間違わない。
だって、俺は絶対に毒には気付けるから。
そうやって、必死に自分の価値にしがみ付いた。
皆に「サトシは必要だ」って思って欲しくて。最初みたいに冷たくされるのが嫌で。仲間外れは嫌だったから。
優しくして貰えるなら、本当に何だって良かった。
——ここに一緒に居るのが、サトシで良かったよ。ありがとね。
——じゃあ、どう撫でたらお前は気持ち良いんだ。言ってみな?
それだけだった。皆が普通に話しかけてくれるのが嬉しかった。心配してくれるのが気持ち良かった。
エーイチにネックレスを渡したのだって、後からありがとうって感謝されたかったからだ。テザー先輩に心配して優しくしてもらいたかったからだ。
イーサに「頑張ったな」と、褒めて欲しかったからだ。
誰のためでもない。全部自分の為だ。
そんな浅ましい俺の利己的で中途半端な自己犠牲の精神のせいで、結局、こんな事になった。
——生きろ。
イーサの声が、金弥の声がする。
その声と共に俺は思った。
「――――」
死にたくない、と。
そう、ハッキリと思った瞬間。俺はその場に倒れ込んでいた。ここで足を止めたら、俺は確実に毒にやられて死ぬだろう。
声を失った俺は、このまま死んでその後どうなる?
まさか、元の世界に戻り、声優の道を諦めて生きる人生を新たに迎えるのだろうか。ここで声を失うというのは、まさに向こうに戻った時の地続きの俺の姿を現しているのかもしれない。
「っっっ!」
そんなの、いやだいやだいやだいやだ!
死にたくない!諦めたくない!金弥に置いていかれたくない!
——-なぁ、サトシぃ。一緒に住も。そんでさ、一生一緒に居ようよ。
「――」
その時の俺は初めて後悔した。
どうして俺は、あの時頷いておかなかったのだろう、と。ただ一言「うん」と言って、頷くだけで良かったのに。
「……」
——サトシ!今日、何してあそぶ?
俺は薄れ行く意識の中、懐かしい声を聴いた気がした。