「エイダが何をしたいのか、俺にも分からん」
「……エイダ?」
「ああ。最後に会ったのはいつだっただろうな。ヴィタリックが病にかかったと……俺達に伝えた時だったか」
どこか懐かしむように口にされるその名に、マティックは欠片も聞き覚えがなかった。一度聞いた名は、どんなに些細なモノであれ、マティックは忘れない。そんなマティックが、記憶のどこからも、その名の糸を手繰り寄せる事は出来なかった。
「それは……誰なんですか?」
尋ねてみるが、父は押し黙ったまま眉を顰めた。どこか苦し気なその表情に、“エイダ”という人物は、父にとって悪い間柄ではなかったのだと察しがつく。
いや、むしろ――。
「その、エイダはヴィタリック様や父上にとって……親しい者だったのですか?」
「……会いたい、とは思う。ヴィタリックが居なくなってしまった今だからこそ、話したい。この気持ちを……分かちたい」
「……旧知の仲、という事ですね」
だからこその、父のこの表情。
マティックが知らないとなれば、それは父やヴィタリックの若い頃の……“友”という事にでもなるのだろうか。
「では、そのエイダと言う者がヴィタリック様の死を……いや、既にヴィタリック様が病に伏している事を人間に漏らしていた、という事だと考えていいのでしょうか。王は、旧友に裏切られたのだ、と」
「……先程、お前はゲットーから、リーガラントが進軍の準備をしているという情報を得ていたな」
「ええ。ゲットーはその為の場所ですから」
ゲットー。
数百年前までリーガラント領だったその場所は、今やクリプラントの植民地だ。そして、リーガラントの情報を得る為の、最重要拠点でもある。
「ゲットーにもたらされる最重要機密情報。今回のような進軍目的の軍備拡張等はまさにソレにあたるが、そう言った情報は、リーガラント内部に潜らねば得る事は不可能だ」
「……それは、そうですが。まさか、」
「ああ。エイダは我が国からリーガラントへ送られた諜報員だ。今回の軍備拡張の情報も、アイツのもたらしたモノだろう」
「は?では、まさか……潜った諜報員であるエイダが、裏切った、と」
「エイダにとって、これは裏切りではないのだろう」
諜報員の存在はマティックも知っていた。ただ、諜報員はその匿名性から、王と側近である一部の者しかその情報は開示されない。
そして、今、ここでその名が明かされた。それは完全に、宰相のバトンが父から息子マティックへと手渡された瞬間でもあった。
「エイダは私やヴィタリックの唯一無二の友であり、」
マティックは遠い過去を懐かしむように口にする父の穏やかな声を、ただ静かに聞いた。
「ハーフエルフだ」
「っ!」
ハーフエルフ。
狭間の者。穢れた血。
血を穢した者は、クリプラントでは即刻死刑であり、もちろん狭間の者として生まれ落ちたハーフエルフも見つけ次第死罪となる。
「エイダは……ヴィタリックを裏切ってなどいない。アイツは元々、人間もエルフも嫌いだからな。アイツはまさに狭間の者だ。今もこうして、人間とエルフの間で遊んでいるんだろうよ」
王の病という国家機密の漏洩を、裏切りではないという。マティックは父の言葉にハッキリと頭を抱えた。旧知の友だからと、それは余りにも公私混同過ぎる。
そして、それが分かっているのだろう。マティックの目に映る父の表情は、どうにも苦々しかった。
「遊びって……こっちは国の存亡がかかっているんですよ!?どうするんですか!そもそも、どうしてそんなヤツを諜報員になんかしたんです!?」
「アイツのもたらす情報が、圧倒的に正しく、そして重要だからだ。アイツはともかくそういった事に向いている」
「ソレで此方の情報も流されたらたまったもんじゃないですよ!?」
本当にそうである。
お陰でこの国は大ピンチなのだから。
「そこも含めて、ヴィタリックはエイダの手綱を引いていた。アイツはそういうヤツだ。どうしようもない。ヴィタリックが自分の病をエイダに教えたのも、アイツの判断だ。こうなる事も、ヴィタリックは承知の上だったのだろうよ」
「いやいやいや!そこは貴方が止めてくださいよ!それが王の右腕の仕事でしょう!?」
今更言っても仕方のない事だと分かりつつ、マティックは父に言わずにはいられなかった。相手が父だからこそ、自分が息子だからこそ、こういった無駄な癇癪染みた事も言える。
しかし、次に父の口から出てきた言葉で、マティックは一気に口をつぐむ事になった。
「止めて聞くような奴ならな。……お前もそろそろ分かってきているのではないか?王の血筋は、めっぽう頑固で言う事を聞かない、と」
父の言葉に、マティックはヒクと喉を鳴らした。
——-サトシ!サトシを呼べー!勅命を出せー!
——-それはやらん!したくない!
——-面倒な事はお前がやるんだ!マティック!
「……た、確かに」
「そうなんだよ。止めても無駄な事が分かっている場合、もう俺に出来る事は、“そう”なった時の事を想定して、動く事だけだ」
そう、どこか思い出し疲労のような表情を浮かべる父の姿に、生まれて初めて心から同情する事が出来た。
今のマティックだからこそ、その気持ちを真に理解できる。
「マティック。聞け。エイダの事も、軍の事も。一応、俺はずっと考えていた。こうなる事も、想定内だ」
「……!」
マティックは立ち上がった父の姿に、息を呑んだ。
それはまさに、ヴィタリックが死ぬ前の、在りし日の父の姿そのものだったからだ。
「まずは、エイダに会うしかない。アイツは、どちらか一方的に不利になるような情報だけを流すような奴ではない。あの男は、面白い事がとことん好きなヤツだからな」
「では、エイダに会う方法は?」
マティックは少しだけホッとした。やはり、いくつになっても父というのは、
「信頼のおける人間を一人、ゲットーに送れ」
息子にとっては、“偉大”だった。