129:我儘な童貞

 

 

 それはまるで、風邪で休んだ後の久々の登校日のような気分だった。

 

「どうしよう……」

 

 ソワソワする。落ち着かない。普段、どんな風に教室に入ってたっけ。

 とまぁ、久々の学校やクラスメイトに対する妙な気まずさというのが、今の俺を表すにはピッタリの表現だった。

 

 まぁ、久々の登校の百倍の濃度の気まずさではあるが。

 それもその筈。

 

『まさか皆の前で、貴方を押し倒し、ひたすらに口付けをしながら、発情した獣のように腰を振るとは思わないじゃないですか!』

 

 マティックの言葉が、未だにハッキリと俺の耳の奥に木霊する。

 

「あーーーー!気まずいっ!一体どんな顔で皆に会えばいいんだ!」

 

 俺は訓練場の入口に座り込むと、遠目に見える懐かしい面々に目を細めた。ここから見える限りじゃ、誰が誰かまでは分からない。ただ、皆元気そうなのは分かる。

 

 本当なら、すぐにでも皆の元に駆け寄って行きたいのに。

 

「……ちくしょう。全部イーサのせいだ」

 

 俺は膝を抱えながら、現在頭のド真ん中を占めてくる癇癪王子の存在に、顔の体温がジワジワと上がっていくのを止められなかった。

 

 イーサの性教育がガバガバな事を知ったあの日。

 アイツはマティックから差し出された女を相手にセックスをしなかった。否、しなかったのではない。出来なかったらしい。

 

「なんで女相手に勃たないで、俺に勃つんだよ……」

 

そうなのだ。イーサは女性相手に勃たず、その結果出たのがあの台詞である。

 

 

『イーサはサトシとしか、子作りはしない!絶対に、しーなーいーーー!』

 

 

 金弥の声でハッキリと口にされたその言葉に、俺は何をどうしてよいのやら分からなかった。だから寝たふりをした。

 金弥とのキスの時のように、俺は寝たふりをしてやり過ごそうとした。しかし、この世界は、寝たふり如きで俺を逃がしてくれるような甘い世界では、決してなかった。

 

 あぁ、まさか、あんな事になるなんて。

 

 

「これからどうすんだよ……俺も、童貞だぞ」

 

 

 俺は、真っ青な青空の下、自身の喉に触れながら小さく呟いた。

 

 

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『イーサはサトシとしか、子作りはしない!絶対に、しーなーいーーー!』

 

 

 寝ろ寝ろ寝ろ!

 寝てしまえ!寝るんだ!俺!

 

 俺はイーサの問題発言に、毛布を頭から被ると必死に目を閉じた。まぁ、さっき目を覚ましたばかりの俺が、そんな事で眠れる筈もないのだが。

 

『マティック!お前は言ったな!?女の裸を見れば、自然とそのような気になると!噓つきが!ちっともならなかったぞ!』

『少しは努力なさい!言ったでしょう!?相手の体に触るなり、口付けするなり!自分で扱くなりして雰囲気を作りなさいと!』

『なんで俺がそんな事をせねばならない!俺は王様だぞ!偉いんだ!偉いのだからそんな事はしない!』

『……な、ら、ば!相手だって素人ではないのですから、任せておけばいいのです!もうどうせその辺のプライドなど貴方は持っていないのですから、横になってジッとしておいでなさい!』

 

 

 この辺りで、俺は余りにも聞いていられないクソみたいな会話に、布団の中で耳を塞いだ。しかし、イーサの……いや、金弥の声は耳を塞いだ手の隙間を縫って、悠々と奥へと入り込んでくる。

 

 アイツの声は、俺が言うのも何だがウルサイのだ。

 特に今のイーサの声は、声を低く張っていない分、普段の金弥の声に近い。

 

 一度認めてしまった事もあり、イーサの声が完全に金弥の声として耳が捉えてくる。もう……勘弁してくれ。

 

 

『そんな事出来るか!アイツは俺に触ろうとした!体中から甘い変な匂いをさせて、何かあればすぐに気色の悪い声を上げる!俺は、あんなのは嫌だ!ゾワゾワする!』

『そりゃあ触るでしょうよ!子作りなんですから!声を上げるのだって、完全にリップサービスです!普通の!男は!ソレで喜ぶモノですからね!』

 

 

 あー、そうなんだ。声を上げるのって、やっぱリップサービスなんだ。なんで聞いてるだけの俺がちょっとガッカリしてるんだろう。

 でも、イーサの気持ちは少し分かるぞ。

 

 声は……大事だよな。

 

 

『っは!気が知れんな!俺は嫌いだ!あんな高くてキンキンした声は!聞いてると頭が痛くなる!あと、変な匂いのせいで、胸はムカムカする!ゲロ!』

『ゲロって……まったく、子供みたいな事を言わないでください!それで女を置いて逃げ出してきたと!?王ともあろう方が、いい加減になさい!相手にも失礼でしょう!』

 

 あぁ、マティックの……岩田さんの声が、完全にラスボス声からギャグのツッコミ声に変わっている。毛布をかぶって声だけ聴いていると、金弥が岩田さんに叱られているような気がしてくるから変な感じだ。

 

 スゴイナーー!

 金弥。岩田さんにここまで裏の無い声を出させるなんて。スゴイナーー!

 

 

『俺は悪くない!何も悪くない!』

『寝所に一人残された女の気持ちにもなってみなさい!まだ今日は“その為”に呼んだ、手練れの者だからいいとしても!今後、貴族の娘を迎え入れたりした時に同じ事をしてみなさい!とんでもない事になりますよ!?』

『そんなの知らん!俺は王様だ!王様は偉いから何をしてもいいんだ!イーサは!サトシと子作りをするんだ!サトシとしかシない!』

 

 

 あーーー!聞こえない聞こえない!

 金弥の声でソレを言われると、もう完全にガチなんだよ!まぁ、イーサもガチなんだろうけど!だって!金弥は俺とキスしながら……その、自分のチ。この記憶は一時停止!

 

 

『だーから!男同士では子供は出来ません!貴方は王様なのだから、女を抱いてヴィタリック様のように、たくさん世継ぎを生んで頂かなければならないのですよ!せめてお世継ぎは、そうですね……万が一を考えて、十人は必要です!』

『嫌だ嫌だ!十回もあんな事をしろと!?お前はなんて恐ろしい事を言うんだ!それなら、子供はソラナに任せる!』

『ソラナ様は女性なのですから、子供はお一人しか産めませんよ!』

『それなら子供は他のヤツらに任せた!あー!もう!サトシ!サトシはまだ起きないのか!?』

『こらっ!まだ話は終わって、』

『サトシ!サートーシ!イーサだ!イーサが来たぞ!会いたかっただろう!おーきーろー!』

 

 と、そんなイーサの声が聞こえたと思ったら、次の瞬間にはベッドが上下に勢いよく揺れていた。ギシリとベッドが軋む音が耳をつく。そして、次の瞬間には被っていた毛布を勢いよく剥ぎ取られていた。

 

『あ』

 

 視界が一気にひらけ、目の前にイーサの顔が現れた。

 窓の外から入り込んでくる光に、短くなった金色の髪の毛がキラキラと煌めいている。あぁ、本当に髪を切ってたんだな。綺麗だ。似合ってる。

 

 そんな事をぼんやりと思っていると、気付いた時には、俺の体はベッドとイーサの間に勢いよく閉じ込められていた。