130:童貞先生爆誕

 

 

『あぁっ!サトシ!起きているではないか!』

『ちょっ、イーサ!苦しいっ!』

『うんうん。サトシは良い匂いがする。うんうん、声も以前と変わりなく出るようだな!良い声だ!』

 

 こえ?

 イーサの『ちゃんと声が出るようになっている』と言う言葉に、俺が妙な引っかかりを覚えていると、突然、イーサの唇が俺の口めがけて下りてきた。

その瞬間、俺の脳裏に地獄みたいな記憶が蘇ってくる。

 

(――んん!??)

 

 口を塞がれ、舌を引っこ抜かれそうになり、歯で口の中を切られそうになった。あんなのは、もうたくさんだ!

 

『……っ』

『む』

 

 ムスリと不機嫌そうな顔で俺の事を見てくるイーサを前に、俺は表情をヒクつかせた。たった今、イーサは俺の口を隠すように添えた掌に、勢いよく口付けをした所である。

 

『……サトシ、どうして口を隠す』

『いやいやいやいや!だって!!』

 

 そう!勢いよく、だ!あんなのは口付けじゃない。頭突きか、もしくは体当たりのスピードじゃないか!

 多分あのままキスなんかしてたら、絶対に俺はイーサの歯で唇を切ってたぞ!今頃流血沙汰間違いなしだ!

 

『サトシは、イーサと口付けをしなければならないんだ』

『……でも、俺男だし』

『そんなの関係ない』

『……でも、ほら。俺は人間だし。……子供も産めない』

『そんなの関係ない』

 

 俺の、そのじりじりと逃げるような言葉を、イーサは金弥の声でハッキリと否定してくる。

 

『でも、』

 

 しかし、その顔は俺が『でも、』と口にする度にどんどん不機嫌になっていく。

 

『イーサは特別なのではないのか?あれはウソか?』

『嘘じゃねぇけど……』

『サトシはすぐ嘘をつく……』

『イーサ』

 

 明らかにショボンとした色を込め始めた声と表情に、俺はどう言ったモノかと思案した。俺は、自分がイーサや金弥に向けるこの気持ちの機微を、上手く口で伝えられる気がしない。

 

『サトシは、イーサがキライか?』

『嫌いじゃないって』

『……じゃあ、好きか?』

『す、好きだよ。でも、ちょっと難しくて』

『好きは簡単だ。難しい事などない』

『……難しいんだよ、俺の場合は』

『むう』

 

 またしても怒ったように口を尖らせる。また、そんなあざとい事をして。顔が良くなければ、男でコレは絶対に許されないだろう。それに、この手の怒り方をする時は、甘えている時だ。本気じゃない。

 

『……えーっと、そうだな』

『なんだ?』

 

 俺がイーサをどう思っているのか。それは、引いては金弥をどう思っているのかに直結する問いだ。

 イーサと金弥。その二つは、俺の中では同義だ。別の人間なのに、別の世界なのに。何故だか、それだけは俺の中でハッキリしている。

 

『えっと』

 

 だから、俺のこの気持ちが、性的な欲求を含んだモノなのか。恋なのか、愛なのか。そんなの、今は俺すら分かっていない。だから、きっと口にした所で、変に勘違いをして拗れてしまうだろう。

 

 だとすれば、今の俺は、もう一つの真実をイーサに告げるしかない。

 

『イーサは、』

『イーサがどうした?』

『……下手だから嫌だ』

『へた?』

『うん……お前。キス……っつーか、口付け。下手だよ』

『……イーサは、口付けが下手か』

 

 その、どこか酷く納得したような声を漏らすイーサに、俺は逆に戸惑ってしまった。傷付けてしまうだろうなと思っていたが、どうやらそんな事は一切なさそうだ。むしろ「ほう」と、深く納得してすらいる。

 

『そうか、イーサは口付けが下手か。ならば、』

『え?』

『サトシが教えてくれ』

『は?』

『だって、イーサはサトシと口付けがしたい。それに、サトシはイーサと口付けをしなければならない。でも、イーサの口付けが下手くそで、サトシが嫌と言うなら、サトシがしてくれればそれでいい』

『しなければならないって……お前、言うに事欠いて何言ってんだよ?』

 

 俺はイーサの余りにも『当たり前だろ?』という表情と共に口にされた言葉に、呆れかえるしかなかった。しなければならないって。何をキスが義務みたいな事を……。

 

『サトシはイーサのマナを摂取しないと、そろそろ、また声が出なくなるぞ?』

『え?』

『サトシの喉は鉱毒の後遺症で、声帯に慢性的な麻痺を患ってしまってるんだ。言ってなかったか?』

『は……?』

 

 声帯に、麻痺。なんだソレ?

 突然、イーサの口からつらつらと漏れ出る言葉に、俺は理解が一切追いつかなくなっていた。そんなの初耳だ。聞いちゃいない。

 

『聞いたら、サトシは鉱毒マナのスポットで一晩以上過ごしていたらしいな。確かに、俺が最初にお前を見た時、血を吐いていた。腹の中には大量の鉱毒が溜まって、死ぬ直前だったんだぞ』

『……あ、うそ』

『ウソなものか。どうやら、ギリギリの所で応急処置がされていたお陰で一命をとりとめていたようだが、それでも喉はもうダメだ。終わったな』

 

 あっけらかんと言われる。

 俺の喉が、もうダメ?

 

『でも、今、声出て――』

(るじゃないか)

 

 そう、俺は最後まで口にしたつもりだった。しかし、次の瞬間俺の喉は震えるのを止めた。

 

『――』

『ほらな?だから、サトシはイーサと口付け……というか、イーサのマナを摂取しないと、一定時間以上は喋れないんだ』

 

 はぁぁぁぁ!?

 

『逆に言えば、イーサとずっと一緒に居て、イーサのマナを定期的に摂取すればサトシは普通に喋れる。イーサは王族だからな。トクベツなんだ!』

 

 そう、どこか得意気な様子で腕を組みながら言うイーサに、俺はチラとベッドの脇に立つマティックを見た。すると、マティックも静かにコクリと頷く。

 どうやら、喉の事は本当らしい。確かにあの日、俺は血を吐いた。夢の中でも、確かに声が出なかった。

 

 でも、起きたら普通に声が出ていた。

 まさか、それは、もしかして。

 

——サトシ、イーサに口付けをしろ!

 

 夢の中で、俺がイーサとキスをしたからか?

 そう、俺が目の前に居るイーサを見つめながら喉に触れると、なんだか喉仏の部分だけ妙に冷たい気がした。

 

『さぁ、サトシ。喋りたいだろ?イーサの口付けが下手だというなら、イーサに口付けを教えてくれ。そして、きちんと、たっぷりイーサの唾液を飲むといい。そうすれば、また喋れるようになる!』

『!!?』

(は!?唾液!?)

 

『あぁ、丁度良かったです。王子の性教育は、サトシ。貴方にお任せします』

『!!?』

(はぁ!?何言ってんだ!マティック!匙投げてんじゃねぇ!)

 

『ちゃんと、女も相手に出来るようにお願いしますね』

『サトシが教えてくれるなら、うーん。まぁ、良かろう』

『!!??』

 

 どんどん話が勝手に前へと進んで行く。しかも、とんでもない方向に。ただ、拒否したくとも声が出ない。そして、声が出たとしても、果たしてコレが実際、声に出して言えたかはかなり謎だ。

 

 なにせ、俺が大声で言いたかった事、それは。

 

『さぁ、やれ!』

『どうぞ、お手本を見せてあげてください』

 

(俺も、童貞なんですけどーーーーー!!!)

 

 その、俺の声にならない叫びは、冷たくなった喉の奥で詰まり、腹の底まで沈んで消えた。