139:引っ張りだこ

 

 

 俺は、賑やかな街をぼんやりと歩いていた。そりゃあもう、深い溜息を吐きながら。

 

 

「ハーーーーーッ」

 

 

なんかもう、色々と俺の中の常識やら、貞操観念やらが歪みつつあるのが、なんとも怖い。俺は暗くなった街の中を歩きながら、自身の右手を見下ろす。手に残るのは、イーサの様々な……生っぽい感覚。

 

鼻から息を吸い込んでみれば、あの精液独特の匂いが、鼻の奥にツンと香ってきているような気さえする。あぁ、畜生。幻臭だ。幻臭。

 

「あーぁ」

 

 どうやら、イーサは本当に色々と初めてだったようだ。初めての射精に、イーサはそりゃあもう感動していた。感動し過ぎて何度も何度も「アンコール」された。

 いやいやいやいや!待て待て待て!アンコール何回する気だよ!?何回俺を舞台に上げる気だ!?

 

あいつ、絶倫かよ!?

 

 

『もう一回』

『まだ、だ』

『自分でしろ?いやだ。サトシがしろ』

『うーん、全然おさまる気がしない』

『だから!自分じゃしない!イーサは偉いんだ!勅命だ!サトシがしろ!』

『まだだー!』

『もっとー!』

 

 

「……疲れた」

 

 百年近く溜めに溜め込んだ欲求のせいなのか。それともイーサが元々そういう性質なのか。どちらにせよ、今日はもう何度も何度も同じ行為を繰り返しさせられたせいで、俺は精魂尽き果てていた。

 そして、一番俺を疲れさせたのが、

 

『ん?サトシのも勃起しているじゃないか!』

 

 俺まで……反応してしまった事だ。

 

「違う、違う違う。俺も最近ヌいてなかったから……溜まってたんだ。だからこんな事に。そう、仲本聡志は必死に自分に言い聞かせた」

 

 あ、言い訳って自分で言っちまった。これじゃ、セルフナレーションの意味ねぇ。

 

『うーむ、仕方がない。どれ、サトシのは特別に、この偉いイーサがしてやろう!有難く思え』

 

 そんな事を言いだしたイーサに、俺はもう完全に頭が沸騰してしまった。

なにせ、声は金弥だ。そして俺は、どこまで行っても童貞野郎だ。経験豊富な金弥の声で、堂々とそんな風に言われると、正直、揶揄われているような気がして無性に腹が立った。

 

『ふっざけんな!?この野郎が!たいがいにしろよ!?バーカバーカ!バカイーサ!』

 

 だから、気が付けば手が出ていた。

 

『いったぁぁ!サトシがイーサを叩いた!あも!サトシがイーサを叩いたぞ!イーサは偉いのに!』

『お前なんかもう知るか!俺はもう行く!』

 

一応、拳を平手に変えて叩いてやる位の理性は残っていたのだ。むしろ感謝して欲しい。そして、俺のテンションも、今思い出すと完全に小学生男子のようで、少し……いや、かなり恥ずかしい。

 

バーカバーカって。俺。もう、大人なのに。

 

『サトシ!行くってどこに行くんだ!今日はもうここで、イーサと一緒に寝ていけばいいだろう!』

『俺は今から!隊の皆と飲みに行くんだ!イーサ!お前は偉いんだろ!?だったら、ちゃんと自分の仕事をしろ!いいな!?あと、今度から自分でヌけ!』

 

 バタンと扉を締めた向こう側で、イーサの『飲み会ってなんだーー!』と言う、イーサの癇癪が激しく聞こえてきたが、もう完全に無視してやった。クソ。どうせ明日にはまた声が出なくなるのだから、イーサの元に向かわなければならない。

 

 今晩くらい、もうイーサの事は完全に忘れて飲み明かしてやろう。そうじゃなきゃ、俺も疲れた。

 

なにせ、今日は小さい子の面倒を二人も見させられたのだから。

 

 

「おーい!サトシ―!コッチだよー!」

 

 俺が皆との集合場所に向かうと、ガタイの良い集団の中から、一人元気よくこちらに手を振る眼鏡の人間が居た。その声は、やはりこの夜の喧騒の中であってもハッキリと俺の耳に届いて来る。

 うん、やっぱり良い声だ。

 

「エーイチ!みんな!」

「遅かったね、場所が分かってないのかと思ったよ」

「はは、遅くなってごめん」

 

 俺はエーイチの後ろに居る、隊の皆や隊長に会釈した。どうやら、俺が最後だったらしい。隊長は「じゃ、店に行くぞー」と歩き始めると、皆もそれに続いて歩き始めた。俺とエーイチも、それに続く。

 

「サトシ。タダで酒が飲めるなんて嬉しいね。きっと、今日の酒は人生で一番美味しいよ!」

「タダ酒をそこまでの地位に持ってこれるなんて凄いな」

「これからも、たくさん飲みたいなぁ。タダ酒」

「……早く金持ちになれるといいな」

「うん!」

 

 軽く鼻歌でも歌い出しそうな程うかれるエーイチに、俺はなんとも不思議な気分だった。今更だが、エーイチとはナンス鉱山で出会い、これまでずっとナンス鉱山で共に時間を過ごしてきた。

 こうして同じ人間として、夜の街を一緒に歩いているなんて。なんだか未だに信じられない。

 

どちらにせよ、今日は気にせず色々飲み食いしよう。タダだし。

 

「……店はどこに飲みに行くんだろうなぁ」

「あの店だ」

「へ?」

 

 突然、俺の背後から聞こえてきた色気のある声に、俺は勢いよく振り返った。

 

「あ、テザー先輩」

「ああ」

 

 先輩は何事もなかったかのようにスルリと俺の隣へとやってくると、並んで歩き始めた。若干気まずい感覚を引きずっているのは、俺だけなのだろうか。

 

「あの店って、どの店ですか?」

「お前が、あの変な被り物をして働いていた店だ」

「あぁ、ドージさんの!」

「隊長達の先輩らしい」

「へぇ。って事はドージさんも昔は兵士だったんだ。ガタイ良いと思ってたけど、なんか納得した」

 

 そうか。じゃあ、久々にシバにも会えるのか。

 テザー先輩の言葉に、俺があの気の良い親子の事を思い出していると、それまで真っ直ぐ前を見て歩いていたテザー先輩がチラと俺に視線を向けて来た。

 

「なぁ」

「はい?」

「金は、もう返さなくていい」

「え?いや、返しますよ。次給料が入ったらちゃんと」

返しますので。

 

 そう、俺は言おうとした筈だった。しかし、その言葉はテザー先輩の泣きそうに歪んだ表情で一気に引っ込んでしまった。

 

「返さなくていいから、また、してくれ」

「え?」

「なんでもする」

「え、あ。アレを?」

「あぁ、アレを。お前が望む事は何でもする。だから、またやってくれ。頼む」

 

成り振りなど一切構っていられないとでもいうようなテザー先輩の様子に、俺はヒクと喉が鳴るのを止められなかった。なにせ、隣ではエーイチがポカンとした様子で此方を見ているのだから。

 

「頼む。お前が望むなら、俺はこの世で最も優しく接しよう」

「んんん?」

 

 テザー先輩にも、エーイチの事は見えている筈だろうに。外面を一番気にするテザー先輩が、一切周囲の事を気にしていない。隣から「うひゃあ!」という、エーイチの楽し気な声が聞こえてくる。

 待て待て待て。俺はタダでさえ、今日は皆の酒のツマミとして話題のネタにされるってのに、これ以上ネタを増やさないで欲しいんだが!

 

「頼むっ!お前が居ないと、もう俺はダメだ!生きていけない!」

「分かりました!分かりましたから!いつでも折に触れて“ベイリー”役させて頂きますから!落ち着いてください!先輩!」

「本当か!?」

「本当です!先輩にはお世話になってますし!」

「よし。じゃあ、早速」

「いや!さすがに、今は無理でしょう!?どう考えても!」

 

 まさか、ここで『よしよし、タンタンちゃん』をしろと!?その場合、俺もアレだが、テザー先輩も大分とアイタタな事になると思うのだが!それでいいのか!?

 

「先輩。あの、またお部屋に伺いますので。あの、その時にしましょう」

「……そうか、ならば。何時にする!」

「え?」

「次はいつ部屋に来てくれる?今晩、この会が開いた後でもいいぞ。よし、そうしよう」

 

 そうしようじゃねぇよ。

止めてくれ!先輩には、本気で隣のエーイチが見えてないのか!?そして、エーイチのヤツ!何かメモ取り始めたぞ!俺達をネタに稼ごうって魂胆が見え見えなんだが!

 

「いや、先輩。今日はもう飲んだら寝ましょうよ」

「きっと、今夜は眠れん。お願いだ……頼む。サトシ」

「……ぐ」

 

 

 しかも、このタイミングでサラリと“サトシ”と名前を呼んでくるあたり、完全に“分かっている”末っ子だ。

 

「サトシ。また、俺を“ベイリー”に会わせてくれ」

「ぐぅぅっ」

 

 必死だ。この人マジで必死だ。そして、俺のやる“ベイリー”に本気で会いたがってるんだ。こんなの、断れねぇよ!だって、オーディションに受かったなら、声優は演じ続けなきゃなんねーんだから!

 

「分かりました、今夜先輩の部屋に、」

「ダメだ」

「え?」

 

 今度は、また別の所から聞き慣れた声がした。この、エーイチでも、テザー先輩でもない。もちろん、俺の声でもない。先程まで偉そうな事ばかり言って癇癪ばかり起こしていたこの“声”は――。

 

「今晩、サトシはイーサの所で一緒に寝るんだ」

「え?」

「そうだろ?サトシ」

 

 そう言って俺の目をジッと見つめてくる、黒髪の男に俺は息が止まるかと思った。

 

「キン?」

 

 そこには、山吹金弥の姿をした男が、とてつもなく不機嫌そうな顔をして俺の事を見下ろしていた。